トイレの個室で、ショーツに穴があいているのを発見した。
 薄くなった生地のせいだ。いいかげん捨てなきゃ。
 身だしなみに意識が向かなくなっているのは、あの娘のせいだろう。
 わたしの恋人は奔放である。いや、元恋人か。いつも規定される側なので、自信がない。
 今だって目の前で同じクラスの男子生徒とこれみよがしにいちゃついている。腕を組んでしなだれかかって時々ちらっとこちらを見て片笑んでいる。
 名前はシー。もちろんあだ名だ。
 シーはいつもクラスの中心にいる人気者だ。
 一方わたしは、無口な眼鏡女子。趣味は虫の観察。アクリル製のケースの中で狭い世界しか知らない虫を見るのが好き。
『好きな人ができた。やっぱりわたしは男が好きなの』
 全く同じ台詞で2回もフラれる人は世の中にどれぐらいいるのだろう。
 理不尽な理由をつきつけられても、しつこく説明を求めたり泣き叫んだり不実を責めたりはしなかった。
 最初の時にそれをやったらウジ虫を見るような目で見下ろされたから。
 しかも二回目となれば『うん、わかった』と聞き分けがよくなるのは当然だと思うのだが、それはそれで不満らしく、『モモは男を知るべきだよ。適当に見繕って紹介してあげようか』と恋の先輩面をする。本人は優しいつもりなのだから、たちが悪い。
 でも、その顎の角度は好き。分度器で計りたい。
 私が薄く微笑むと、不快そうに眉を寄せる。その眉間も好き。もっと溝があってもいい。彫刻刀をあてたい。
 わたしがシーのわがままをゆるす理由はいくつかある。
 彼女は病気なのだ。自分のことを好きと言ってくれる人がいないと死んでしまう病気なのだ。
 わたしとつきあっていたことはみんな知ってる。シーはすぐに吹聴するから。でも信じてる人はいない。
「おい、モモ。目の前で元恋人が男といちゃいちゃしてるぞ、平気なんか?」
 面白がってきいてくるクラスメート男子。名前はたしかヘボイ。シーに片思いしてる。他にも知ってる。相手にされたことがないこととか。その点ではわたしのほうが一歩リード。しかも恋人歴2回だ。
「すぐに別れるよ。前のときみたいに」
「よっゆー。さすが2回ふられたモモだなあ」
「あんたさ、奪ったらいいんじゃん? シーはそういうシチュ好きだよ」
「修羅場が好きなのかよ。ひくわー」
 そう言いながら、目はシーを追っている。自由奔放なシーが好きなんだろうね。その気持ちはわかる。
 シーと出会ったのは一年と半年前、高校一年生のとき。
 ひときわ目立つクラスメートだった。快活でよく笑う、バタバタとよく手足を動かす、さらさらとしたロングヘア、明るくて一緒にいて楽しい。
 対照的にわたしはぼさぼさ癖毛が気になってショートにしてる眼鏡女子。
 告白は突然やってきた。
「つきあって」
 なにかのゲームか、いじめだろうなと思って「いいよ」と返した。
 抱き寄せて唇を合わせた。わたしのファーストキス。
 全然惜しくない。同性はノーカウントだと思っていたから。
「ば、ばっかじゃないの」
 真っ赤になって走って逃げたシー。無表情の仮面のしたで、わたしは思いっきり舌を出した。ざまあみろ。次は舌をいれてやる。
 それから、なぜかなし崩し的にシーにつきまとわれ、「わたしたちはつきあってるの」と吹聴され、周囲から「へえ」と気のない返事を返されたこと、二回。
 失恋が人間を成長させるってほんとうかな。シーは失恋したことないのかな。
 わたしのこと無害な人間だと思ってるんだろうな。
 ちょっとした思い付きでヘボイをけしかけてみた。
「来週の金曜日、シーの誕生日だよ。プレゼントでもあげたら?」
「……おまえはやるの?」
「ううん」
「そっか。うーん、でもなあ、シーの好きなもんなんてわかんないし」
 ヘボイは鼻の頭をかいた。
「女の子が好きそうな雑貨屋で可愛い系の選べばいい。好きな色はピンク。今ハマってるのはアニメの──」
「えーわかんねえよ。マックおごるから案内してくんないか?」
「いいよ、暇だから」
 可愛いもふもふ系のぬいぐるみが好き、という設定。シーは昔からあざとい。
「特別扱いされるのが好きだよ。アイドルみたいに崇めてほしがる」
「よく知ってるんだなあ。さすが親友」
「チガウヨ」
「ああ、設定ね、了解。『元恋人』だもんな。でもなんでモモが恋人役なんだよ」
 シーはいつでもモテモテ。男からも女からも。恋人を切らしたことがない。そういうのが彼女の理想だから。
「あ、これ、いいかも」
 ピンク色のウサギのぬいぐるみをヘボイに押しつけた。
「かわいいな。じゃ、これにすっか」
 ヘボイの頭の中では、シーのイメージとぴったり合うのだろう。
 かわいらしすぎるぬいぐるみをプレゼント用に包んでもらい、ラッピングがシワにならないように気を使いながら袋を持つヘボイは、ぬいぐるみよりかわいらしいとモモは思った。
「でもさ、彼氏いんのに、大丈夫かなあ」
 ヘボイは唐突に現実を思い出したようだ。
「多分今のは暫定彼氏だよ」
「そ、そうかな。……そうだな、あたって砕けろ、だよな」
 背中を押してほしいのはわかるけど、モモはいらいらしてきた。
「砕けるのは相手の男でしょ、シーは弱々しい男は嫌いだよ」
「お、おう!」