5年後、一気に物事が動き出した。
 2002年9月17日、小泉総理大臣が北朝鮮を訪れて金正日(キム・ジョンイル)国防委員長と首脳会談を行ったのだ。
 金正日は拉致を認めて、謝罪した。
 そして、関係者の処罰と再発防止を約束し、同時に、家族の面会と帰国への便宜を保証した。
 
 それが伝わると、日本中が沸き返った。
 全員が帰ってくると大喜びした。
 しかし、北朝鮮による調査結果を聞いた瞬間、滋さんと早紀江さんの心が凍った。
 日本人全員の心も凍った。
 金正日は「生存者は4名だけで8名は死亡している」と言ったのだ。
 その中にめぐみさんがいた。
 5年前に生存しているという情報がもたらされたのに、それが真っ向から否定されたのだ。
 
 小泉総理はその調査結果に対して強く抗議し、再調査を求めると共に、生存者の帰国を強く要求した。
 その後、日本政府派遣の事実調査チームが生存者と面会すると共に安否未確認の人たちについての情報収集に努めたが、北朝鮮によるずさんな調査や説明から真実を掴むことはできず、その後もまとまった回答は得られなかった。
 それでも、長い間閉ざされた扉が開く日が遂にやってきた。
 拉致被害者の一時帰国が認められたのだ。