文章で食っている流れで小説に手を出し、データ屑をネットに流すうちに、どうにか趣味と言えるくらいには慣れてきた。
それで分かったのだが、どうやら自分にとっての執筆作業というのは、思ったより手続き的なものらしい。
伝統的なプログラマのやり方として、ラバーダック・デバッギングというものがある。
デスクに置いたおもちゃのアヒルを顧客に見立てて、一行ずつ、自分の打ち込んだコードの機能と実装理由を説明するという手法だ。他人に説明するという行為は、自分の理解度を確かめるにはそれなりに有効らしい。
独り言を止められない小説家が多いのも、同じ理由だと思っている。
彼らが「これ、面白いか?」とつぶやく。すると脳内に【アヒル】がひょっこりと顔を出し、「どんな話?」と尋ねてくる。作家がぶつぶつと説明するうちに、今しがた切ったばかりのプロットやストーリーラインの欠陥が見えてくる。そうして気付いたものが直されるうちに少しずつ作品は名作に近付いていく……だいたいこんなところだろう。
私の前にはまだ【アヒル】は現れていない。
しかし、とある作家から預かっている【アヒル】なら、今も自室に飾ってある。
2018年製キャストドール。
3分の1スケールで全長は60センチメートル。
銀色の長髪に、アイスブルーの瞳。服装は薄手のセーラーワンピース。顔立ちは女性的で、メーカー側が設定した外観年齢は13歳らしい。
この人形を迎えたのは4年ほど前のことになる。
そのときの私はWebに連載していた長編一本が完結し、次回作の構想を練っているところだった。
足かけ1年で30万字を打ち込んだ末に「了」、と打ったときの達成感と、虚無感。こればっかりは仕事も趣味も変わらない。
どっと疲労する時間が3分。それから決まって私は苦笑しつつ、キイを打って固くなっちまった人差し指を揉みながら立ち上がり、「参考資料」の山を片付けにかかる。
知らないものは書けない。
想像だけで書くやつもいるが、私に言わせてみればリスク行為だ。
だから小説を書いたあとの私の部屋は、だいたい本と資料で埋もれている。
たとえばタウルスの不可動銃。空っぽになった自衛隊の糧食缶(こいつはサイキョーに旨かった!)。吐くほど不味い酸敗したコーヒー(これはサイアクだった)……。
「丸」と「航空ファン」のバックナンバーに埋もれた布団にどっかりと胡坐をかき、無理やり流し込んだ焼酎でまだフラフラしながら、コピー機から吐き出されたA4の原稿をあらためる。
いわゆる「異世界」をテーマにした物語を書くのは初めてだったが、なかなかうまく行ったのではないか、と思っていた。
ニッチ層を狙い撃ちにしたミリタリー全振り。PVは大御所並みとは行かないが、読者の反応は上々。素人という立場ではあったが、次につながる知見も得られた。
推敲が終わったころには、次回作もミリタリーもので行くつもりになっていた。
あの作品を読み終えた読者さんが私に期待しているのはそういった内容だ。同ジャンルなら前作で使った資料から流用が利き、私としても、ストーリーの練り込みにエネルギーを回せる。
業務連絡のメールを読み終えてから、ふたたび執筆ツールとして愛用しているMeryを立ち上げる。
前作では、義肢の兵士を出した。
義肢装具については私にある程度の知見があり、読者からも詳細な描写が評判だった。そこで今回はもう一歩踏み込んで、パワードスーツとヒューマノイドロボットをメインに据えてみることにした。
試しにオークションサイトを漁ると、ちょうどいい「ネタ」が転がっていた。
破損した1/3スケールのキャストドール。
右手の指は折れ、目も片方が無い。服とウィッグこそ整えてあったが、顔に当たった照明が乱反射しているところからすると、恐らくレジンの表面は傷だらけなのだろう。
この手のやつは服を脱がした全身像も撮影するものだが、商品画像はトルソー部分までのフロントとリアだけ。あまり慣れない人が出品したようだった。
【一身上の都合により手放します。大事にしてくださる方に届くことを祈っています。】
商品説明は以上。じつに簡素なものだった。
もちろんその場で入札した。破損品として見ると割高だったものの、新品の相場と比べたら8割以上も安い。こちらとしてはヒト型の物体を部屋に置いたときの空気感さえ掴めればいいから、破損状況も気にならなかった。
落札すると、すぐに出品者から連絡が来た。料金請求の仕方が分からない――ということで、メッセージには相手の氏名と銀行口座の振込み先が書いてあった。ご年配の方で、オークションの仕様がよく分からないとの話だった。
こちらが請求のやり方を教えると、簡単な感謝のメールとともに、すぐに支払い先がオークションサイト側から提示された。
「こちらこそよろしくお願いします」と、定型文を打って送る。たまには人助けも悪くないものだ。
60センチサイズの段ボールが届いたのは、支払いから3日後だった。
梱包材を取り除くと、件のドールが出てきた。
私が写真から想像していたよりも丁寧な造りをしていた。各パーツのパーティングラインはやすりがけされており、残った片目も純正品の粘着剤で固定されていた。着衣からは防虫剤の強い香りがした。念のためブラックライトを当ててみたが、こちらも妙な汚れは見られなかった。
置き場所が分かるまで、当座のところは、部屋の隅に積み上げた荷物に座らせることにした。視線がある生活とは、思ったよりも落ち着かないな、と思ったのをよく覚えている。
その日はとりあえず日記だけ書いて、プロットは翌日に切った。
そして本文を書き出して2日後、出品者から例のメールが届いた。