「お休みになられたみたいです」
静まり返った屋敷の一室。談話室で一人掛けの椅子に腰掛けていた晴月に、部屋に入ってきた琴子が声を掛けた。
「湯浴みの後、晴月様のことを嬉しそうに話されてましたよ」
「そうか」
楽しそうな琳音の姿を想像し、晴月はそっと瞼を伏せる。
そんな晴月の表情を窺いながら、琴子は控えめな様子で問い掛けた。
「……本当に言わなくてよろしいのですか?」
「いい。困らせたくない」
晴月は即答した。その瞳には、少しの迷いもない。
「あの子が探しているのは今の俺じゃない。もうあの頃の俺はいないんだ」
「……そうでしょうか」
珍しく反論する琴子に、晴月はそっと視線を向ける。
「今も昔も変わりませんよ。私がこのお屋敷に入ったときから。一途に想い続けているでしょう?」
琴子は少しの間を置いた後、言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「──三百年間、ずっと」
晴月は掛けていた眼鏡を外すと、そっと机の上に畳んで置いた。
「でも、守れなかった」
その顔が徐々に俯き、表情が見えなくなる。
「守れなかったんだ。隣にいたのに、手が触れる距離にいたのに……」
くしゃりと前髪を掻き乱す晴月から、絞り出すような声が漏れる。苦しげにも聞こえるその言葉に返す言葉が見つからず、琴子は黙ったまま立ち尽くしていた。
「……もう寝る。おまえも休め」
「かしこまりました」
顔を上げた晴月はもう、いつものしっかりとした顔付きになっていた。談話室を後にして、長い階段を上って私室へと向かう。
「もう二度と、誰にも奪わせない」
自分に言い聞かせるように吐き出した独白は、誰に聞かれることもなく夜の空気へと消えていった。
静まり返った屋敷の一室。談話室で一人掛けの椅子に腰掛けていた晴月に、部屋に入ってきた琴子が声を掛けた。
「湯浴みの後、晴月様のことを嬉しそうに話されてましたよ」
「そうか」
楽しそうな琳音の姿を想像し、晴月はそっと瞼を伏せる。
そんな晴月の表情を窺いながら、琴子は控えめな様子で問い掛けた。
「……本当に言わなくてよろしいのですか?」
「いい。困らせたくない」
晴月は即答した。その瞳には、少しの迷いもない。
「あの子が探しているのは今の俺じゃない。もうあの頃の俺はいないんだ」
「……そうでしょうか」
珍しく反論する琴子に、晴月はそっと視線を向ける。
「今も昔も変わりませんよ。私がこのお屋敷に入ったときから。一途に想い続けているでしょう?」
琴子は少しの間を置いた後、言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「──三百年間、ずっと」
晴月は掛けていた眼鏡を外すと、そっと机の上に畳んで置いた。
「でも、守れなかった」
その顔が徐々に俯き、表情が見えなくなる。
「守れなかったんだ。隣にいたのに、手が触れる距離にいたのに……」
くしゃりと前髪を掻き乱す晴月から、絞り出すような声が漏れる。苦しげにも聞こえるその言葉に返す言葉が見つからず、琴子は黙ったまま立ち尽くしていた。
「……もう寝る。おまえも休め」
「かしこまりました」
顔を上げた晴月はもう、いつものしっかりとした顔付きになっていた。談話室を後にして、長い階段を上って私室へと向かう。
「もう二度と、誰にも奪わせない」
自分に言い聞かせるように吐き出した独白は、誰に聞かれることもなく夜の空気へと消えていった。