鬼市くんの案内で八瀬童子一族のお社へ着いた頃にはすっかり月は隠れ朝日が昇っていた。
客間でくつろいでいたみんなが、私たちの登場に驚く。
「巫寿! 大丈夫だったのか!?」
「不振な人物ってどういうことだよ!」
心配する皆に囲まれて、慌てて「大丈夫大丈夫!」と胸の前で手を振った。
あんなメッセージを送るから、と少しの恨みを込めて鬼市くんを見上げる。間違ったことは言ってない、とでも言いたげな顔で顔を背けた。
「て、あれ? 巫寿の兄ちゃん?」
「こんばんは。どうしたんですか?」
私の後ろに立っていたお兄ちゃんに気づいた皆が不思議そうに挨拶をする。皆とは学校行事で何度か顔を合わせたことがあるみたいで「おう、久しぶり」と片手を上げた。
「お兄ちゃんともうずめの社で会って……」
「そうだったんだな。あ、祝寿さんもマリパやります!?」
ちょうど皆でゲームをしていたらしく、慶賀くんがゲーム機を指した。お兄ちゃんは「悪い」と小さく手を合わせる。
「巫寿と大事な話があるんだ。また後でな」
「ちぇー、了解っす」
慶賀くんの頭をガシガシと撫でたお兄ちゃん。慶賀くんはどこか嬉しそうに肩を竦めた。
鬼市くんが用意してくれたのは離れの一番奥にある空き部屋だった。
「じゃあ俺はこれで。何かあったら呼んでください」
「ありがとな鬼市」
「いえ、祝寿お兄さま」
すっかり祝寿お兄さまが定着した鬼市くんに頭を抱える。むず痒いから本当にやめてほしい。
出してもらった座布団に腰を下ろした私達は、僅かな気まずさを抱えてお互いに向き合った。
「えっとそれで……父さんと母さんのことな」
気まずい沈黙を破るようにお兄ちゃんが口火を切る。
「結論から言うと、兄妹ってのは半分正しくて半分違う」
曖昧な言い方に眉根を寄せた。
「母さんは椎名家の長女で、父さんは椎名の分家から椎名家に養子に入ってる。つまり義兄妹ってこと」
想像もしなかった両親の出自に言葉が出てこなかった。
お父さんとお母さんが、義兄妹。
お兄ちゃんは話を続けた。
曰く、椎名家長女であるお母さん・椎名泉寿が生まれてから数年、男児どころか子供に恵まれなかった祖父母は倭舞の後継者をどうするかという問題に頭を悩ませていたらしい。
うずめの社の倭舞は創建時から椎名家が受け継いできた歴史ある舞、自分たちの代で他の一族に譲る訳にはいかないと考えた祖父は椎名の分家である是枝家から当時お母さんと歳も近く成績優秀だったお父さん・是枝一恍を養子に迎え入れたらしい。
養子になったからと言って、あくまで分家から引き抜かれた子供という立場のお父さんは、名目上お母さんの兄になったけれど実質はお母さんの付き人のような立ち位置だったらしい。
そんな生活にも文句ひとつ言わず、倭舞の稽古とお母さんのお世話に勤しんだお父さん。しかし数年後、お母さんの弟である和来おじさんが生まれたことでお父さんは椎名家にとって厄介な存在になってしまった。
これまでも良い待遇ではなかったけれど、それを機に拍車がかかった。流石のお父さんもこれには堪えたらしい。そんな時にそっと寄り添ったのがお母さんだった。
そうして苦しい時期を手を取りあって乗り越えた年頃の二人。恋心が芽生えるのは自然なことだったんだろう。二人は誰にも言わずにひっそりと愛を育んだ。
そこからは両親が結婚するまでの話は、以前禄輪さんに教えて貰った通りだった。
「……だから半分正解で半分間違いってわけ」
一通り話し終えたお兄ちゃんは深い息を吐いた。
あの時、禄輪さんがなぜ両親は結婚を反対されていたのか教えてくれなかった理由がやっと分かった。
「分家って言っても、是枝家はもうほとんど血の繋がりはないような家だよ……って言ってもやっぱショックだよな」
苦笑いをうかべたお兄ちゃんに小さく首を振った。
「確かにビックリしたけど……ショックだとかは思わないよ」
それは間違いなく本音だった。
確かに兄妹と聞いて凄く驚いたけれど、お父さんとお母さんが結ばれてなかったら私は今ここにはいない。
私にとってはお父さんとお母さん、それ以上でも以下でもない。
不安げな顔のお兄ちゃんに微笑む。
「私を愛してくれたのは、守ってくれたのは、お父さんとお母さんだから。過去に何があろうと、私は二人が大好きだよ」
目を瞠ったお兄ちゃん。瞳に水の膜が張る。赤い鼻をスンと鳴らして少し照れ臭そうに首を摩った。
「俺もだよ。大切な家族、ただそれだけだ」
「うん。ただそれだけ、だね」
顔を見合せた私たちはどちらからともなくくすくす笑った。
「お父さん達や椎名家との確執はよく分かったんだけど、お兄ちゃんの気持ちはどうなの? うずめの社ってかなり大きい社だし……」
「今更擦り寄ってくるジジィ共の相手なんてしないよ。金にも困ってないし、そもそも俺はこの界隈にどっぷり浸かるつもりはないからね。これまでと変わらず神職の任務は暇な時に貯金用の金を稼ぐための副業、本職の企業務めを続けるよ」
そんな名目で神職の任務を引き受けているなんて、きっとお兄ちゃんくらいだろう。
もうちょっとで三千万貯まりそうなんだよなぁ、とこぼしたお兄ちゃんに思わずゴボッとむせた。
単純計算すればお兄ちゃんは副業で月五十万は稼いでそっくりそのまま貯金していることになる。実力がある神職ならフリーの方が稼げるという話を聞いたことがあるけれど、まさかそれほどまでだったとは。
これで副業なのがまた恐ろしい。
「お兄ちゃんって貯金とかちゃんとしてたんだね」
「当たり前だろ。巫寿がおばあちゃんになるまで養うつもりなんだから」
そんなん当たり前だろ、とまるで私が間違っているかのような顔で言い切ったお兄ちゃんに思わず天を仰いだ。
「祓詞」
清め祓い。
次の日の夜、目が覚めると見慣れない天井で八瀬童子の里にいることを思い出した。
そっか、私昨日から鬼市くんの実家に泊まってたんだっけ。
むくりと起きて枕元のスマホに手を伸ばす。時刻は20時、私たちの時間で言う朝だ。里のあやかし達はそろそろ活動を始めている頃だろう。
トークルームにメッセージが届いている。それに目を通しながら立ち上がった。
メッセージに書かれていた通りの道順に従って廊下を歩くと大広間に辿り着く。中からみんなの話し声が聞こえてそっと襖を開けた。
「お、巫寿が起きてきたぞ」
「おはよ、巫寿ちゃん。昨日は大変だったね」
「こっち座れよ」
食事の並んだテーブルを囲う皆に招かれて挨拶を返しながら席に着く。
「あれ、お兄さんは?」
昨日挨拶をしたからかお兄ちゃんの姿が見えないことを不思議に思ったらしい。
私が答えるよりも先に鬼市くんが口を開いた。
「祝寿お兄さまは朝方お戻りになった。今日は任務が入っているらしい。巫寿の事はお前に頼んだ、と任された」
「ふーん、そうなのか……って"お兄さま"?」
怪訝な顔をしたみんなに、「気にしないで」と小さく息を吐いた。
ていうかお兄ちゃん、お前に頼んだって何?
いただきます、と手を合わせて厚焼き玉子に箸を伸ばす。
「皆は今日どうするの?」
「帰るまで時間があるから、昨日気になったところを色々見て回るつもりだよ」
なるほど、昨日私が不在の間に皆は里の中を見て回ったらしい。
「巫寿は今日見て回るといい」
「わ、いいの? 嬉しい」
「俺はお頭に呼ばれてるから案内できないんだが、鬼子に頼んであるから」
「鬼子ちゃん……」
楽しみは一気に不安に塗り変わる。
どうかしたか?と尋ねられ力なく首を振る。
不安だけれどいい機会かもしれない。いつも喋りかける前に立ち去ってしまうから、今日こそちゃんと鬼子ちゃんと話すんだ。
「遅い。他にやることがある私がわざわざあなたのために時間を使っているんです。申し訳ないと思わないんですか」
待ち合わせ場所である社の鳥居の下。
約束の五分前に到着すると既に待っていた鬼子ちゃんに切れ長の目でじろりと睨まれた。
「でもまだ五分前────」
「喋ってないで足を動かしてください」
ダメだこりゃ、完敗だ。口を挟もうとすれば遮られ、私の話には一切耳を傾けてくれない。まずは口を聞いてくれる程度に打ち解けないと。
スタスタ先を歩く鬼子ちゃんの背中を慌てて追いかけた。
私のことは嫌いでも、鬼市くんから任された仕事はきっちりこなすつもりらしい。無駄話は一切しないものの本殿や神楽殿、里の共用施設などを丁寧に説明してくれて、私の質問に対しても分かりやすく簡潔に答えてくれた。
幽世に住む妖は、基本同族とひとつの里を築きひとつの社の宮司が長となり里を収める。今は鬼市くんの父方の伯父が八瀬童子の宮司であり頭領だ。次の宮司はまだ神託が降りていないので、鬼市くんと鬼子ちゃんそして初等部に通う男の子が宮司候補として神修に通っているらしい。
「ここが庇角院です」
ぐるりと里を一周して、最後に社の裏手にあった大きな一軒屋に案内された。
「庇角院?」
鬼子ちゃんは門の隙間から手を入れてかんぬきを開けると迷うことなく中へ足を踏み入れた。
玄関には向かわずそのまま庭へ回った鬼子ちゃんについて行くと、賑やかな声が聞こえてきた。
角を曲がるとたくさんの子供たちが庭で遊んでいる姿がある。子供達のひとりが私たちの姿に気が付き「アッ」と声を上げた。
「鬼子ちゃんやーッ!」
嬉しそうに目を輝かせたその子は一目散にすっ飛んでくるとそのまま鬼子ちゃんに飛び付いた。よろめくことなく受け止めた鬼子ちゃんは見たことも無いような満面の笑みでその子供を抱き上げる。
「ただいま」
「おかえりー! もう冬休み始まったん!?」
「もう、昨日も言ったでしょ? 宮司に呼ばれて帰ってきてるだけだって」
「そうやっけー!」
鬼子ちゃん鬼子ちゃん、とあっという間に彼女の周りは子供たちで囲まれる。
冷たい態度しか取られたことのない私としては、笑顔で愛想よくお喋りしている鬼子ちゃんが信じられない。
「なんですかその顔」
呆然としていると睨まれた。慌てて首を振る。
「賑やかやと思ったら鬼子か」
そんな声とともに縁側に現れたのは七十くらいのおじいさんだ。
鬼子ちゃんは嬉しそうに目尻を下げて頭を下げる。
「文鬼先生、お客さまです」
「なんや、また昨日のやつらか?」
文鬼先生と呼ばれたその人は私と目を合わせる。目が合うと目尻の皺を深くして微笑んだ。慌てて「初めまして」と頭を下げる。
「上がってもらい。冷蔵庫にプリンあるし、それも出したらええわ」
「いえ。そんな気遣いは無用です」
そう答えたのは私ではなく鬼子ちゃんだ。ふん、と鼻を鳴らしそそくさ縁側から中へ入っていった鬼子ちゃん。
それって本来、私が言うべき台詞なのでは……?
首をひねりながらその背中に続いた。