毎朝目が覚めると、川原柚香(かわはらゆずか)は(まだ生きていた)と埃っぽい暗闇の中で安堵する。

 暗闇に目が慣れてきたところで煎餅布団から起き上がり、まず真っ先に両親の位牌に手を合わせて(今日も目が覚めて生きていました。ありがとうございます)と感謝を述べる。
 夜が明けていないうちから二階の物置部屋兼自室を抜け出し、仕込み準備に取りかかる。
 一階の甘味処店舗の裏口から外に出ると、三日月がちいさく光っていた。
 井戸から水を汲む柚香の吐く息が白い。
「今日も冷えそうだな」
 柚香は空を見上げてつぶやき、ぜんざいの仕込み量を昨日と同じくらいにしようと決めた。

 柚香の孤独を知っているのは、夜明け前のこの仕込みの時間だけだった。
 初めて一人で仕込みを始めたのはさらに寒い時期だっただろうか。
 あのとき、痛いほど凍てついた水に心細さを刺激されて泣きそうになった。

(この世に私のことを思ってくれる人はもう誰もいない)

 その現実に打ちのめされそうになったことを覚えている。
 淡々と手を動かしながらも、外気の冷たさで心も冷えるせいか、とめどなく鬱々とした考えにふけってしまう。
 逃げ場が、ないなあ。
 どんなにつらくても、死ぬまでこの場所(甘味処)に縛られて生きていくしかないのだろうか。

 ああ、こんなことを考えて暗い気持ちを引きずっていたら甘味の味に影響してしまう。
 考えちゃだめだ。
 どうせ考えても解決方法は見つからないのだから。
 諦めろ。
 生きているだけで十分だと思わなければ。
 そう思い直しながら、かまどの火を起こすことに努めた。

 柚香は十年前と五年前に二度死んだ。
 だから今は余生なのだと思うことにしている。
 この十年の間に、目が腫れないよう上手に泣けるようになった。
 柚香には、自分の想いを甘味に込めて、それを多くの人に食べてもらうことしかできない。

(どうか私の想いよ、私以外の人を幸せにしてあげて。私と同じ思いをする人が一人でも少なくなるように)



 甘味処を経営しているのは養父母家族だったが、実際に店を回しているのは二十歳の柚香一人だった。現在は会計担当の女中が養父母宅から日替わりで一人来ているが、その女中は会計以外の仕事を一切しないので、客の注文を取り、注文どおりの甘味を作り、それを客に提供するのはすべて柚香の仕事だった。

 養父は亡くなった柚香の父の弟で、十年前、両親が不慮の事故で亡くなった際に養父母に引き取られた。柚香はそのときからずっと二階の物置部屋で生活している。
 五年前まで仕込みを主にしていたのは、同じ物置部屋に住み込みで働いていたサキさんという女性だ。甘味処の仕事を教えてくれたのはすべてサキさんで、柚香は年の離れた姉のように慕っていた。
 柚香が寝ている間に、サキさんが駆け落ちして突然いなくなるまでは。


 かまどで火を起こし、小豆を炊く。
 白玉を作り、冷水に浸けておく。 
 みたらし団子のたれの量を確認し、足りなければ足す。
 ここまでの仕込みを終わるころにはすっかり日が昇っていた。
 開店間近に甘味処に来る女中から白米のおにぎりを二つ受け取り、調理場で急いで腹に収める。
 これが養父母から柚香に与えられる唯一の食事だった。
 後は閉店後、残ったぜんざいや白玉を食べることができる。
 甘味を食べる方が幸せな気分になれるのは自分の異能がもたらす効果のおかげだが、柚香はそれでも甘くないものを食べたいと思ってしまうのだった。