「どうもー。牛の首チャンネルのモーと、相棒のワンさんです。ご覧いただきありがとうございます」
動画の挨拶は、相変わらずの暗闇を背景に始まった。ワンさんは今回はスイッチが入っているらしく、上下に揺れながらモーの言葉を繰り返していた。
「前回の動画は見ていただけたでしょうか。トリフィールドを使って幽霊探しをしたんですが、反応がありましたよね。動画を見返すと声らしきものも入っていました。コメントで教えていただき、ありがとうございました」
川の水音に紛れていたが、俺以外にも声が聞こえた人がいたらしい。あの場にいれば雰囲気に呑まれて聞こえないものまで聞こえそうなものだが、夜の山道を平気で歩いてしまうモーなので霊感がない以前の問題かもしれない。
「ワンさんカメラには足音も話し声も入ってました。すごいですよね。僕よりワンさんの方が人気だったようです」
マスクの下で「ははっ」と笑ったモーだが、あれはワンさんだから笑い事で済んだ現象だ。幽霊同士だからこそ安心して見ることのできる映像だった。モーの笑いに反応して、ワンさんが怒りの声を上げた。
『ふざけるなああああ』
「あ、ワンさん。オープニングで喋ってくれるのは初めてですね」
『何が人気だああああ』
「人気があるのはいいことですよ。僕は霊感がないので、ワンさんが幽霊を引き寄せてくれるとありがたいです」
『お前は鈍すぎるうううう』
「鈍い?」
首を傾げたモーだが、オープニング撮影中なのを意識したのか追求はしなかった。怒り続けるワンさんに「一緒にオープニングトークができるなんて、僕達も仲良くなりましたね」と言ってさらに怒らせ、最終的に話が進まずワンさんのスイッチを切ってしまった。
「ワンさん怒ってますけどね、僕に置いていかれるのが嫌でずっと連れてけって言うんですよ。ツンデレかな」
カメラに小声で言うと、モーは切り替えるように咳払いをした。
「えー、今回はダムに来ています。ダムは水場で人気がないので溜まりやすい場所と言われています。なので確実にいるだろうと予測して、また新兵器を用意しました」
手に持つのは、トリフィールドと同じ大きさのトランシーバーのような物だった。それよりも角張りデジタル画面がついているので、小型ラジオにも見える。
「スピリットボックスです。別名は霊界ラジオ。ラジオというように、無線周波数を音声に変換してくれる仕組みです。ただ普通のラジオと違うのは、AMやFMよりも高い周波数の人には聞き取れない音を変換してくれるということですね」
モーはカメラを見たまま一拍の間をおき「うーん」と唸った。
「つまり、幽霊の声をこのスピリットボックスに通すと聞き取れるようにしてくれるということなんですが、よくわからないですよね。実際に使ってみましょう」
映像が一度切られ、探索モードの視点に切り替わった。モーはダムの上に架かる橋を歩いていた。
「本当はトリフィールドも使って確実にやりたいんですけど、またワンさんを置き去りにするとすごく怒られるので……」
前回動画ではトリフィールドがワンさんに反応してしまうため、カメラも設置しての置き去り検証となっていた。ここでもワンさんに寄ってくる幽霊はいそうだが、さすがに諦めたらしい。
「それならせめて幽霊がどこにいるか教えてほしいんですけど、見てくださいよこれ。スイッチを入れてもすぐに切られるんです」
カメラに見せたのは、モーとワンさんの攻防戦だ。モーがスイッチを入れるとワンさんが即座に切る。それが何よりもの心霊現象で衝撃映像なのだが、鈍いモーはまったく気づく様子もない。ため息をつき、橋の真ん中あたりまで歩いたモーはスピリットボックスを起動した。ザーッと鳴り続ける砂嵐の中で周波数を合わせると、ザッザッザッと小刻みな音に変わった。
「どうもー。牛の首チャンネルのモーです。誰かいますかー?」
静寂の中にモーの声が消えていく。橋は高さがあるらしく、ダムから水音は聞こえてこない。
「誰かいませんかー? 僕とお話しましょう」
スピリットボックスは小刻みな音を鳴らしたまま反応を見せない。モーはもう一度声を大きくした。
「僕とお話してくれませんかー? それとも、誰もいませんかー?」
小刻みな砂嵐が、一瞬途切れた。
「ん?」とモーがスピリットボックスに耳を寄せると、低い音が入り込んだ。
「なんだ?」
おもちゃのワンさんとは違う、ちゃんとした変声機を通したような音。人の声のようで、けれどはっきりとしない。早口で潰れてしまったようにも聞こえるし、ぼそぼそと不明瞭で聞き取れないようにも感じる。何度か繰り返したので、モーは質問を変えた。
「もしかして、喋ってくれていますか? もう少しはっきり喋れますか?」
するとまた砂嵐が途切れ、今度は高い音が入った。何を言ったのか、これもまた聞き取れなかった。
「んー……なんだろうな……」
堰を切って反応しだしたスピリットボックスだが、ほとんどが不明瞭だ。高い音が入れば低い音も入るし、スピーカーから発せられる言葉のようなものは一定じゃない。モーが耳を澄ませて集中していると、背後でカンッと大きな音が鳴った。
「えっ、なに?」
橋の欄干に、何かが当たったらしい。当たる何かは見渡す限り見つけられず、モーの髪や衣服を見るに風も吹いていないのだが。音の大きさも、普通ではなかった。
モーが背後に気を取られているうちに、その音はあちこちから主張を始めた。スピリットボックスも聞き取れない声らしきものを発し続けている。モーは音に翻弄され、冷静さを欠いたように周囲にライトを向けた。
――――見て
ぼちゃんと、遠く下から水音が聞こえた。スピリットボックスから初めて聞こえた明瞭な言葉は、高い声と低い声、幾重にも重なったものだった。そして次の瞬間、橋の下のダムから重たい水音が聞こえたのだ。ぼちゃんと、大きなものが落ちたような音。
「な、何の音だよ……」
モーは固まった。たしかにモー自身は固まっていた。その背後ではズ、ズ、と地面を擦る音が聞こえていた。モーが後ずさる音ではない。カメラはモーの顔しか映してなかったが、モーの足音ではなかった。スピリットボックスはまた、新たに聞き取れる言葉を発した。
――――飛ぶよ
ぼちゃん、と一際大きな水音。その瞬間に、モーはすべてを察して走り出した。欄干から聞こえた大きな音が、靴で蹴った音だと気づいた。モーの強張る表情がなりふり構っていられないことを表している。自撮り棒で支えられたカメラがガチャガチャと音を立て、その中にモーの荒い息遣いが入る。いつもは恐怖を煽るワンさんの言葉も、この時ばかりはモーの緊迫感に負けていた。ワンさんは必死に『お前は鈍すぎるんだああああ』と叫んでいた。
ダムに架けられた橋を抜け、そこからもさらにモーは走った。走り続けた。モーは背後に、恐怖以外の何かを感じていたのかもしれない。
――――見てるよ
この言葉がモーに聞こえていたのか、俺にはわからなかった。


