場所が移り、山のふもとに位置する茅葺き屋根の家の前に降り立った。
荒れはじめた芋畑に、錆だした農具。
見慣れた地だが、重々しい空気に少女はめまいを感じた。
月冴は少女をおろすと、強ばっている少女の頬を親指で押しながら撫でる。
「選べ」
「えっ」
「このまま私といる道か、家に帰る道か。選べ」
そんなことは聞く必要もないのに、と思いつつも明確に示すべきなのだろう。
「私は……」
「なんだぁ? 騒がしい……ぞ……」
選択肢をもったまま、少女は養父と再会することになる。
お互いに二度と会うことはないと思っていた分、目があうと心臓が握りつぶされたかのように圧迫された。
「なんでお前がここに……」
養父は慌てて口元を覆い、少女に背を向けて震えだす。
養父にしては珍しく悲痛な顔をしていたので、涙を流しているのかと期待した。
そんなこともありえないと気持ちは冷めて、背中ではなくどんな顔をしているのかを見るようになっていた。
泣いているように見せかけた演技だ。
今まで本気で見ようとしなかった養父もまた、少女に本当を見せていなかった。
「俺は勝手にお前を不幸と決めつけていた。こんな俺のもとにいては一生幸せになれない。だったら土地神様のもとに行った方がいいと思ったんだ」
出まかせを聞かされると、心は冷えていくばかり。
少しだけ椿の気持ちがわかったような気がした。
一度冷めれば愛情が反転して嫌悪しかない。
口からベラベラと出る嘘のかたまりに悲しいなんて……そんな気持ちは通り越した。
「私を拾ったのはなぜですか?」
その問いに養父はハッと顔を上げる。
「それはお前の両親が死んで……」
「巫女の家系だったと教えてくれなかったのはなぜです?」
養父に対しての違和感が溢れ出し、疑問がどんどん口から飛び出していく。
対して養父は言葉を詰まらせて、またわざとらしく悲壮感に満ちた顔をした。
「巫女の血を引いてるなんてバレたらおっかねぇ。巫女になれば自由なんてもんはないんだ」
「それで生け贄にしたんですか? その先は死だったかもしれないのに」
途端に、養父の顔色が変わる。
嘆き悲しむ身内の顔から、下劣さのにじみ出た浅ましい顔となった。
「巫女ってぇのは齢が満ちるまでその辺のヤツらと変わらねぇ。ようやくデカくなったてぇのに村のヤツら……」
ブツブツと呟き、親指で爪をかじる。
これが養父の本音だとすれば、私に感情をもたないためにあえて名前を与えなかった。
すべてはお金のため、最低限の施しだけして少女を放置した。
女とは家のための道具となり、家長が決めたとおりに動く。
名前がないのは、道具だから必要ないという意志の現れだった。
(言葉は養父と会話するために必要だった。生活していくために村人の行動を目で盗んだ)
少女には学がなかった。
家に置いてくれる養父に従うのが当たり前であり、女が人間として見られないことに疑問を抱かなかった。
名無しの娘とはつまり、人間ではない。
今まで養父なりに育ててくれたと思っていたが、所詮は道具を売るためでしかなかった。
「村に渡さなければ私は……」
「それだっての! ヤツらふざけやがって……どれだけ苦労したと思ってんだ! 巫女の貴重さをわかってねぇヤツらばっかりだ!!」
巫女とは減少傾向にあり、非常に貴重な存在らしい。
齢が満ちなければ巫女として立つことも出来ないので、そもそもの才能を見過ごされる場合も多い。
希少価値の高さから巫女を専門とした売人がいるほどだった。
「巫女として売れば遊び尽くせねぇほどの大金が入るはずだったてぇのに! たかが凶作で生け贄が必要だからと弱みを付け狙いやがった!!」
「……たかが?」
その言葉に内側がぶるっと震えた。
これはなんだろう。
静かに、ゆっくりと、確実に。
フツフツとした感情が近づいてくる。
たしかに生け贄として少女を犠牲にした村人の罪は大きいのかもしれない。
これまで多くの女性が悲痛に叫び、苦しみに焼かれてきた。
その怨念だらけの身体が月冴のもとにたどり着き、月冴の身を縛り続けた。
(あんまりだわ……)
ただ生きたいと。
誰もが生きたいと願い、神にもすがる思いだった。
冬を越せるだけの豊かさがないと、細々と生きられればと。
切実な思いを惑わすのは形だけの金銭。
硬貨と引き換えになるのが生命だった。
その現実に少女はもう、養父に同情の気持ちすら残っていなかった。
「ありがとう、おじさん。私はもう大丈夫。私のことはその名のとおり、どうか忘れてください」
「お前……」
「さよなら」
少女は一度も振り返ることなく、養父に背を向けると黙って見守ってくれていた月冴に手を伸ばす。
やさしい温度が指先に触れると目頭が熱くなった。
確認なんていらない。
風が巻き起こり、私は月冴と一緒に帰りたい場所を思い描いた。
あの広いばかりの御屋敷をやさしい想いで満たしたいと。
目を閉じて一心に月冴の幸せを願った。
荒れはじめた芋畑に、錆だした農具。
見慣れた地だが、重々しい空気に少女はめまいを感じた。
月冴は少女をおろすと、強ばっている少女の頬を親指で押しながら撫でる。
「選べ」
「えっ」
「このまま私といる道か、家に帰る道か。選べ」
そんなことは聞く必要もないのに、と思いつつも明確に示すべきなのだろう。
「私は……」
「なんだぁ? 騒がしい……ぞ……」
選択肢をもったまま、少女は養父と再会することになる。
お互いに二度と会うことはないと思っていた分、目があうと心臓が握りつぶされたかのように圧迫された。
「なんでお前がここに……」
養父は慌てて口元を覆い、少女に背を向けて震えだす。
養父にしては珍しく悲痛な顔をしていたので、涙を流しているのかと期待した。
そんなこともありえないと気持ちは冷めて、背中ではなくどんな顔をしているのかを見るようになっていた。
泣いているように見せかけた演技だ。
今まで本気で見ようとしなかった養父もまた、少女に本当を見せていなかった。
「俺は勝手にお前を不幸と決めつけていた。こんな俺のもとにいては一生幸せになれない。だったら土地神様のもとに行った方がいいと思ったんだ」
出まかせを聞かされると、心は冷えていくばかり。
少しだけ椿の気持ちがわかったような気がした。
一度冷めれば愛情が反転して嫌悪しかない。
口からベラベラと出る嘘のかたまりに悲しいなんて……そんな気持ちは通り越した。
「私を拾ったのはなぜですか?」
その問いに養父はハッと顔を上げる。
「それはお前の両親が死んで……」
「巫女の家系だったと教えてくれなかったのはなぜです?」
養父に対しての違和感が溢れ出し、疑問がどんどん口から飛び出していく。
対して養父は言葉を詰まらせて、またわざとらしく悲壮感に満ちた顔をした。
「巫女の血を引いてるなんてバレたらおっかねぇ。巫女になれば自由なんてもんはないんだ」
「それで生け贄にしたんですか? その先は死だったかもしれないのに」
途端に、養父の顔色が変わる。
嘆き悲しむ身内の顔から、下劣さのにじみ出た浅ましい顔となった。
「巫女ってぇのは齢が満ちるまでその辺のヤツらと変わらねぇ。ようやくデカくなったてぇのに村のヤツら……」
ブツブツと呟き、親指で爪をかじる。
これが養父の本音だとすれば、私に感情をもたないためにあえて名前を与えなかった。
すべてはお金のため、最低限の施しだけして少女を放置した。
女とは家のための道具となり、家長が決めたとおりに動く。
名前がないのは、道具だから必要ないという意志の現れだった。
(言葉は養父と会話するために必要だった。生活していくために村人の行動を目で盗んだ)
少女には学がなかった。
家に置いてくれる養父に従うのが当たり前であり、女が人間として見られないことに疑問を抱かなかった。
名無しの娘とはつまり、人間ではない。
今まで養父なりに育ててくれたと思っていたが、所詮は道具を売るためでしかなかった。
「村に渡さなければ私は……」
「それだっての! ヤツらふざけやがって……どれだけ苦労したと思ってんだ! 巫女の貴重さをわかってねぇヤツらばっかりだ!!」
巫女とは減少傾向にあり、非常に貴重な存在らしい。
齢が満ちなければ巫女として立つことも出来ないので、そもそもの才能を見過ごされる場合も多い。
希少価値の高さから巫女を専門とした売人がいるほどだった。
「巫女として売れば遊び尽くせねぇほどの大金が入るはずだったてぇのに! たかが凶作で生け贄が必要だからと弱みを付け狙いやがった!!」
「……たかが?」
その言葉に内側がぶるっと震えた。
これはなんだろう。
静かに、ゆっくりと、確実に。
フツフツとした感情が近づいてくる。
たしかに生け贄として少女を犠牲にした村人の罪は大きいのかもしれない。
これまで多くの女性が悲痛に叫び、苦しみに焼かれてきた。
その怨念だらけの身体が月冴のもとにたどり着き、月冴の身を縛り続けた。
(あんまりだわ……)
ただ生きたいと。
誰もが生きたいと願い、神にもすがる思いだった。
冬を越せるだけの豊かさがないと、細々と生きられればと。
切実な思いを惑わすのは形だけの金銭。
硬貨と引き換えになるのが生命だった。
その現実に少女はもう、養父に同情の気持ちすら残っていなかった。
「ありがとう、おじさん。私はもう大丈夫。私のことはその名のとおり、どうか忘れてください」
「お前……」
「さよなら」
少女は一度も振り返ることなく、養父に背を向けると黙って見守ってくれていた月冴に手を伸ばす。
やさしい温度が指先に触れると目頭が熱くなった。
確認なんていらない。
風が巻き起こり、私は月冴と一緒に帰りたい場所を思い描いた。
あの広いばかりの御屋敷をやさしい想いで満たしたいと。
目を閉じて一心に月冴の幸せを願った。