2004年5月22日、小泉総理が再び訪朝して、金正日と会談を行った。
その結果、2家族計5名の完全帰国が実現することになり、小泉総理自らが連れて戻ってきた。
その2か月後には1家族計3名の帰国も実現した。
しかし、その後はなんの進展も見られないばかりか、横田めぐみさんの遺骨だとして提供された骨の一部からはめぐみさんのものとは異なるDNAが検出されるなど、北朝鮮の対応に不信が募っていった。
その後、何度も場所を変えて協議が行われ、特別調査委員会を立ち上げるまでに至ったが、2016年1月の核実験、2月の弾道ミサイル発射に対して日本が独自の制裁措置を発表したところ、北朝鮮がそれに強く反発し、包括調査の全面中止と特別調査委員会の解体を一方的に宣言してきた。
それに対して日本は厳重に抗議し、合意を破棄する考えはないと伝えたが、北朝鮮が態度を変えることはなかった。
その後、金正日が死亡して金正恩が跡を継いだが、彼が拉致問題に耳を貸すことは一切なく、歯がゆい時間だけが過ぎていった。
それでもそんな中、変化はアメリカによってもたらされた。
北朝鮮の核・ミサイル問題解決に意欲を見せるトランプ大統領の強い意向によって、米朝首脳会談が行われることになったのだ。
日本政府はトランプ大統領に拉致問題解決に向けての支援を依頼した。
それを受けてトランプ大統領が提議を行ったが、金正恩の態度はそっけないものだった。
「小泉政権の時にすべて伝えた」と切り捨てたのだ。
めぐみさんが拉致されてから43年が経った。
滋さんが亡くなり、早紀江さんだけが残された。
その早紀江さんも84歳と高齢だ。
いつまでも元気でいて欲しいと願うが、めぐみさんの帰国を何十年と待てるわけではない。
自分も母になろうとしている考子は胸が詰まった。
もし、自分の子供が拉致されて帰って来なかったら……、
それはあり得ないことだった。
しかし、あり得ないことが起こり、それも43年間未解決のまま続いているのだ。
「神様、せめて早紀江さんがお元気なうちにめぐみさんを帰してあげてください」
考子は両手を合わせて、必死になって祈り続けた。
その結果、2家族計5名の完全帰国が実現することになり、小泉総理自らが連れて戻ってきた。
その2か月後には1家族計3名の帰国も実現した。
しかし、その後はなんの進展も見られないばかりか、横田めぐみさんの遺骨だとして提供された骨の一部からはめぐみさんのものとは異なるDNAが検出されるなど、北朝鮮の対応に不信が募っていった。
その後、何度も場所を変えて協議が行われ、特別調査委員会を立ち上げるまでに至ったが、2016年1月の核実験、2月の弾道ミサイル発射に対して日本が独自の制裁措置を発表したところ、北朝鮮がそれに強く反発し、包括調査の全面中止と特別調査委員会の解体を一方的に宣言してきた。
それに対して日本は厳重に抗議し、合意を破棄する考えはないと伝えたが、北朝鮮が態度を変えることはなかった。
その後、金正日が死亡して金正恩が跡を継いだが、彼が拉致問題に耳を貸すことは一切なく、歯がゆい時間だけが過ぎていった。
それでもそんな中、変化はアメリカによってもたらされた。
北朝鮮の核・ミサイル問題解決に意欲を見せるトランプ大統領の強い意向によって、米朝首脳会談が行われることになったのだ。
日本政府はトランプ大統領に拉致問題解決に向けての支援を依頼した。
それを受けてトランプ大統領が提議を行ったが、金正恩の態度はそっけないものだった。
「小泉政権の時にすべて伝えた」と切り捨てたのだ。
めぐみさんが拉致されてから43年が経った。
滋さんが亡くなり、早紀江さんだけが残された。
その早紀江さんも84歳と高齢だ。
いつまでも元気でいて欲しいと願うが、めぐみさんの帰国を何十年と待てるわけではない。
自分も母になろうとしている考子は胸が詰まった。
もし、自分の子供が拉致されて帰って来なかったら……、
それはあり得ないことだった。
しかし、あり得ないことが起こり、それも43年間未解決のまま続いているのだ。
「神様、せめて早紀江さんがお元気なうちにめぐみさんを帰してあげてください」
考子は両手を合わせて、必死になって祈り続けた。