放課後の練習場は空いている。試験前になると実技試験が危ない生徒たちが押し寄せ、前もって予約しないと使うことができなくなるのだが、試験期間から外れてさえいれば閑散としている。だからセシルの魔法のように、後片付けが厄介な魔法を使っても迷惑になることは少ない。
 レイの公務が無い時で、セシルの「仕事」がないとき。その日の授業で教わった魔法を二人揃って一通り試す。授業で扱われた魔法が自らの魔力の系統に沿わなければ使えないのだが、理論を理解するためには実践が手っ取り早い。使えもしない魔法を永遠に練習し続けるのはこの学園では数えるほどしかいないのだが、セシルたちはその中でも練習の量が飛びぬけていた。

「セシルは準備いい? 魔力は?」
「準備オッケー。魔力も問題なし、まだいける」

 貴族は自分で身を守ることは多くない。大抵は強い魔法が使える者や戦闘能力が高い者を近くに侍らせているのだが、セシルは自ら危険の中に飛び込むのを「仕事」とする。レイに至っては周囲は敵だらけだ。自分たちの身を自分で守れるようにならなければ生き残れない。

「じゃ、始めるよ」

 魔法を繰り返し練習した後には必ず模擬戦を行う。どちらかが降参するか「本当の殺し合いなら確実に死んでいる」状況になるまで続くものなのだが、大抵は数分としないうちに終わる。

 セシルは長期戦を得意としない。身体に魔力を作り出す機能が備わっていないため、闘いが長くなれば消耗していくばかりである。しかし、代わりに一度に使える魔力量は他人の倍はある。一気に高火力の魔法を叩き出し、相手を圧倒する戦い方を得意とするのだが、どうもこの友人には相性が悪い。
 レイは周囲の人間の魔法の種類や効果範囲を読む。その際起動のタイミングも読み取るのだが、これが厄介なのだ。セシルのように物理法則に干渉する魔法は、起動のタイミングで邪魔をされるとキャンセルになる。外部からの干渉で魔法がキャンセルになると体内の魔力の循環が狂い、わずかの間身体の動きが鈍る。その隙に彼は体術で投げ飛ばしてくるから、そうなるともう降参するしかなくなる。彼に勝つためには起動を読まれないようにするしかないのだが、これがなかなか難しい。

 自分が使える系統以外の魔法を水魔法の前に使おうとすると、水魔法の起動に影響が出る。レイほど敏感に魔力の動きを察知できないため、影響が出ることしか分からないのだが、今回はこれを試してみることにする。

 風魔法とタイミングをずらして、水魔法を重ね掛けする。普段ならここでレイは拳を振るってくるところなのだが、今回はそれがない。読まれたか、と思った途端彼が動き出し、拳を振りかざした。身体を横に逸らし、拳からは避けるも、その先でレイが足をかけてくる。足元に軽い衝撃があったとき、ぐらりと視界が歪んだ。体内で魔力が暴れている証拠だ。

「よいしょ」

 ひょいと担がれ、地面に投げられる。遠い国の言葉で言う「投げ技」である。見事地面にひっくり返されたセシルは「あーもー、降参降参」とひらひらと手を振った。

「あのさー、前から言ってるけどさ」

 空を仰ぎながらセシルがぼやくと、レイがまたかという顔をする。片手で彼は耳を塞ぎ、塞いでいない方の耳をこちらに傾けた。一応聞いてくれるらしい。

「王子様が体術で勝ってくるってある? 普通剣術とかさ、そういうのじゃない?」
「剣術もやれるけど、セシルにはこっちの方が勝ちやすいから」
「俺の王子様のイメージ返せ」
「セシルが王子様に夢見てるわけないじゃない」

 ぎゃんぎゃん吠えるセシルに対して、レイは両耳を塞いだ。もう聞き飽きたという態度である。鍛錬の度にセシルに似たようなことを言われているのだから聞き飽きもするだろうが、こちらを茶化してやろうと思っているのが滲んでいた。

「僕が女の子にニコニコしてるとき、いつもセシル茶化してくるけど、あれ引いてるでしょ。『出たな王子様スマイル』とか言ってくるし」
「それとこれは話が別。王子様スマイルには引くけど」
「セシルさ、不敬罪って知ってる?」

 セシルは僕が王子なの忘れすぎ。彼は話を締めくくるようにそう言って、セシルに手を差し出した。

「受け身取るのうまくなったね。無傷でしょ?」
「誰かさんのおかげでね」

 半ば自棄になりながら彼の手を取ると、一気に引き起こされた。その拍子に循環の狂った魔力が乱れ、わずかに視界が歪む。座り込みたい気持ちはあったが、これ以上恥を晒すのは避けたかった。一つ息を吐いて、自分から足を踏み出す。問題ない、歩ける。

「そろそろ帰ろうか。セシルを待ってる人がいるだろうし」

 頷いて、端に置いていた鞄を担ぐ。レイに綺麗に負けたという話が今日のフィオナへの土産話になりそうだ。土産話にしては随分格好がつかないものだが、それ以外今日は目立ったエピソードもない普通の日なのだ。あと何か話すことがあるとすれば、今から帰宅するまでに立ち寄った店で見つけたものについてになる。

「そうだ。帰りにケーキ屋さん寄っていい?」
「お土産?」
「うん。チョコタルトが食べたいって言ってたの思い出して」
「じゃあ行こうか。僕もケーキ買って帰ろうかな」

 誰が言っていた、というのは言わずとも彼に伝わるようになってしまった。セシルが自発的に何かしてあげたいと思うのは彼女だけなのだから、その存在さえ知ってしまえば察しはつくのだろう。
 彼女の存在は秘匿しなければならないため、人前ではその名前を出すことも存在を匂わせることも許されない。ただ、一人っ子であるように振る舞うことは、自分の手で彼女の存在を消していく行為のようで、もう慣れたというのに息が苦しくなる。だから詳細を語らずとも、セシルが誰のために行動しているかを理解してくれる人がいるのは、気が楽になる。

「レイってさ、俺があいつの話しても驚いたり引いたりしないよね」
「もう慣れた」
「そっかー」

 いつの間にそんなに話していたのか。話していないはずだ、と思って記憶を辿ると、レイがフィオナの存在を知っていると分かってからは毎日のように話している。彼の前だと気が緩んでいたようだ。

「ずっとこの話ばかりだったね、俺」
「いいよ、驚いてないのは本当だから」
「普通驚かない?」

 セシルの問いは当然のものであるはずなのだが、レイは笑うことはしなかった。

「僕の親戚、もっとろくでもないのがいるからね、たくさん。セシルのそれなんて可愛いものだよ」
「うわー。あんたの婚約者のあの子、苦労しそう。可哀そう」
「大丈夫。心配しなくてももう苦労してるから」
「それは大丈夫じゃないよ」

 レイの目が死んでいる。近親愛に対する嫌悪感がないと言っているのだから、これ以上は何も言うまい。

「ところで、あんたケーキ屋さんで何買うの」
「レモンケーキ。あるかは分からないけれど」
「ああ、俺も探してるんだけど全然見つからなくて」

 レモンケーキは遠い国から伝わったばかりで、まだ店に並んでいることは少ない。並んでいたとしてもすぐに売り切れてしまうため、入手が難しいのだ。レモンケーキもフィオナが食べたがっているからお土産にしたいのだが、まだ一度も手に入れられたことがない。

「今日行くところであればいいな」
「だね」

 行きついたケーキ屋にはレモンケーキはなく、二人で肩を落とすことになった。ただチョコタルトを買えたので良しとする。レイもケーキを数種類買っていて、最低限の目的は果たせたとのことだった。

 明日の講義についてだらだら話しながら、帰路を歩く。彼とは主従の契約を結んだわけだが、特段変わることのない関係は居心地が良い。そのうち彼からも仕事を任せられるようになるわけだが、その時が来たとしてもこの居心地の良さはそのまま続いていくような気がする。

「レモンケーキ見つけたら教えてよ。俺が先に見つけたら教えるからさ」

 そうしよう、とレイが笑う。

 代り映えのない日々は続く。またこの平和に影が差す時が来るまで、穏やかな時間を楽しみたいと思った。