神在国(かみありのくに)と呼ばれるこの国では、異能を持って生まれる人が少なからず存在する。その異能の種類は多岐にわたるが、柚香の持つ異能はささやかなものだった。

 甘味に想いを込め、甘味を食べた者にその想いを届ける異能。

 それが柚香の持つ異能だった。
 自分が作った甘味を食べても、その想いは柚香自身にも届く。
 柚香がつらい気持ちで甘味を作れば、その甘味を食べると訳もなく気持ちが沈むのである。

 幼いころ、母から繰り返し言い聞かせられたことを思い出す。
「柚香、お料理を作るときはね、食べてくれる人が幸せな気持ちになりますように、疲れが取れますように、前を向く力が湧いてきますようにって想いを込めながら作るのよ。
 そうするとその気持ちは食べた人に届くからね」
 母は柚香の異能に気づいていたのだろう。
 もしかすると母自身にも同じような異能があったのかもしれない。
 確認することは叶わないが。

 柚香が切り盛りする甘味処は、夏は冷やしぜんざいと冷やしみたらし、冬はぜんざいとみたらし団子という少ない品書きながら、行列ができるほど大繁盛している。
 それは「食べればたちまち幸せな気持ちになれる」と評判になったからであって、言わずもがな柚香の異能のおかげであった。
 そのころに品書きを限定したのは養父母の方針で、同じころ一つ一つの品書き価格を値上げしたのも彼らの決定だった。

 ただ、この異能のことを柚香は誰にも話したことがない。
 そして、甘味処で出している甘味を、義父母家族全員が「下賤の者が食べる物だから」と毛嫌いし、口にしようとしなかったのは不幸中の幸いだった。
 サキさんがいなくなって、一人ですべての甘味を仕込んで作るようになってからようやく自分自身がこの能力に気づいたというのもあるが、これを他人に話してしまえば、いよいよこの場所から離れられなくなりそうな予感があったのだ。


「いらっしゃいませ!」
 柚香は暖簾を掲げた後、開店前から店の前に並んでいた行列を団体ごとに女中の担当する会計に誘導する。
 この店は養父母の方針で前払い制を採っている。
 その後、会計が済んだ客を手際よく奥から席に案内し、お茶を出す。
 女中からある程度まとめて注文を受け取り、裏手の調理場に戻って甘味の準備を開始する。
 みたらし団子は注文が入ってから団子を七輪で焼く。
 母から言い聞かせられたように、幸せな想いを集中して込める。
 焼き上がった団子をみたらしのたれにくぐらせながら、柚香はその壺の隣に置いてあるもう一つの壺を無意識に見ないようにした。
 サキさんとのつらい思い出が脳裏によみがえらないように。


 その日の営業も用意していたぜんざいと白玉が無くなった時点で早々に終了した。
 店じまいをしていると、会計担当の女中から声を掛けられる。
「昨日の売上が予想より少なかったと旦那さまがお怒りになっています」
「……! 申し訳ありませんでした。
 私が注文の想定を見誤って、少ない量しか用意しませんでした」
 違う。
 昨日担当だった女中が売上をくすねているとすぐに分かったが、柚香は言い返せず謝るしかない。
 よくあることなので、だんだんと慣れてきてしまっている自分が怖かった。
 そのくせ、柚香はサキさんと違い、給金はもらえない。身内だからだ。
「義務も義理もないのに、わざわざお前に部屋も食事も与えてやっているんだから、その分の食い扶持は毎日自分で稼ぎな!」
 義父母の言うことは絶対だ。
 だから甘味処は年中無休で開けなければいけないことになっている。
 柚香に店休日という概念は存在しなかった。


「あら、今日は完売したのね」
 準備中の札を掲げているはずの入り口から耳障りな甲高い声がして、柚香はその方向を振り返る。
 義父母家族の一人である、義姉・川原さゆりが店に入ってきていた。
 下ろされたままの豊かな黒髪が照明を反射してつやりと光り、見ただけで分かる高級な着物を着ている。
「お嬢様」
 女中はさっと頭を下げる。
「お姉様、なぜここへ?」
「出かける用事があったからついでに寄っただけよ。
 ああ、もちろん甘味には興味ないから安心して」
 さゆりはにこりと微笑んだが、目は笑っていない。
「そういえば、お父様が昨日の売上が少ないって怒っていらしたわ」
「……はい、それは私の責任です」
「そうよね。あなたっていっつもそう。下手くそ。
 経営が何たるかも知らないのに、よく甘味処を一人でできるわね。
 もしかしてあなた、売上を一部、自分の懐に入れているのではなくて?」

(会計に一切触らせてもらえないのに、そんなことできるわけない!)

 言い返せるはずもなく、柚香はうつむいて唇を噛みしめる。
 でも、さゆりのこの一言で、義父母家族はなぜ売上が少ないのか、その理由に勘づいているのだと柚香は気づいてしまった。
 彼らにとっては、柚香だけを悪者にできればそれでいいのだ。
 真実は必要ない。
 悔しさは募ったが、まともに感情を揺さぶられると疲れるだけなのは分かっていた。
「まぁいいわ。じゃ、わたくしは帰るわね」
 さゆりは言いたいことを言って満足したのか、女中と一緒に店を出て行った。