正装して舞台の上で舞う瑞祥さんを観たのは初めてだった。

月明かりの下、聖仁さんの手を取って軽やかに舞う姿は月から舞い降りた兎なんかでは表しようがなく美しかった。あえて例えるなら月兎なんかじゃなくて月の女神様だ。

満月を背景に月光を編むように舞が紡がれていく。培われた技術と経験が踊りに深みをもたらして、誰もが息をするのも忘れて魅入っていた。

去年は色んな人が私の舞をほめてくれたけれどこれは比べ物にもならない。

一年後、私はまたあの舞台に立つ。あんな風に誰も外気を飲むような舞を奉納できるんだろうか。


舞が終盤に差し掛かる。月兎の舞は後半になるにつれ雄兎と手を取り合って舞う振付が増えていく。手の位置を目視で確認せず取り合わなければならない。

まるで最初からそこにあったかのように、二人の手は探るまでもなくお互いを見つける。呼吸のように自然な所作やってのける二人だけれど、私と天叡さんはそれがどれだけ大変なのか知っている。

最初の頃は、お互いの顔や胸に手をぶつけては「ごめんなさい」とよく謝り合った。



二匹のうさぎがじゃれ合うように二人は橋の上を翔ぶ。まるで本当に夫婦のように寄り添いながら、気遣いながら。


きっとこの二人の舞が美しいのは、技術や経験だけじゃない。

何年も何年も隣に立ち続けた二人だからこそ、お互いを想い合う二人だからこそ私たちは感動するんだろう。