白い照明の光の下。今までずっと目を背けていた部屋の有様が顕わになっていた。見たくなかった。

明るさや光が常に自分に寄り添ってくれるなんて、嘘だ。冗談じゃない。これ以上、差を突きつけないで欲しい。部屋の真ん中で手首がようやく解放される。

眩しくて、光なんてものをひとつも入れたくなくて、俯いて強く目を閉じたら、頬を掴まれて無理矢理顔をあげさせられた。ゆっくりと瞼を押し上げると、困惑したような表情で眉をひそめるオータと視線がぶつかる。

「いつから?」

床に沈み込むような、冷ややかで落ち着いた声だった。

「カフェのバイトは行ってる?」
「……ううん」
「通い始めたって前に言ってたボランティアは?」
「……ううん」
「大学は?」
「…………ううん」
「ニーナ」

ねえ、どう映っている。信じられないなら、信じなくていい。こんな埃だらけの散らかった部屋の中心に、オータまで居座らなくていい。

分からない。光の下では、もう何も分からなくて、辛うじて残っていたエネルギーで、オータに頬を掴まれていながらも必死に俯く。そうしたら、ゆっくりと手は離れていった。

「お前、本当に、いつから?」

もう一度問われて、首をゆっくりと横に振った。

実家を出てから、少しずつウイルスに蝕まれていくかのようにできなくなっていった数々のこと。それを改めてオータの目の前でおはじきのように頭に並べていく。

いつから、が具体的に示しているものは抽象的で、びしょびしょに濡れた画用紙に落とす水彩絵具のように、要素は滴下させた瞬間に、輪郭を曖昧にしてにじんでいく。

「……わからない」
「ニーナ」
「何にもわからないって言ってる。さっきから、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっとそう言ってる。そう思ってる。わからない!」

床に、拳をうちつける。

常に、俯瞰して自分を見ている自分がいる。完璧な感情というものは何処にもないらしい。いや、違うか。私がどうしようもないから、何もかも、中途半端で浅はかで馬鹿らしい言動しかできないのだろう。

お涙頂戴の家族ドラマでこういうシーンがあったっけ。ヒステリックになって、どうせ私の気持ちなんて分からない、などという文句を精一杯怒鳴りつけて、相手に平手打ちされるか抱きしめられるかのつまらない二択。

オータはどっち? どうであれ、私はどうせどうにもならない。

大した音もしなかったのに、打ち付けた拳は痛くて、オータは平手打ちも抱擁もせずに私の目の前でただ黙っていた。涙だけが止まらない。人間の涙腺事情はどうしてこうも気色悪いのか。

照明のもとにこれ以上曝されたら目から死んでいくような気がして、よろよろと立ち上がる。おい、とオータは尖った声をようやくかけてきたけれど無視して、電気を消しに行った。それから、照明スイッチの真下ににもう一度しゃがみこむ。

すると、オータは膝立ちになって、私の目の前まで歩いてきて座り直す。遠ざけたはずの距離が、またあっさりと近づいてしまう。磁石かよ、と思った。社会不適合者と何ともない適合者のS極とN極。

数十分前まで焼き肉のテンションだったくせに、鬱々とした私の最低な世界に強引に侵入して、本当に、何がしたいのか分からない。そもそも、自分のことですら分からないのに、他人のことなど分かるわけがないのだ。

「……お前、どうしたの、本当に」
「ね。どうしたんだろうね。オータには分からないことばっか。残念だなあ。ほんっとに、オマエは、おめでとう、いいね、オータは……はは、」
「……なに、まじで」
「オータには、無縁なことしか私、いま、もってない。オータは、意志の力が強いから。社会になじむこともできるし、こうやって私のこと責めることもできるし、焼き肉が食べたいからってだけで私のマンションまで行こうと思って、それを実際に行動に移せるし、就活だってできるし、人間関係を良好に保つことだってできるし、ちゃんとさ、時間を自分の力で所有できる」
「………」
「いいね、合格だよ、いいなあ、オマエは生きる資格も価値もあり。やったじゃん」
「………」
「………本当に、帰って」
「ニーナ、」
「帰れ」
「ニーナ」
「違う」
「ちがくない。ニーナ、」
「違う! もう、呼ぶなよ!こんなの、ニーナじゃないんだよ!」

怒りが振り切れる。よかった、振り切れた。ばかばかしい刹那の満足感。

勢いで、膝のすぐそばに転がっていたビールの空き缶を投げつける。それは、目の前のオータに見事に命中して、胡座をかいた彼の間に落ちていった。

ミスマッチだ。清潔な人間にはビールの空き缶は似合わない。だけど、本当にさ、なんとか普通でいるようなふりをして、なんとかオータと同じように生きているふりをして、崩れかけのまま頑張っていた私を呼ぶのと同じトーンでぼろぼろの私に、“ニーナ”って呼ばないでほしいのだ。

他人の目に映したい私とは対極の姿だっていうのに、それでも私が私であると認めざるを得ないようなむごい厳しさを与えて、オマエはどうしたい。

もう一度、手を伸ばして少し遠くにあったビールの空き缶を手繰り寄せる。

オータ、缶ビール、当たって痛かった? 痛かったよね、ごめんね。仕返ししていいよ。殴って。ぼこぼこにして。喧嘩しようよ。喧嘩じゃないか。対等じゃない。怒れよ。やっぱり、もう見放してくれていい。何すんだよ死ね! 人がちょっと心配してやったからって調子に乗るなよ、生きる価値もないくせに、とか何とか言って怒鳴りつけて、お願いだから、私のことをとことん傷つけてよ。

痛みがほしいのかもしれない。生きてるのもどうせ痛いから、それならとことん分からせて欲しくて、何とかして紛らわせたい。今、この瞬間、強くそう思っている。

でも、オマエは本当は乱暴するのが苦手だよね。優しいから。私のこともじょうずに殴れないよね。それなら、どうして今、私の目の前にいるんだろうか。

根本的なことはいつも漠然としている。それは、たぶん私ごときは解明できないこの世の秘密であり、ああもういいや、と開き直って、もう一度、すぐ目の前にいるオータに空き缶を投げつけようと振りかぶった。

だけど、投げつけることは叶わなかった。