【QPZ】
「ごめんごめん。昨日あんぎょうで寝不足でさ、ふあ」
待ち合わせに遅れないようにするのは最低限の礼儀だ。
小学校で習ってこなかったのか。
俺の時間をなんだと思っているのか。
助手席に黙って乗り込みながら、ののしりたい気持ちを、津山は必死でこらえた。
津山は自家用車を持っていない。友人は津山のために休日をつぶして目的地まで送迎をしてくれているのだ。感謝こそすれ、罵詈はいけない。人として終わる。
友人の好意に素直に感謝するべきだと思い直し、生あくびをかみ殺す彼をねぎらった。
「ありがとう。助かるよ。ほんと感謝してる」
「お前も昨夜寝てないんじゃないのか、これからが楽しみでさ」
「そうだな」
津山はふいに合点した。ささいなことで攻撃的になってしまうわけを。
まもなく彼女と対峙する。
その瞬間が近づき、興奮のあまり、感情がコントロールできていないのだ。
ささいなことで切れてしまう人が増えていると、ニュースできいたことがある。
アンガーコントロールができない人たちは、自分とは違う人種だと思っていたが、案外、自身を知らないだけなのかもと、津山ははじめて身をふるわせた。
これからの生活を考えたら、自身を律していかねば、と強く意識する。
「…なあ、約束の時間に間に合いそうか」
「すっ飛ばしていくから大丈夫さ。おい、そんな顔するな。あんえん運転するさ。お姫様がお前を待ってるしな。無事届けてやる」
「よろしくな」
「こいつも愛着あるしな。廃車にする気はないから安心してくれ」
「単車を暴走させていたお前が、15年後にはファミリーワゴンに乗ってるなんてな」
「俺、妻子持ちじゃん。誰しも成長するってこと」
友人の笑い声は乾いていた。だが、守るもののために、好きな仕事を辞めて給料のいい会社に転職した友人を、津山はまぶしく感じた。
変われることは強さでもある。
「道の駅についたらコーヒーおごるよ」
「サンキュ」
居眠り運転をさせないように、彼にとって興味深い話題がないかと津山が考えていた時だった。
友人は軽く舌打ちをした。
「…なーんか、ちょっと…」
「おなかが痛いのか?」
「子供じゃないっつうの。いや、なんかさ、最近…調子が悪いというか」
友人は片方の手で眉間をもみほぐした。
「健康診断オールAを自慢してたお前が? ストレスか?」
「Nって覚えてるか? 高2で同級だった」
へらへらといつも笑ってばかりいた旧友の顔が浮かんだ。
「あいつ、先月、なくなったってさ。…白血病で」
「え…」
「それ聞いてちょっと怖くなってさ、来週、病院で検査してもらうつもりなんだ」
「めったになるもんではないだろ、白血病なんて。…Nは気の毒だったとは思うけど」
肩をすくめて、笑い飛ばそうとしたが、友人はため息をついた。
「頭がぼうっとしたり、大事なことを忘れたりするんだ。疲れてるだけかもしれないが」
「それって、若年性認知症じゃないのか、なーんてな」
「笑えないよ。俺は抱えてるもんが大きいからさ」
俺だって近いうちにそうなるのに。無神経な奴だ。
不服を申し立てるのも大人げないと思い、道の駅まで、津山は無難な話題に徹した。
道の駅から30分ほどの行程で目的地についた。
前の職場の同僚だったんだと、友人が紹介してくれた『友人の友人』は、津山より10歳ほど年上の女性だった。優しそうな笑顔と物腰の上品さが魅力的だ。
「ちょうどいま寝ているところですけど…」
引き合わされた最奥の部屋で、すやすやと眠る彼女を一目見るなり、恋に落ちた。
いや、恋にはとっくには落ちていた。
「ここが帰還不能点か。さらば過去の俺よ」
友人と顔を見合わせて、津山は決意をこめてうなづいた。
『彼女』は、スマホの画面でみたときとは比べ物にならないほど、愛らしかった。
規則的な寝息が小さな体からもれている。
それに倍する速さで津山も、はあはあと息をもらした。
柔らかそうな長い髪が特徴的な子だった。津山は鼻を近づけて深呼吸をした。
「ふはあああ」
すんすんすんすん。
「津山、津山」
たしなめる友人の声で、津山は我に返った。
「これ、お納めください」
津山が銀行の名前の入った袋を手渡そうとすると、女性はにわかに顔をくもらせた。
「そんなつもりはないんです。あの子が幸せになれるなら私としてもうれしいので」
間違えたかな、と思いつつも、津山は深々と頭をさげた。
「努力は惜しみません」
「はじめてではないと、なれているとうかがっていますけども、もし、なにか問題が発生しましたら、連絡いただけますか。合う、合わないがありますから。お返しいただいてけっこうですから」
誰が返すものか。
一刻も早く帰宅して彼女をかわいがってあげたかったので、睡眠不足の友人をいたわるふうを装い、まもなく『友人の友人』の家をあとにした。
「ごめんごめん。昨日あんぎょうで寝不足でさ、ふあ」
待ち合わせに遅れないようにするのは最低限の礼儀だ。
小学校で習ってこなかったのか。
俺の時間をなんだと思っているのか。
助手席に黙って乗り込みながら、ののしりたい気持ちを、津山は必死でこらえた。
津山は自家用車を持っていない。友人は津山のために休日をつぶして目的地まで送迎をしてくれているのだ。感謝こそすれ、罵詈はいけない。人として終わる。
友人の好意に素直に感謝するべきだと思い直し、生あくびをかみ殺す彼をねぎらった。
「ありがとう。助かるよ。ほんと感謝してる」
「お前も昨夜寝てないんじゃないのか、これからが楽しみでさ」
「そうだな」
津山はふいに合点した。ささいなことで攻撃的になってしまうわけを。
まもなく彼女と対峙する。
その瞬間が近づき、興奮のあまり、感情がコントロールできていないのだ。
ささいなことで切れてしまう人が増えていると、ニュースできいたことがある。
アンガーコントロールができない人たちは、自分とは違う人種だと思っていたが、案外、自身を知らないだけなのかもと、津山ははじめて身をふるわせた。
これからの生活を考えたら、自身を律していかねば、と強く意識する。
「…なあ、約束の時間に間に合いそうか」
「すっ飛ばしていくから大丈夫さ。おい、そんな顔するな。あんえん運転するさ。お姫様がお前を待ってるしな。無事届けてやる」
「よろしくな」
「こいつも愛着あるしな。廃車にする気はないから安心してくれ」
「単車を暴走させていたお前が、15年後にはファミリーワゴンに乗ってるなんてな」
「俺、妻子持ちじゃん。誰しも成長するってこと」
友人の笑い声は乾いていた。だが、守るもののために、好きな仕事を辞めて給料のいい会社に転職した友人を、津山はまぶしく感じた。
変われることは強さでもある。
「道の駅についたらコーヒーおごるよ」
「サンキュ」
居眠り運転をさせないように、彼にとって興味深い話題がないかと津山が考えていた時だった。
友人は軽く舌打ちをした。
「…なーんか、ちょっと…」
「おなかが痛いのか?」
「子供じゃないっつうの。いや、なんかさ、最近…調子が悪いというか」
友人は片方の手で眉間をもみほぐした。
「健康診断オールAを自慢してたお前が? ストレスか?」
「Nって覚えてるか? 高2で同級だった」
へらへらといつも笑ってばかりいた旧友の顔が浮かんだ。
「あいつ、先月、なくなったってさ。…白血病で」
「え…」
「それ聞いてちょっと怖くなってさ、来週、病院で検査してもらうつもりなんだ」
「めったになるもんではないだろ、白血病なんて。…Nは気の毒だったとは思うけど」
肩をすくめて、笑い飛ばそうとしたが、友人はため息をついた。
「頭がぼうっとしたり、大事なことを忘れたりするんだ。疲れてるだけかもしれないが」
「それって、若年性認知症じゃないのか、なーんてな」
「笑えないよ。俺は抱えてるもんが大きいからさ」
俺だって近いうちにそうなるのに。無神経な奴だ。
不服を申し立てるのも大人げないと思い、道の駅まで、津山は無難な話題に徹した。
道の駅から30分ほどの行程で目的地についた。
前の職場の同僚だったんだと、友人が紹介してくれた『友人の友人』は、津山より10歳ほど年上の女性だった。優しそうな笑顔と物腰の上品さが魅力的だ。
「ちょうどいま寝ているところですけど…」
引き合わされた最奥の部屋で、すやすやと眠る彼女を一目見るなり、恋に落ちた。
いや、恋にはとっくには落ちていた。
「ここが帰還不能点か。さらば過去の俺よ」
友人と顔を見合わせて、津山は決意をこめてうなづいた。
『彼女』は、スマホの画面でみたときとは比べ物にならないほど、愛らしかった。
規則的な寝息が小さな体からもれている。
それに倍する速さで津山も、はあはあと息をもらした。
柔らかそうな長い髪が特徴的な子だった。津山は鼻を近づけて深呼吸をした。
「ふはあああ」
すんすんすんすん。
「津山、津山」
たしなめる友人の声で、津山は我に返った。
「これ、お納めください」
津山が銀行の名前の入った袋を手渡そうとすると、女性はにわかに顔をくもらせた。
「そんなつもりはないんです。あの子が幸せになれるなら私としてもうれしいので」
間違えたかな、と思いつつも、津山は深々と頭をさげた。
「努力は惜しみません」
「はじめてではないと、なれているとうかがっていますけども、もし、なにか問題が発生しましたら、連絡いただけますか。合う、合わないがありますから。お返しいただいてけっこうですから」
誰が返すものか。
一刻も早く帰宅して彼女をかわいがってあげたかったので、睡眠不足の友人をいたわるふうを装い、まもなく『友人の友人』の家をあとにした。