「しんど」

 いきなり関西弁かい! 
 ロマンティックな言葉を期待していたわたしはガッカリするというよりも頭にきたが、彼の疲れ切った表情を見て、気持ちを立て直した。
 
「お疲れ様」

 精一杯の笑顔で労うと、「東京の人?」と首を傾げた。

「そうなの。神田の生まれよ。ちゃきちゃきの江戸っ子なの」

 思い切り胸を張ると、「恐れ入谷(いりや)鬼子母神(きしぼじん)」と言って、まったく恐れ入っていない表情で見つめたので、思わずイラっとした声が出てしまった。
 
「他に言うことはないの?」

 すると、いきなり彼が居ずまいを正した。

「あなたに出会うために僕は生まれてきました。体の大きさは50ミクロンです。0.05ミリメートルと言い直した方がわかりやすいですか? 僕の体は頭部(とうぶ)頸部(けいぶ)尾部(びぶ)で出来ています。尾部は鞭毛(べんもう)とも呼ばれています。精巣で作られた僕は精管内で待機し、無数の仲間と共に外へ出るチャンスを待っていました。そして、遂にその時がやって来たのです。僕たちは一斉に陰茎から膣内へと放出されました。〈あなた〉というたった一人の姫君に出会う旅が始まったのです」

 あらっ、標準語になっているわ。
 
「んん。僕はバイリンガルですから、関西弁も標準語もどちらもしゃべれます」

 それって、意味が違うように思うけど……、
 まっ、いいか、続けて。
 
「僕が置かれた競争環境は熾烈なものでした。普通ではありえない競争環境だったのです。その競争倍率を聞いたらびっくりしますよ」

 百倍? 
 千倍?
 
「いえいえ、そんな生易しいものではありません。億倍なのです」

 億倍? 
 何それ? 
 わたしは卒倒しそうになった。