数日後、彦仁を通じて以前からお願いしていたことを実行に移すために、柚香は緊張しながら母屋の厨房を訪れていた。
「柚香さまですね。料理長の山根です」
横幅の広い男性がにこやかに出迎えてくれた。
「はじめまして、柚香です。
本日はよろしくお願いいたします」
「では、甘味担当の職人を呼んできますね」
奥の方から、山根より少し若い男性が姿を現した。
「甘味担当の鈴木です。よろしくお願いします」
加賀谷家の食事には、三食毎回甘味もついてくる。その種類の多さと美味しさに柚香は感動し、どうしても作ってみたかった練り切りを鈴木に教えてもらいに来たのだ。
可能なら、様々な甘味を教わって作れるようになりたいと思っている。
練り切りは、白あんに求肥を練り込んだ餡を細工したり色をつけたりして作る菓子だ。
上生菓子と言うだけあって、上品な甘さと舌ざわりを特徴とする。
まず一般家庭で作ることはないし、柚香も当然作ったことはなかった。
ただ、義両親家族は結構な頻度で食べていたように思う。
「わたくしはお菓子だと練り切りが好きなの」と、昔甘味処に来たさゆりに言われたことがあったから。
鈴木に教わりながら、白あんを作るところから始まる。
前日の仕込みとして豆に吸水させるところは鈴木がしてくれており、柚香は豆を煮るところからだったが、説明されたとんでもない工程量に気が遠くなりそうだった。
甘味処で作っていたぜんざいとみたらし団子は、材料費をけちり、かつ短時間で作れることを優先した義両親が少ない材料で作れるものとして五年前に確立したが(それでも小豆を炊くのは時間がかかった)、意外と理に適っていたなと今更ながら感心する。
午前中から始めて昼飯を挟みながら、夕方ころにようやく二つ、練り切りを形成し終わった。あんこを白あんと黒こしあんの二種類を作らないといけないところが一苦労だった。
形は初心者におすすめらしい梅だ。
柚香にも元甘味処店員の矜持があったので、細工作業には気合を入れた。
「柚香さま、上手にできていますね」
鈴木に褒めてもらえた。
そのうちの一つを試食してみる。
(うん、味は大丈夫。でも迷いと不安だらけだな)
これは誰にも食べさせられないと判断し、二つ目の練り切りに手を伸ばそうとしたそのときだった。
「柚香どの、練り切りの調子はどうだ?」
厨房に彦仁が顔を出した。
「うまくできましたよ、ほら」
柚香が思わず見せびらかすと、「俺にも食べさせてくれ」と言われてしまい、あわてて小声で断る。
「だめです。迷いと不安が強く出てしまっているので」
料理人たちには柚香の異能のことは伝えないことになっていた。
「俺はその負の感情すらも感じたい。柚香どののすべての感情を味わい尽くしたいと思っている」
彦仁に耳元でそう言われ、どきりと胸が鳴る。
その隙に皿の上の練り切りをひょいと取られて一口かじられてしまった。
「あっ、もう!」
柚香がむくれて見せると、その顔を見ながら楽しそうにもう一口、二口と口に入れ、全部食べ終わった彦仁が満足そうに頷いた。
「初めてのわりには美味しくできたな。柚香どのの迷いと不安もなかなかいい味わいだ」
後半の言葉だけ再び耳元で囁いて、彦仁は多くの料理人が目の前で忙しそうに動いている厨房であることを気にする様子もなく、柚香の頬に唇を押しつけた。
山根が後ろから聞こえよがしに咳ばらいをしている。
「彦仁さま、場はわきまえていただけませんと……」
「ああ、すまん。ここは母屋だったな」
山根の苦言をどこ吹く風で受け流し、彦仁は柚香の手を握って二人で厨房を後にした。
「柚香さまですね。料理長の山根です」
横幅の広い男性がにこやかに出迎えてくれた。
「はじめまして、柚香です。
本日はよろしくお願いいたします」
「では、甘味担当の職人を呼んできますね」
奥の方から、山根より少し若い男性が姿を現した。
「甘味担当の鈴木です。よろしくお願いします」
加賀谷家の食事には、三食毎回甘味もついてくる。その種類の多さと美味しさに柚香は感動し、どうしても作ってみたかった練り切りを鈴木に教えてもらいに来たのだ。
可能なら、様々な甘味を教わって作れるようになりたいと思っている。
練り切りは、白あんに求肥を練り込んだ餡を細工したり色をつけたりして作る菓子だ。
上生菓子と言うだけあって、上品な甘さと舌ざわりを特徴とする。
まず一般家庭で作ることはないし、柚香も当然作ったことはなかった。
ただ、義両親家族は結構な頻度で食べていたように思う。
「わたくしはお菓子だと練り切りが好きなの」と、昔甘味処に来たさゆりに言われたことがあったから。
鈴木に教わりながら、白あんを作るところから始まる。
前日の仕込みとして豆に吸水させるところは鈴木がしてくれており、柚香は豆を煮るところからだったが、説明されたとんでもない工程量に気が遠くなりそうだった。
甘味処で作っていたぜんざいとみたらし団子は、材料費をけちり、かつ短時間で作れることを優先した義両親が少ない材料で作れるものとして五年前に確立したが(それでも小豆を炊くのは時間がかかった)、意外と理に適っていたなと今更ながら感心する。
午前中から始めて昼飯を挟みながら、夕方ころにようやく二つ、練り切りを形成し終わった。あんこを白あんと黒こしあんの二種類を作らないといけないところが一苦労だった。
形は初心者におすすめらしい梅だ。
柚香にも元甘味処店員の矜持があったので、細工作業には気合を入れた。
「柚香さま、上手にできていますね」
鈴木に褒めてもらえた。
そのうちの一つを試食してみる。
(うん、味は大丈夫。でも迷いと不安だらけだな)
これは誰にも食べさせられないと判断し、二つ目の練り切りに手を伸ばそうとしたそのときだった。
「柚香どの、練り切りの調子はどうだ?」
厨房に彦仁が顔を出した。
「うまくできましたよ、ほら」
柚香が思わず見せびらかすと、「俺にも食べさせてくれ」と言われてしまい、あわてて小声で断る。
「だめです。迷いと不安が強く出てしまっているので」
料理人たちには柚香の異能のことは伝えないことになっていた。
「俺はその負の感情すらも感じたい。柚香どののすべての感情を味わい尽くしたいと思っている」
彦仁に耳元でそう言われ、どきりと胸が鳴る。
その隙に皿の上の練り切りをひょいと取られて一口かじられてしまった。
「あっ、もう!」
柚香がむくれて見せると、その顔を見ながら楽しそうにもう一口、二口と口に入れ、全部食べ終わった彦仁が満足そうに頷いた。
「初めてのわりには美味しくできたな。柚香どのの迷いと不安もなかなかいい味わいだ」
後半の言葉だけ再び耳元で囁いて、彦仁は多くの料理人が目の前で忙しそうに動いている厨房であることを気にする様子もなく、柚香の頬に唇を押しつけた。
山根が後ろから聞こえよがしに咳ばらいをしている。
「彦仁さま、場はわきまえていただけませんと……」
「ああ、すまん。ここは母屋だったな」
山根の苦言をどこ吹く風で受け流し、彦仁は柚香の手を握って二人で厨房を後にした。