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石畳の並木道、レンガ造りの建物。硝子のショウウインドウには和洋の最先端が並び、人々が楽しそうに道を往来している。朱音は初めて見るそれらに意識を奪われ、右に左にと視線を渡した。
「おっと、危ない。こちらへ」
ワンピースの展示してあるショウウインドウを見ながら歩いていたら、隣からぐっと天羽に肩を抱かれた。すると朱音が居たところをおしゃべりに興じる女学生たちが通って行った。あちらも前方に意識が行かず、朱音がショウウインドウを眺めたまま進んだら、正面からぶつかってしまっていただろう。
「も、申し訳ありません……」
かあっと頬に熱が集まる。それを見た一華が肩をいからせ、朱音を軽く突き飛ばして天羽の傍らに収まった。
「お姉さま、往来でみっともないことをしないでください。お姉さまの恥は私の恥。ひいては夫である天羽さまの恥になります」
じろり、と睨まれ、尤もだと思い謝罪する。それに応じたのは天羽だ。
「気にするな。妻の失態は俺が挽回すればいい。これだけ人が多いと、真っすぐ見ていても横からぶつかって来る輩がいるだろうし、俺は細かいことは気にしない」
「まあ、天羽さま、おやさしい」
天羽に微笑む一華に、彼もまた微笑む。そう、朱音たちは現世に来ていた。発端は一華の言葉からだった。
「本当に幽世って、つまらない」
一華は出された茶と干菓子を摘まんでいた。
あれから幾度か怪異に襲われたが、その度に朱音は一華を守っていた。一華も驚き、怖がりはするが怪異が起こることに慣れ始めていた。そうなると、つつましやかな幽世での生活は、一華にとって退屈なものになったようだった。
「天羽さまの財を使わせてもらえるわけでもないし、ここには西洋のものもない。日々怪異をやり過ごすだけの毎日で、本当につまらない」
茶をぐいと飲み、干菓子をぼりっと齧る。
「出されるものは、全部日本式で、シベリアもカステラも、ライスカレーも食べられないなんて」
不満は続く。
「ドレスも、シャンデリアも、パーティーもない。慰めに庭を見たって、薔薇すらも植わっていないし、本当につまらない所だわ」
朱音は幽世でそんな風には思わなかったが、女学校に通い、西洋文化を謳歌していた一華はそう思うのだろう。
「では、天羽さまにお願いしてみるのは如何でしょうか。天羽さまのお力があれば、幽世と現世の行き来も出来るでしょうし」
ただの人である一華や朱音には出来ないが、現世とこちらを行ったり来たり出来る天羽なら、一華を気晴らしに街へ連れ出すことも可能だろう。朱音の提案に一華は、それは良いわね、と顔を喜色に染めた。
「だとしたら、早く刺繍を仕上げて下さらない? つつましやかな妻は、なにもなしには褒美をねだれないわ。私が挿すと針で怪我をするといけないから、お姉さまが綺麗に仕上げるしかないのよ。私が傷付かないことは、つまり天羽さまのお喜びよ」
納得しかない正論なので、こくこくと頷き、手を動かす。
今、朱音が手に持っているのは、天羽に借りた手巾だ。血で汚れてしまい、洗っても染みが落ちない。そこで刺繍をして返そうと思っていたところ、一華が言った。
『その刺繍は、私が射したということにしましょう。だって、付き人へのねぎらいを感謝するのは、妻として当たり前ですもの』
そう言う訳で、仕上げた手巾を返し、その際に現世行きをねだったらしい。朱音は幽世で留守番をしていると言ったのだが、天羽が是非と連れてきた。
「ねえ、天羽さま。あのドレス、素敵ですわ」
一華が指さす先のデパートメントのディスプレイには赤色の華やかなドレスが飾られていた。朱音も見て、一華があれを身にまとったら、華やかな一華の美貌と相まって、とても綺麗だろうと思う。しかし天羽は首を縦に振らなかった。
「幽世では使わないだろう?」
「でも、飾って見ているだけで、幸せな気分になれますわ。現世では西洋の文化に親しんできたんですもの、お姉さまへのお気遣いにもお礼しましたし、純和風のおうちの中で怪異と隣り合わせの生活をしている妻の為に、ご購入下さらない?」
「ふむ……」
どうやらやはり愛する妻の頼みは断れないらしい。思案する様子の天羽が、朱音はどう思う、と問うた。
「わ、私は、天羽さまの奥さまが美しく在れることは、天羽さまのお喜びにもつながると思いますが……」
一華の願いを叶えたくて、言葉を探しつつ陳情する。すると天羽はすい、と建物の中に入った。これを喜んだ一華は嬉々として天羽についていく。二人が店に入ったので、夫婦水入らずで居て欲しいと思い、朱音は店の外で待たせてもらうことにした。
帝都の街中を闊歩する人たちは、みな自信にあふれている。快活な様子で笑い合い、楽し気に歩いていく。身なりや会話、友達など。彼らの夢が、そこにはあるみたいだった。
朱音の夢は何だろうかと考える。一華が神嫁として祝宴の儀で認められ、朱音の未来視が途切れた時には、一華から用済みとして現世に戻されるのかもしれない。そうなったら、あの夜会で振り切った好色老人の愛妾になるのだろうか。
夜会で天羽に選ばれなかった時から、天羽と選ばれた一華の幸せのために頑張って来たけど、対する自分の未来の無さはどうだ。
(……仕方ないわ。だって私はそもそも無能の役立たずだったんですもの……)
そう諦めようとしても、前世の記憶がよみがえる。天羽に見いだされ、確かに愛されていたという気持ち。幽世でも彼の支えで祝宴の儀に臨むことができたのに……。
(おそらく日輪月輪さまたちが、無能の私をお許しにならなかったのだわ……)
そう思うと、天羽の妻が選び直しになったのは良かったのかもしれない。無能の朱音では天羽の役に立たないし、その点一華なら魅了の力を持っているから、天羽を支えることは可能だろう。
そう沈んでいた時、店の中から出てきた天羽が朱音を呼んだ。