言祝ぎの子 陸 ー国立神役修詞高等学校ー


何で鬼市くんは真面目な顔をしてそんなどうでもいいことを……!

そのせいで恵衣くんは耳まで真っ赤にして怒っている。


「ここが偶然空いてたから座ったんだろ!? 普通に考えて、男二人の間にわざわざ座るやつがあるかッ」

「嘉正の隣も空いてんだろ」


顔を向けるとニッコリ爽やかな笑みを浮かべた嘉正くんが、自分の隣の空いているスペースをトントンと叩く。

駄目だ、普段は制止役の嘉正くんまでもが完全に面白がってる。


「別に俺は座る場所なんてどこでもいいんだよッ!」

「へぇ……」


鬼市くんが目を細める。何かを試すような目だ。最後は「まぁいいけど」と呟いて何事も無かったかのように話を再開する。

やりきれない怒りでぶるぶると拳を震わせた恵衣くんは、分かりやすく不機嫌な態度で座り直した。怖い顔で地面を睨みつけているので今は話しかけない方が良さそうだ。

恵衣くんへの説明は後回しにして、話の輪に戻る。


「構成はこれでいいとして、神饌をどうするかだね」


そうだね、と息を吐く。

神事では神様にお供えする食べ物や飲み物、神饌が必須だ。飲み物はお酒か水、食べ物はお米や川魚、野菜などがあるといい。


「前に井戸の神事をした時に、料理酒とチンして食べるパックのご飯でやったよね」


くくくと喉の奥を震わせて来光くんがメガネを押し上げる。

懐かしいなぁと頬を緩めた。




あれは一年生の夏休み。使われなくなった病棟で起きる怪異を解決して欲しいという依頼を受けた薫先生が、実習がてら私たちに任務を手伝わせた時のことだ。

原因が井戸にあると判明し、井戸埋立清祓(いどうめたてきよはらい)の神事を行うことになって神事に必要な酒と米を急遽コンビニで揃えた。

薫先生は「こういうのって気持ちだから」と笑っていたっけ。


「小遣い出し合えば、何とかなるだろ」


慶賀くんの提案にみんな頷く。


「あとは場所と日程やな。社務所に神事の企画書と申請出せば、早くて二週間後には本殿使わせてもらえるやろ」


二週間後か、と鬼市くんが難しい顔を浮かべる。

確かに平時なら準備なども含めて二週間後くらいが丁度いいかもしれないけれど、鬼市くんは今日祈願祭を一人で行うつもりだったくらい焦っている。

自分にできることは今すぐにでもやりたい思いなんだろう。

どうにかして早められないかな。


「あ……そういえば鬼市。今週末、里で新嘗祭(にいなめさい)やる、でしょ」


瓏くんのつぶやきにみんなが顔を合わせる。そして。


「それだ!」








新嘗祭(にいなめさい)

豊作祈願祭。








連日分厚い雲に覆われていた昨日までが嘘のような晴れた夕暮れの空に、八瀬童子の紋の入った提灯が揺れる。もう数時間もすれば、提灯に火が灯るだろう。


「おらおらガキ共! タダでうちの本殿を使わせてもらえるなんて思うなよ、さあ働け!」

「人遣い荒すぎだろ鬼三郎(きさぶろう)さんッ!」


ガバガバと笑いつつ自分も忙しそうに走って消えていった鬼三郎さんの背中に、慶賀くんがそう叫んだ。

叫ぶ元気があるならこれ運んでください、巫女頭に追加の箱を渡された慶賀くんはグエッと叫んでその場に崩れる。


「おい慶賀、潰れる前にそれ運べよ!」

「潰れる暇あるなら動いてよね!」


無慈悲な泰紀くんたちの怒号にしくしく涙しながら立ち上がった背中には悲愴感が漂う。可哀想ではあるけれど仕事はまだまだあるので、早く立ち上がってくれた方がありがたい。

涙目の慶賀くんと目が合ったので、頑張って!と声をかけて社務所を飛び出した。

絶好のお祭り日和で迎えた八瀬童子の里の新嘗祭(にいなめさい)。私たちは金曜日から里に泊まり込み、祭りの準備を手伝っていた。


「巫寿、すまん一個持ってくれ」


三つ重ねたダンボールを持って倉庫から現れた鬼市くんに「わっ」と悲鳴をあげる。慌ててひとつ受け取ると、なかなかずっしりしていた。ダンボールの影から鬼市くんの顔が現れた。


「危ないって鬼市くん……! 誰かとぶつかったら大惨事だよ」

「悪い。重さ的には問題なかったから持ち上げたら、不覚にも視界をやられた」


視界をやられたって大袈裟な。

くすくす笑いながら並んで歩き出した。




「悪いな、色々巻き込んで」


申し訳なさそうに眉をひそめ、細めた目で遠くを見つめながら呟く。


「手伝うって言ったのは私達だし、謝らないでよ」

「そっか、ありがとな。瓏にも感謝伝えないと」

「だね。一番の功労者だし」


祈願祭をしようという話になって場所に困っていた私達は、瓏くんが八瀬童子の新嘗祭が近日中に行われることを思い出してくれたおかげでとてもスムーズに準備が進んだ。

新嘗祭ではもちろん祝詞奏上が行われるのでお供えも神具も用意される。その後に続けて私たちの祈願祭を行うことで、場所や日程の問題だけでなくお供えや神具まで揃ったという訳だ。

八瀬童子属の現当主で宮司である鬼三郎さんに相談したところ、前日から祭りの運営を手伝うことを条件に了承を得ることが出来た。

そういう訳で私たちは今、社を借りるために容赦なくこき使われているという訳だ。


「ああ、そうだ巫寿。祭りが始まったら交代で社頭を巡回するくらいしか仕事がないだろ。手が空いてからでいいから、ちょっと付き合ってくれないか」

「鬼三郎さんに何か仕事でも頼まれたの?」

「いや、付き合って欲しい場所がある」


場所?

療養所だろうか。前回訪ねてからそんなに時間は空いていないけれど、もしかしたら容態が悪くなった患者さんがいるのかもしれない。

分かった、と頷くと鬼市くんはどこか嬉しそうに頬を緩めて目を細めた。





「おい、巫寿」


鬼市くんと雑談を続けていると後ろから名前を呼ばれた。振り向くと横笛を手にした恵衣くんが相変わらずの険しい顔で私を見ている。


「恵衣くん。どうしたの?」

「巫女頭が、神楽殿が空いたからリハーサルしたいなら使っていいって。俺は今から笛の練習するけど」

「ほんと? じゃあ私も練習したい。これ置いたら向かうね」


ひとつ頷いた恵衣くんはちらりと鬼市くんに視線を送る。


「鬼のくせにそんな物も一人で持てないのか」

「幽世では最近そういうのを妖ハラスメントって呼んでるぞ」


ち、と舌打ちした恵衣くんは顔をゆがめて視線を逸らす。眉間に彫刻張りの深いしわを刻んで大股で歩いていった。

見えなくなった背中に、鬼市くんが呆れたように溜息をこぼす。なんかごめん、と肩をすくめると小さく首を振った。


「自分の気持ちにも気づかずに焦って奪うことに必死なやつは俺の敵じゃない」

「えっと……なぞなぞ?」

「まぁそんな感じ」


不思議な言い方をする鬼市くんにふぅんと相槌を打つ。

でも俺の敵じゃないってことは、いずれは仲良くできるってことだろうか?




荷物を運び終えた後、練習のために少しの間抜けることをみんなに伝えて回って神楽殿へやってきた。

入口の引き戸の傍にある下駄箱には雪駄がふたつ並んでいる。恵衣くんだけかと思っていたけれど、どうやらもう一人いるらしい。

よく確認すると私と同じかかとに神修の校章がはいっている指定の雪駄と、鞍馬の神修のもので、中にいる人物を思い浮かべて心は一気に曇り空、どんよりと重くなる。

ため息を何とか飲み込んで一礼し中へ足を踏み入れる。


「あっ、巫寿ちゃんや!」

「巫寿ちゃ〜ん!」


賑やかな声がしたかと思うと、どたどた遠くから走ってきた子供たちによってあっという間に囲まれる。八瀬童子の里に通うようになって仲良くなった庇翼院(ひよくいん)の子供たちだ。

思い返せば靴箱の下段には小さな下駄がいくつかあった。


「みんなこんばんは。どうして神楽殿に?」

「違うで巫寿ちゃん! いい月夜ですね!」

「そうや! いい月夜ですね、やで!」


そうだった、と肩をすくめる。幽世での挨拶は「こんばんは」ではなく「いい月夜ですね」が好まれる。

いい月夜ですね、と言い直しもう一度尋ねると子供たちは興奮気味に振り向いて指をさす。


視線を向けるとこちらに背を向けて悠久(ゆうきゅう)の舞を練習する鬼子ちゃんの姿がある。




「鬼子ちゃんが、大人しくするなら見ててもええって」

「巫寿ちゃんも鬼子ちゃんの舞見に来たん?」

「鬼子ちゃんの舞は里で一番なんやで!」


なるほど、鬼子ちゃんの巫女舞の練習を見学しているのか。

一人の女の子にくいくいと袖を引かれて屈んだ。口元を隠したその子は私の耳に顔をちかづける。

あのお兄ちゃんめっちゃ怖いからうるさくしたらあかんよ、そう言って指さした先には横笛を構えて黙々と練習に励む恵衣くんが座っていた。

思わず吹き出しそうになったのを何とか堪えてその子の頭を軽く撫でると、恵衣くんたちに歩み寄った。


「ごめん、お待たせ」

「別にあなたの事なんて誰も待ってません」


間髪入れず背中でそう返した鬼子ちゃんに頬を引き攣らせる。

どうしてそんなトゲのある言い方しかできないんだろう。それにどっちかって言えば今のは恵衣くんに向けて言ったつもりなのに。

落ち着け落ち着け、と心の中で繰り返し「そっか」と笑う。貴重な練習時間なんだからつまらない喧嘩で無駄にしちゃダメだ。

一通り自分の練習が終わったらしく恵衣くんが顔を上げる。


「すぐにできんのか────って、何お前変な顔してんだよ」


恵衣くんに指摘され上手く笑顔が作れていなかったことに気付く。恵衣くんが指摘するくらいだからよっぽど妙な顔をしていたんだろう。

神聖な神事に私情を挟むのはよくない。神様を楽しませるための舞なのだから、邪念は払わなきゃ。

「何でもない」と答え、頬を叩き気合いを入れ直した。




どうせ隣に立って舞うだけですよね、だったら当日まで一人で練習します。

祈願祭で舞を奉納することに決まり鬼子ちゃんにその事を話しに行くと、参加は了承したものの舞の稽古は断られてしまった。

確かに月兎(げっと)の舞のように手を取り合ったり息を合わせる必要はないので、何日も日程を合わせて練習する必要はないのだけれど、本当にそれでいいのかは少し疑問だった。

まあでも恵衣くんの笛は録音された音を聞いているのかと思うほどに正確なので、音を気にする必要もない。

という訳で私と鬼子ちゃんが隣に並んで舞うのは今日が初めてだ。


奉納するのは悠久(ゆうきゅう)の舞。悠久の舞の歴史は意外と浅く、昭和に作舞された神楽舞だ。悠久とは「果てしなく続く」という意味があり、平和が長く続くようにという祈りが込められた ている。

今回の祈願祭にぴったりな演目だ。


「ほら。本番もこれだから握り潰すなよ」


恵衣くんが菊の花束を差し出す。

浦安の舞が巫女鈴を手に持って舞うのに対し、悠久の舞は秋の舞なので菊の花を持つ。黄色い花が舞台に映えて華やかなのに凛とした印象がある。

お礼を伝えながらそっと胸の前で受け取った。


鬼子ちゃんと並んで舞台の上に立つと、最前列に座った子供たちが瞳をきらきらさせながら手を叩く。

恵衣くんの音をよく聞いて、落ち着いていつも通りやろう。

ふぅ、と深く息を吐いた。