ここ一年、お兄ちゃんの様子は明らかにおかしかった。

 遠くから見るお兄ちゃんはいつもどこか虚ろで、常に何かに必死に抗っているようなそんな様子。

 お師匠様曰く、お兄ちゃんは今もっとも厳しい精神の修行をしているとの事。私と同時期にお師匠様に弟子入りをするも、なんでも器用にそつなくこなしてしまうお兄ちゃんは、段の修行でも私よりも多くの修行をこなしていた。

 それ故その多くの修行の賜物により、本来の会得期間にはそぐわない速さで増えすぎた膨大な妖力が身体を蝕んでしまい、ついには魂にまで影響を与えはじめてしまった。そして今はその妖力を制御する精神の修行を施しているのだそうだ。

 今現在、お兄ちゃんの身体に現れている身体の不調も全て増えすぎた妖力故だと聞かされていた。


『心配かけてごめんな、この修行を終えたらまた元通りのオイラにすぐに戻っから! へへっそれに寧々の作ってくれたご飯を食べれば100人力だよ!』


 顔は青ざめ、身体が悲鳴をあげて辛いはずなのに、それでも私が側に居る時は安心させるようにお兄ちゃんはいつも温かく微笑んでくれる。

 お兄ちゃんの体調が心配で少しでも力になりたくて、側で出来る限りの事はさせてもらっているけれどもそんな風に私が側に居る時は、常にいつも明るく振る舞うお兄ちゃん。側に居る事で余計に負担をかけてしまっているのではと思い、寂しい気持ちを抑えお世話をさせてもらいつつも、私はお兄ちゃんとの無駄な距離は極力置くよう努力した。

 それでも、私のそんな思いなどお兄ちゃんにはすべて見透かされていて、そばを離れようとする私を抱きしめ、安心させるように優しく微笑みながら


 ”寧々と過ごす時間が1番幸せなんだ”


 とあまりにも幸せそうに微笑むものだからそれがすごく嬉しくて、心の中が温かなものでいっぱいに包まれながら私はお兄ちゃんの腕の中で溢れだす涙を抑えることが出来なくて、そんな私の頭をお兄ちゃんは優しく撫で続けていてくれた。

 お兄ちゃんは昔からいつもそう、私の不安も悲しみもどんな時もいつだって温かく包み込んでくれるの。




 産まれたばかりの頃、まだ普通の猫だった時の事を思い出す。私達は劣悪な環境の中共に産まれた。どのような経緯であんな恐ろしい場所にいたのかは全く分からない。

 粗末なご飯、粗末な扱い、不衛生極まりない場所。私達を飼っていた主人の男の人はとても怒りっぽい人で、何か嫌な事があると私達にすぐ、その怒りの矛先を向けた。

 そんな中お兄ちゃんは、私に害が及ばないように男の人が私に少しでも触れようものなら牙を向き、常に自身へとその怒りの矛先を向けさせていた。

 そのせいでお兄ちゃんはたくさんたくさん酷い目に合い、そんなお兄ちゃんを見て私はただただ泣く事しか出来なくて、それなのにその涙を優しく舐め、今と変わらない優しい私の大好きな笑顔で安心させるようにいつも微笑んでくれていた。

 そんな日々もお兄ちゃんの起点によりあの家(?)を脱出する事で終わりを迎える。



 見た事もない世界
 見た事もない生き物
 外の世界はたくさんの知らない物で溢れていて一緒にわくわくしながら微笑みあったっけ


 でも現実はそう甘くはなくて、外の世界で生きるという事は想像以上にとても厳しい事だった。

 それでも生きてこれたのは、すべてお兄ちゃんのお陰だった。

 狩りを率先して行い、私のご飯を必死でかき集め、寒さに震える時は寝床を確保し自身の体温で必死に温めてくれたの。天敵からも常に守ってくれて、自分に何かあった時の為に狩りの仕方だって根気よく教えこんでくれた。


『大丈夫、何が起きてもお前はオイラが絶対守るから、へへっどーんと大船に乗ったつもりでいてくれよ!』


 いつもお日様のように明るくて温かくて優しいお兄ちゃんが大好きだった。産まれた時期は一緒なのに兄のような母のような父のような、そんなどこまでも温かな愛情を惜しみなく注ぎ続けてくれたお兄ちゃん。

 そんなお兄ちゃんと離れ離れになってしまった時は本当に悲しくて苦しくて、それでも瞳を閉じれば、優しいあの笑顔はいつでも瞼の裏に焼き付いていて、その笑顔に何度も励まされた。

 いつか再び会えると信じて希望を失わず生きてきて、今こうしてやっと再び巡り合う事が出来たの。


 失われた時間を取り戻すように私達はたくさんの時間を共有し、たくさんの喜びを共に分かち合った。

 そうして過ぎていく日々の中、実は自分達に血のつながりがない事を知ってびっくりしつつもどこか安堵のような気持ちに包まれたのを思い出す。
 今思えばあの時にはとっくに私の心はお兄ちゃんへの想いで溢れていたのだろう。お兄ちゃんの事を思うたび、心の中はいつだって優しい光が灯るように温かさに包まれていた。

 同じ気持ちを返してもらえた時は本当に嬉しくて、こんなにも幸せでいいのかなって何かバチがあたったりしないかな、なんてそんな不安を持ちつつも溢れだす喜びに浸り続ける日々は本当に幸せで。


 でもそんな中で私は少しずつお兄ちゃんの想いを知っていった。


 お兄ちゃんは必死に隠していたけれども、お兄ちゃんが心の奥底に必死で閉じ込めていた物
 私は全部知ってたよ。

 内にある深い深い心の傷も私への想いも全部全部


 お兄ちゃんはそんな想いをもつ自分自身を酷く醜く汚いもののように感じていたけれども、私はそんな風に感じた事一度だって一瞬だって無かった。


 お兄ちゃんは覚えてるかな

 再会してすぐ、お兄ちゃんが会えない間どれだけ辛い思いをしてきたのか、その身体の傷の多さをたまたま見てしまい、私は思い知った。
 それなのにお兄ちゃんは、私がお兄ちゃんのような酷い目にあってこなかったと知って
 大粒の涙を流しながらまるで自分の事のようにたくさん喜んでくれたの。


『そっか……そっかッ! 良かった…ッ寧々は酷い目に合わずに済んだんだな…本当に良かった…ッ
 良かった………っ…………ごめんな泣いちまって…! 涙って…、嬉しくてもこんなに流れるもんなんだな…お前と再会した時といいオイラ泣いてばっかでほんと恥ずかしいな…!』


 そう泣きながらもどこまでも嬉しそうに笑うお兄ちゃんの笑顔に、私の心がどれだけ救われたか…。


 そんな…心に深い傷もトラウマももちながらも、どこまでも失われない愛情や優しさをもち続けるお兄ちゃんが何より私には眩しくて、そんなお兄ちゃんのすべてが私は愛おしくてたまらなかった。

 ずっと…、ずっとそばにいたい。他には何も望まない。
 貴方のそばに居られるなら私は充分すぎる位こんなにも幸せなのだから。

 ただ1つ、そばに居る事しか出来ない事がただただ申し訳なくて…、

 苦しむお兄ちゃんの側にいてなんの支えにもなれない自分があまりにも非力で、こんな私が側にいても良いのかなって悩む夜もあったけれども、一緒に居られて幸せだと微笑むお兄ちゃんの言葉や笑顔には一点の曇もなかったからら”私はここに居て良いんだ”とまた心を温かくしてもらえたの。


『いつか…寧々のお兄ちゃんへの気持ちをすべて伝えられたらいいな』


 心の中に閉じ込めた物を私に知られないように必死に生きるお兄ちゃん。

 お兄ちゃんのその気持ちを少しでも軽くしたくて、そのお兄ちゃんの想いについて口にしようとした時もあったけれどもその直後のあの絶望に包まれた顔が脳裏に焼き付いて今でも離れない。どこか怯えにも似た必死な形相、あまりにも苦しげなその顔が見ていられなくてつい慌てて、誤魔化してしまった。

 それから一度もお兄ちゃんの隠してる想いについては口にしていない。お兄ちゃんは私に知られる事をなにより恐れているから。


 でも、、いつか伝えたいの。私のこの溢れんばかりのこの想いを。

 私の幸せは”貴方と共にある事”なんだって。

 こんなにも純粋で温かくて心優しい人の側にいて幸せになれないはずがないって
 知ってほしいの。
 だって、この胸の温かさはすべてお兄ちゃんがくれたものだから。


『どんなお兄ちゃんでも…、寧々は心からお兄ちゃんの事を愛しています』


 この想いはけして消える事はない。
 私のすべてがお兄ちゃんの温かさで包まれているのだから────