偵察魂 

「もうそろそろ胎児ちゃんになった頃かな?」

「なんのこと?」

「胎芽の状態から胎児の状態になったということだよ。つまり、人間らしくなってきたっていうこと」

「ふ~ん」

 自分の子供のことを胎芽とか胎児と呼ぶ新のことが不思議でならなかった。
 産婦人科医だから仕方ないのかも知れないけど、家に居る時くらいは赤ちゃんって呼べばいいのに、と考子はいつも思っていた。
 
「ところで、続きを聞かせてよ」

「えっ、続きって?」

 新はそれに答えず、膝の上の本を指差した。
『EvolutionaryBiology(進化生物学)』という本だった。
 考子の蔵書を本棚から引き抜いてきていた。

「人間の体には色々な先祖の名残があちこちに残っているって書いてあるからさ。わかりやすく教えてよ。この本はちょっと専門的というか、学術的過ぎてとっつきにくいんだよね。それに、英語だから専門用語が出てきたらお手上げでさ。辞書を引いてもよくわからないし」

 頭をボリボリかいてねだるような視線を考子に向けた。
 子供ができるまでは考子の専門分野に余り興味を示さなかった新だったが、妊娠してからは、暇を見つけては考子の蔵書をパラパラめくるようになった。
 そして、関心のある個所に(しおり)を挟んで夕食後の話題にするのが日課になっていた。
 
 考子は新の変わりようが嬉しかった。
 考古学や進化生物学を共通の話題にしようと努力してくれる彼の気持ちに深い愛情を感じた。
 絆が更に深まったように感じて嬉しかった。
 だからウキウキしてすぐに話したくなったが、それでは面白くないと思い直した。
 
「何から話そうかな~」

 わざともったいぶった言い方をして新の反応を見たが、その手には乗らないよ~、というような顔をして彼はニコニコしていた。

「どっしようかな~」

 今度は歌うような言い方をしてもう一度焦らした。
 すると、新が突然カウントダウンを始めた。
 10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0、GO!
 考子はその声に反応するように、喉の奥で止めていた言葉を速射した。