「どうもー。牛の首チャンネルのモーと、相棒のワンさんです。ご覧いただきありがとうございます」
三つ目の動画はどこかの家の前から始まった。固定されたアングルに映るモーはマスク姿で、片手にはワンさん、もう片手には自撮り棒を持っていた。
「今日は後ろに見える、心霊廃墟に突撃していきます。前回前々回の反省を兼ねて、自撮り棒を用意しました。ちょっとは緊迫感が出るかなぁと思いますので、ぜひ楽しんでください」
「ワンさんの反応も楽しみですねー」とモーがカメラに近づくと、映像が切れた。次に切り替わると、すでに廃墟に突入したモーの顔が映し出された。暗視カメラを導入したのか、映像は全体的に緑がかっている。
「もう玄関に入っているので、ワンさんのスイッチを入れて早速上がっていきましょう。おじゃましまーす」
カメラに映らないところでカチッと音がした。これまではモーが話しかけないと反応しないワンさんだったが、今回はすぐに機械音を鳴らして喋りだした。
『なんだここはああああ』
静寂の中に響くワンさんの大声に、モーは動じることなく足を進めた。
「心霊廃墟です。ここに幽霊はいますか?」
『うわああああ』
「ワンさん、幽霊はいますか?」
『怖いいいいい』
「ワンさん、教えてください」
『いやだああああ』
カチッとワンさんの音が消えた。モーは無言でため息を吐いた。
「逃げられましたね。もしかして、ワンさんは怖がりなんでしょうか」
パキ、パキ、とモーが足を進めるたびにカメラが音を拾う。廃墟の中は散らかり放題なのだろう。間近に映るモーの目線が足下に向いて忙しなく動いていた。
「ちょっとね、思った以上に荒れてまして……足が取られそうなんですよ。周り映しますね」
カメラがモーから離れ、高い位置に持ち上げられた。モーを見下ろすアングルで周囲が映され、光源のない暗闇は緑一色だがしっかりと確認することができた。
「床が抜けてるし荒れ放題なんですが、間取りの感じを見たらわかるでしょうか。普通の一軒家です。曰く付きの、普通の一軒家です」
曰く付きなのに、普通とは。俺は首を傾げたくなったが、すぐにモーの説明が入った。
「ここの廃墟、実は住宅街にあるんですよ。隣の家にはちゃんと人が住んでますし、心霊スポットになるような場所じゃないんです。なのにこんなに荒れ果ててる」
荒れた屋内は家具がそのまま残されていた。大きなものは配置を変えずに、小さな物は肝試しにきた若者に散らされたのか。食器や衣服、何気ない生活用品まで、あらゆる物が散乱していた。散乱するほどの物が残されたままだった。
「おかしいと思うでしょ? この物の量。いきなり、ぱったり住人がいなくなったような残り方。……そうです、いきなりいなくなったんです。ここの住人は」
これまでとは違う、モーの勿体ぶったしゃべりが恐怖を煽る。BGMさえ付けられていない簡素な映像なのに、それがリアリティを増してモーの言葉を誇張する。呼吸の音も鮮明に拾うマイクが、モーの低くつぶやいた言葉を映像に乗せた。
「この家では、一家殺人事件があったんです」
ばさばさ、とモーの背後で大きな物音がした。さすがのモーも驚き振り返ったが、物音の正体はわからなかった。
「これだけ散らかってますから、何か落ちたんだと思います。……で、話を戻しまして、現場となったのが二階らしいんですね。なので二階に行ってみます」
モー越しに映された階段は、そこにもたくさんの物が散乱していた。滑らないよう一段一段確かめながら足を置き、ゆっくりと時間をかけて二階へ上がった。いくつかある部屋を見て回り、最後に残してましたと言わんばかりにその部屋の扉を映した。
「見てください。扉に“ここ”って書いてあります。他の部屋は何もありませんでしたから、つまりこの部屋なんでしょうね」
開けます、とドアノブに躊躇なく手をかけたモーは、不気味な軋み音を立てる扉を押した。
「あー、これは……うん。完全にここですね」
モーを映していたカメラが反転し、部屋の中を映した。どの部屋よりも物、特に持ち込まれたらしい飲食物のゴミが目立った。壁の落書きも多い。一部物が避けられた床には、スプレー塗料で大きく円を書かれていた。
「黒ずんだ染みがあります。周りには線香っぽいのも落ちてます。ということは……あれ、これコンプラ大丈夫かな。あとでモザイク入れないと」
モーがそう言った通り、円で囲われたところにはモザイク処理がなされていた。周りに乱雑に落ちた線香の燃え残りが生々しさを強調している。部屋を見回したモーは窓際に近寄り、枠の出っぱりにワンさんを置いた。
「もう一回、ワンさんを呼んでみましょうか。さっきは何にも教えてくれませんでしたからね」
モーがスイッチを入れると、ワンさんは大きく揺れながら雄叫びをあげた。
『ここを出ろおおおお』
「え? まだ早いですよ。幽霊がいるのか教えてください」
『早く俺を連れて出ろおおおお』
「教えてくれたら出ますよ。幽霊、いますか?」
『いるうううう』
「お、いるんですね」
モーの声に期待が混じった。そのまま質問を重ねようとして、何を感じたのか「ん?」としばらく息を潜めた。
「下の階から物音がします。話し声と、足音かな?」
耳を澄ませたままのモーはワンさんをそのままにし、カメラを持って部屋の扉に近寄った。マイクは確かに数人の物音、そして話し声を拾っていた。
「ここ、有名だからなぁ。肝試しに来るのは僕だけじゃないってことです」
バッティングは嫌だなぁ、とワンさんを回収したモーだったが、次の瞬間にワンさんが再び大きく揺れだした。
『逃げろ逃げろ逃げろおおおお』
あまりの声の大きさにモーは咄嗟にスイッチを切ろうとしたが、ワンさんはモーの手の中で揺れ続けた。
『来るぞ来るぞ来るぞおおおお』
モーは確かにスイッチを切っているはずなのに、ワンさんの動きは止まらない。カチ、カチ、と何度もその音が繰り返されていた。
「ワンさん、ちょっと黙ってください。さすがに心スポで他の人とバッティングは怖いんで」
『怖い怖い怖いいいいい』
「はい、怖いんで、静かにしてください」
『早く逃げろおおおお』
「もう出ますから、本当に黙って……」
『奴らが来るぞおおおお』
「奴ら?」
一瞬の間の後、モーはパッと部屋の外を見た。いろんなものが転がる廊下は決して広くはなく、けれど何もない真っ暗な空間。その暗闇が圧迫してくる空気を、映像ごしでも感じた。ーーじわじわと。階下から忍び寄るように、大きな存在が。高まる恐怖心。そして緊迫感。手に汗握る、乱れ始めた俺の呼吸が映像内のモーと重なる。
『お前を捕まえにくるぞおおおお』
モーは弾かれたように走りだした。ワンさんの言葉を皮切りに、恐怖心が振り切れたようだった。がむしゃらに振られたカメラは暗闇の世界をめちゃくちゃに映し、そして映像は途切れた。
息を呑んだのは、途切れる直前に伸ばされた人の手を見た気がしたからだ。


