ここは現世の日本に存在するこの世界の神である龍神様のお屋敷。 (現代の日本の田舎に存在する)
過去に鬼から命を救われた事により猫又の青年「薙翔《なぎと》」は神である龍神様と出会い 、そうして今は恋人の「寧々《ねね》」と共に妖力修行をする為、このお屋敷にて二人は居候で住まわせてもらっていた。
そんな中過去に体験した恐ろしい出来事による心の傷から愛する寧々に
『誰にも渡したくはないからいっその事喰らってしまいたいという行き過ぎた独占欲』と
『誰よりも大切にしたい』という想い
この2つの相反する想いを持ち苦しみながらも寧々と温かな日々を過ごす薙翔 。
そんな薙翔に龍神様は、その想いが暴走してしまわぬようにと
陰の気を増幅させる黒曜石を埋め、薙翔の中にある欲をコントロールするという修行をすすめたのであった。
『なあ、ばぁちゃん…本当に大丈夫なの…か?』
そうして薙翔が龍神様に陰の気を増幅させる黒曜石を体内に埋め込まれるようになってから3年、身体の中には既に6つの黒曜石が埋め込まれていた。
埋め込まれた黒曜石は日々己の心を蝕み続け、今では身体もその影響を受け続けてしまっている。増幅する陰の気は魂にも負荷が重くのしかかり、その影響から吐血をするようになってから既に一年が過ぎていた───
そして今日、7つめの黒曜石を埋める日がついに来てしまった。その不安で押しつぶされそうになる気持ちを必死に自分の中に抑える。
龍神様こと「ばあちゃん」を信用していない訳ではない。
ばあちゃんがとんでもなく偉い神様だという事は知っている。そして、その力がどれほどの物かも。
オイラもその力に命を助けられた。あんなにも恐ろしい鬼を一瞬で消滅させる力を目の前で見せつけられたのだ。しょっちゅうふざけたり、TVをのんびり見ながらせんべいを食べていたり、オイラや寧々を度々からかってきたり、普段何を考えているのかイマイチ掴めないけれども、それでも目の前にいるのは”命を司る現世で最も偉い龍の神様”なのだ。
分かっている
分かっている
それなのに不安は少しも消え去ってくれない。
心の中に重くのしかかる日々でかくなる汚らしいオイラの欲望。
その欲望に今にも押しつぶされそうで、これ以上は耐えられないと自分の魂が叫び続けている気がしてならない。これを埋めてしまったらもう戻れなくなるような…そんな気さえしてくる。。
黒曜石を最初に埋められる際、ばぁちゃんから本来ならこの黒曜石は10個までなら身体に埋めても耐えられる代物だと聞いていた。
つまり、オイラはそこまでも耐えられない程欲深い存在なのだ。
こんなにも…こんなにも愛しいという感情が胸の中に溢れてやまないのに、それを超える欲望が自分の中には常にあるのだと思い知らされる度、自分が酷く醜く歪んだ存在なのだと激しく思い知らされる。
『薙翔は心配性よのう。余がいれば問題ないと言っておろう。それよりも、そなたは寧々の事だけ考えておればよい。それとも…、まさか今更後悔しておるのか?』
『…相変わらず意地悪だな。後悔なんてオイラがしてる訳ないだろ』
『ふふ…そうであろうな』
目の前でくすくす笑うばあちゃんをジトっと睨むがそれでもばあちゃんは面白そうに笑う事をやめない、その姿に少しイライラが募るのもののすぐに思考を停止させた。ばぁちゃんのこの態度は別に今に始まった事じゃない。
ふう…っと息をはき、目の前のばぁちゃんの存在は一旦忘れ気持ちを落ち着けるように目を閉じる。…瞼を閉じればいつだって思い浮かぶのはオイラの最愛の人───寧々の姿だ。
”後悔なんてする訳がない”
この一年血を吐く程の苦しみにずっと耐え続けてきた。正直今だって立っているのもやっとの状態だ。
それでも寧々に会えなかったあの100年の月日の苦しみを思えばどうってことないのだ。手を伸ばせばすぐそこには大切な寧々がそばにいるそれだけでオイラは充分すぎる位幸せだったのだから。
醜く欲深いオイラは寧々を手放す事はできない。寧々の居ない世界になんて興味はないし、これから先の人生、ずっと共にあり続けたいというこの気持ちを捨て去る事は出来ない。
ならせめて、…せめてどこまでも大切にしたいのだ。手放してやる事はできないけれども、それでも寧々の幸せをすべて壊す存在にはなりたくない。その命が終わりを迎えるその瞬間、振り返る日々が幸せだったと心からそう思える…そんな人生を歩んでほしい。
その為ならなんだってする、オイラが出来る事ならなんだって…
『心の準備は出来たか? 安心せい、そなたに何が起ころうとも余が止めるに』
『…ああ、わかってる。頼むなばぁちゃん』
『ふふ』
目を開き真っ直ぐに目の前のばぁちゃんを見つめる。左右非対称の色を宿した瞳が満足げにこちらを見つめ返し、そうしてばぁちゃんはまた新たな黒曜石をオイラの体内に埋める術をかけ始めた。
この感覚はいつまでも慣れない。身体の中に異物を無理やり押し込まれる感覚と共に自分の魂がまるで漆黒の闇に飲み込まれるようなそんな感覚に襲われる。
心臓が激しく脈打ち動悸も止まらない。
『ぐっ…!』
波のように押し寄せる負の感情がオイラの頭を占領する。
大丈夫
耐えられる
しかし、やはり今回は違った。
今までにない負の感情が四方から押し寄せはじめる。
『う…ぁぁ…ッッ!』
まるで心臓をナイフでえぐりとられるようなそんな痛みにも似た感覚と共に全身から暗闇に溢れ出すような不快感が絶え間なく押し寄せてきた。
こんな現象は…今まで1度たりとてなかった。
(……ッ! …飲み込まれるッ…!?)
不安はまさに的中し、魂が悲鳴をあげている、やはり耐えられなかったのだ。自分の中にある欲望が激しい刃のように身体を突き破り出ていこうとする錯覚すら覚える。
『ア…ア……ァ……ッ』
苦しみの最中、脳裏にはまるで走馬灯のように今までの日々まで蘇りはじめた。
そうだ
オイラは耐えるんだ
こんなもの…、オイラにとっちゃなんの苦でもない
思い出せ
あの絶望に苛まれた苦しみや孤独や恐怖を
身体を切り刻まれ続けたあの痛みを
オイラにとっての地獄は寧々と再会するまでの日々であってこんなもの
『こんな…もの…、っ』
それなのに蝕み続ける果てしない闇がどこまでもオイラを掴んで離そうとしない。頭に声が響きつづける。
”喰らえ”
イヤだ…やめてくれ…
頬を冷たい雫が流れ、地に落ちる。どうしてオイラはこんなにも弱くてこんなにも醜いのだろう。こんなにも、こんなにも愛しくてたまらないのに自分の醜い欲1つ 、大切な人の為に抑える事もできない。
(お兄ちゃん)
『ね……ね…、っ』
縋るように虚空に手を伸ばすもその手は宙を掴むだけ。
もう…、戻れない
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!!!!!!!』
『お兄ちゃんッッ!!』
どこからか寧々の声が聞こえた気がしたが、その声が耳に届くのと同時にオイラの意識は途絶えた。
そばでゆらめく左右非対称の瞳が満足げに微笑む。
『やっと願いを果たせるのう…薙翔』
物語はまだ序章にすぎない───