言祝ぎの子 陸 ー国立神役修詞高等学校ー



────今の俺からすれば想像もつかないだろうけど、俺の幼少期を知っている人たちに俺の事を聞けば、みんな口を揃えて「泣き虫」だったと言うはずだ。


叔父の鬼三郎が宮司に選ばれて199年、次の宮司となる妖が神託によって選ばれることはなく、神職たちに焦りが出始めた頃、叔父は丁度就任200年目となるその年に0歳から10歳の子供の中からとりわけ妖力の強い子を二人選んで宮司候補として育てることに決めた。

それが俺と鬼子だ。

それがどういう事なのか当時はよく分かっておらず、両親がたいそう喜んだことといつもは少し怖い叔父が「頑張ろうな」と頭を撫でてくれたこと、里中の人達が俺に声をかけてくれることが純粋に嬉しかった。

当時自分は三歳で朝から晩まで里の子供らと遊び回っていた時期だった。それが急に友達や親から引き離されて修行が始まり、初めの頃はそれはそれは毎日泣き叫んでは大騒ぎだったらしい。

お頭には朝昼晩と「八瀬童子の頭になるやつが泣くんじゃねぇ!」と殴られた。半年も経てば殴れるのが痛くて怖くて我慢することを覚えた。辛いだとか嫌だとか寂しいだとか遊びたいだとか、頭領になること以外の事を考えないようにした。

元から感情の起伏が大きい性格ではなかったけれど、その頃から両親は「鬼市が何を考えているのか分からない」と俺を酷く心配するようになった。お頭は泣かなくなった俺に「それでこそ鬼の子だ!」と喜んだ。

前よりかは稽古が辛くなくなった。