鳥籠の金糸雀 望まれし花嫁は歌で烏を癒す

 茜の罵声を背中に浴びながら、私は屋敷の奥にある自分の部屋に戻った。六畳程と、鷹宮の者としては狭いながらも裏庭に面した一室。私は布団の上で座り、途中になっていた針仕事を再開した。体を起こすことの出来る日にはこうやって針仕事の雑用をこなして過ごすのが、今の私に出来る唯一の仕事だった。

 しんしんと雪が降り積もる静けさの中、私はひたすら針を進める。そうしているうちに周囲を闇が包み込み、手元の小さな蝋燭の明かりだけでは徐々に手元が怪しくなってきた。

(……冬だから陽が落ちるのが早いわね)

 そんなことを考えながら私は縫いかけの半纏を脇に片付ける。そして誰にも聞こえないような小さな声で、歌を紡いだ。

 寝る前に少しだけ歌うのが、私の唯一の趣味。金糸雀の印を持って生まれてきたがゆえの定めとも言えるが、私は歌うのが大好きだった。すぐに声が掠れて出なくなるため、せいぜい一曲程度しか歌えないが……それでも私はこれを楽しむために日中は極力喋らずにいる。

 いつも通りそうやって歌を紡いでいた私であったが、突然裏庭からドサっと鈍い音が響いてきて、歌うのを止めた。

(何……!? 屋根に積もった雪が降ってきたのかしら?)

 何が起こったのか気になった私はゆっくり立ち上がり、肩に羽織をかけてから障子を開け、縁側に出る。そして雨戸を少し開けて外を覗き見た。冬の凍えるような空気が頬を刺す。

 特別何か変わった様子はないように見える。そう思って顔を引っ込めようとした瞬間だった。視界の端で、闇が動いた。

「──!?」

 目を凝らしてよく見れば、大きな黒い物体が庭石の向こう側にうずくまっていた。何かの生き物だと思った私は蝋台を持ち草履を出して庭に降り、恐る恐るその物体に近寄る。外に出るのがあまりに久々で、積もった雪に何度か足を取られ転びそうになった。

(羽根……?)

 周囲に落ちた数枚の漆黒の羽根。うずくまった黒い物体に蝋燭をかざして確認すれば、それは大きな鳥だった。怪我をしているのか、積もった雪には赤色の斑点模様も確認できる。

(大変! 鳥なのだったら、印の強い人間かもしれない。早く手当しないと)

 魂に刻まれた印の強さによっては、その姿すら鳥類に変化させることが出来る。弟の正行はその姿を鷹に変化することが出来ることから、鳥類に変化する人間には馴染みがあった。

 誰かに助けを求めなければ。そう思い背を向けた瞬間──私は腕を強く後ろに引かれて、雪に尻餅をついた。手に持っていた蝋台も地面に転がり火が消えて、辺りは真っ暗闇になってしまう。慌てて立ち上がろうとしたが、黒い羽根が後ろから包み込むようにして私を捕え、荒い吐息混じりの男の声が耳元で響いた。

「誰も、呼ぶな……っ」

 背中だけでなく頭の上にまで感じる存在感は、姿を視界に入れずともその体格差を物語る。更に私は閉じ込められて育ってきたため男性への免疫もない。思わず私は身を震わせた。

(怖いっ……こんな大きな黒い鳥、見たこともない! ……でも、怪我をしている人を放っておけない)

 だから私は勇気を出して、震える声で話しかける。

「あの、怪我……せめて部屋の中へ」
「……それより、歌を歌っていたのはお前か?」
「っと……、とても小さい声……ですけど」
「頼む。もう一度歌ってくれ」

 どうして歌えと言われるのか理解出来ない。困惑から私が黙ってしまえば、再び「頼むから歌って欲しい。もう一度聞きたい」と、繰り返された。

 仕方が無いので、私は彼の望み通りよくある童謡の一つを口にする。童謡なので、大した長さではない。それにこの状況なので、声は震えてしまっている。しかしそれをこの男性は、私を捉えたまま黙って聞いてくれる。

 童謡を歌い終わる頃には、私を捉えて拘束している鳥の羽はすっかり人間の腕に戻っていた。仕立ての良さそうな外套に包まれたその腕だけで、洋装をするだけのお金も身分のある人だと分かる。しかし緊張が解けてしまったのだろうか? 私に全体重を掛けるようにしてもたれ掛かってくるので、非常に重い!

「ゃ……おも……いっ」
 私は半ば意識を失いかけていたその男性を必死に部屋まで引きずり上げた。そして私の布団に横たえる。

 その男性は精悍な顔付きで、年頃の娘らしい感性を持つ茜あたりが見れば、黄色い悲鳴を上げそうな程だった。胸あたりまで伸ばした艶のある黒髪はきっちり一つに纏められていた様だが、私が無理やり運んだせいで乱れてしまっている。服装からすればどうやら軍人のようだが、私にはゆっくり人間観察をしている余裕は無い。

(も……無理、倒れそう……)

 体力の無い私は、彼を運び込んだだけで既に限界だった。それでも自分に喝を入れて、男性の傷口の様子を確認することにする。外套と軍服を捲ると白いシャツの腹部は真っ赤に染まっていた。非常事態だと認識した私はシャツのボタンも外し、その肌を確認したのだが……どこにも傷はない。

「え……? どうして……」

(服がこんなに血まみれなのに?)

 全て返り血なのかと思ったが、それだと雪の上に血模様が残るのは違和感を覚える。

 容姿が整いすぎていた件もあり本当に人間なのかと訝しんで、鍛えられた腹筋にそっと手を当ててみる。それは自分の体と同様に温もりのある、人としてなんら変哲の無い肌だった。

 ◇

 翌朝。私は屋敷に仕える馴染みの家政婦の悲鳴と、去って行く足音で目覚めた。……非常に体が重くて、目を開けることすら出来ない。

(体が全然言うことを聞かないわ。昨日無理したせいか、喉が痛い……)

 そういえば昨日の彼はどうなったのだろうか。どこにも傷が見当たらなかった事は覚えているが、その先の記憶がない。看病せずに寝てしまうなんて情けないと考えつつ、やっとの思いで瞼を上げれば……私は自分の布団に横たわっており、彼の姿はどこにも無かった。

「──ぇ」

 動揺から、思わず声が漏れる。まさか夢だったのだろうかと周囲を見渡せば、畳の上に無造作に脱ぎ捨ててあった私の白色の羽織には、血がべっとりと付着していた。……きっと家政婦はこれを見て慌てたのだろう。やはりあの男性はどこかを怪我していたのだ。

(夢じゃない……あんな大きな黒い鳥は見たことがないし、あの人は誰だったのかしら)

 その後家政婦が引き連れてきた医者に、羽織の血がどこからの出血か問い詰められたが。私は声が出ないふりでなんとかやり過ごした。蔑まれていても、私は鷹宮家の長女なのだ。男を部屋に連れ込んだなどと噂されては困る。もっと問い詰められるかと思ったが、あの男性を救出するのに体力を使い果たしたせいか、午後から高熱でうなされる羽目になり。……結果、追求は免れた。
 追求は免れたが高熱で三日三晩苦しみ、やっと症状が良くなってきた二週間後。私は妹の茜と共にお父様に呼び出された。この面子で話など、きっと碌な話ではない。お父様が胡座をかいて座る正面に、茜と二人で正座して向かい合う。

 そしてやはりお父様の口から飛び出してきたのは、衝撃的な内容だった。

「四大名家の一つ、暁烏(あけがらす)家の当主から手紙が届いた。鷹宮の娘を嫁に貰い受けたいと」
「私は帝の側室候補として既に名前が挙がっている身。そんな、鷹宮家の政敵とも言える暁烏家になど、嫁ぎたくありません!」

 四大名家は帝のために一定の協力関係にあるが、それでも代々重要な役職を奪い合うようにして競ってきた。しかし鷹宮家はここ何代か帝の正妻の座も逃し、印の強い者も近年少なかったことから帝の身をお守りする役職に就く男も減少傾向にある。……鷹宮は血が薄まり、没落の道を歩み始めたと、影では噂されている。

 現在の帝は四十歳手前。まだ世継ぎとなる男児は居ない。最後のチャンスとも言える茜にかける期待は、そんな状況の鷹宮だからこそ極めて大きい。

 しかし鷹宮には、残り物の私を暁烏に差し出すのが躊躇われる理由が存在する。

「しかし茜、それは和音が居てこそ成り立つ話だ」

 お父様は渋い顔でそれを暗喩する。私が暁烏に嫁ぐことになれば、禍津日神の贄となる別の人間が必要となる。鷹の姿になれる程強い印を持つ正行も、帝の側室に選ばれる可能性を持った茜も、お父様が贄として差し出したくないと思っているのは明白であった。

「嫌よ、絶対に嫌! 私は贄になるのも、暁烏に嫁ぐのも嫌!! だって暁烏の当主は、人情の無い冷たい人だって噂だものっ」

 茜が反発したくなる気持ちは理解できるが、そもそも暁烏からの申し出を断ることは出来ないのだろうか? そんな疑問を持ち首を傾げれば、お父様がその理由を話し出す。

「実は正行が、仕事上で大変な失敗をしてな。暁烏の当主である志成(もとなり)様が、正行のせいで大怪我を負ったらしい。治療の甲斐あって助かったが、相手が相手。二十五歳と年頃の志成様が求めた賠償が、嫁というわけだ。実質、茜が帝の側室になるのを妨害する目的だろう。側室という札を持った我々が気に食わないのだろうな」
「正行の馬鹿、なんてことを……!」
「茜、馬鹿呼ばわりはやめなさい。鷹宮の次期当主は正行なのだから」

 お父様に嗜められた茜は、キッと私を睨みつける。

「和音姉様が全て悪いのよ! 正行がとんでもないミスをする時は、大抵和音姉様のことで思い詰めている時だもの。ただでさえお荷物なのに、次期当主と側室候補の邪魔までするなんて。さっさと消えてよ、疫病神!」

 お父様は茜の罵倒を止めない。それを概ね事実だと認めているからだろう。私は申し訳ない気持ちで、自分の膝へと視線を下げた。

「それで、だ。仕方がないから和音が暁烏に嫁ぎなさい」
「お父様! じゃあ私は──」

 茜がワッと泣きながらお父様に詰め寄る。

「心配するな。暁烏はきっと、和音を寄越されるなんて思っていない。体の弱い和音では伽の相手すらままならない。早々に離縁し突き返してくるはずだ。戻ってきたところを、禍津日神に贄として差し出せば良い」 

「──ははッ! お父様、なんて悪いお人なのかしら。贄にする前の和音姉様を嫁がせるなんて」
「暁烏には鷹宮の娘としか言われていないからな。約束は違えていない」
「──暁烏の皆様、怒らないの……?」

 向こうは正行の失敗の賠償を求めているのに、そこへ私なんかを突き出したら怒りを爆発させるのではないだろうか。そう心配した私だったが、その発言が気に食わなかったのであろう……嫌悪感で顔を歪めた茜が、手の内にボッと火を出して私の方へと放った。癖でくるりと巻いた髪の一部に火が燃え移る。

「きゃっ……!」
「和音姉様はいつも通り、黙っていればいいのよ!」
「茜、火は辞めておきなさい。和音はちょっとしたことで体調を崩す。火が原因で死なれては、今まで生かしてきた意味がない」

 お父様に注意され、茜は火を鎮める。焦げてしまった髪が彼らの言いなりになるしかないのだと告げているような気がした。

「……和音、出来るな?」

 私には、頷く以外の選択肢は残されていなかった。

 お父様は暁烏に「すぐにでも茜を嫁がせよう」と返事をしたらしい。お相手からもそれを是とする回答が来たために、私は婚約も何もかもすっ飛ばして、二週間後に祝言を挙げることとなった。

 
 祝言の日の前夜。珍しく私の部屋を訪れた茜は、私の髪を引っ掴んだ。そして頭の上から茶色の液体をかけられる。

「──痛ッ」

「私の代わりに嫁ぐのだから、これくらい我慢してもらわないと困るわ。折角和音姉様のために髪染め液を買って来たのに」

 茜の手に握られていたのは、一時的に髪を染めるという染料だった。髪から滴った液がぽたりと垂れて、畳を汚す。液体が付いた皮膚がひりつくように熱くて痛い。

「髪くらい染めておかないと、すぐにバレるわ。志成様と祝言を挙げる前に返品されては困るの。お前達、残りをちゃんと染めておいて。水で洗うと簡単に取れてしまうようだから、きっちり染めておくのよ」

 連れてきていた馴染みの家政婦達に、髪染め液を放り投げるようにして渡した茜。そのまま高笑いと共に去っていく彼女とは……嫁いで暫くは会わずに済むだろうか? 溢れそうになる涙を我慢する私は、それだけでも暁烏に嫁ぐ意味はあるように思えた。
 まだ寒さが厳しい、梅の花がほころび始めた頃。青白い肌に紅をさして、茶色に染められた髪は結いあげ綿帽子で隠して。痩せて細身の体は白無垢に包まれることで誤魔化されて、私は暁烏に嫁ぐ。その日私は初めて鷹宮の屋敷から外に出た。

(それにしても、暁烏のお屋敷も凄く立派ね……鷹宮より広いのではないかしら)

 暁烏の屋敷に圧倒される私を笑顔で迎え入れてくれるのは、闇を司る暁烏らしい、黒の色彩を纏う人たち。烏というだけあって噂通り狡猾で冷たい人達なのかと思いきや、皆積極的に私に話しかけてきてくれる。無理をすればすぐに声すら出なくなってしまう私は、返事を返すことも出来ずに視線を下げた。

「まぁ小柄で可愛らしい人。緊張しているのかしら」
志成(もとなり)様が自ら望んだのだとか。あの仕事一辺倒な志成様が惚れるなんて、よほどの美人か気立の良いお嬢さんなのだろうね」

(あぁ……この人たちは、私が『茜』だと思って、これほど笑顔で迎えてくれているのね。茜は鳶色の髪が自慢の美人だし、志成様が一目惚れしてもおかしくないわ)

 騙してしまっているのが申し訳なくて、心臓がキュッと締め付けられるような心地だった。しかし祝言が終わるまで正体がバレてはならない。私は俯いたまま当主である志成様の元へと案内された。


 志成様は、移り白の梅の元で私を待ってくれていた。私は、恐怖と緊張と疲労で俯いて……そんな美しい梅も彼の顔も見られない。

「久しぶりだな。元気にしていたか?」

 若干過呼吸になり始めた私に掛けられた言葉は、冷酷という噂とは真逆の優しい響きだった。思わず顔を上げれば、黒の瞳と視線が交わる。

 全くの初対面の人に嫁いだはずなのに……私は、この人を知っている。目をまん丸にして、ゆっくりと大きく瞬きをする私を見た彼は、フッと表情を緩めて笑った。

「俺の金糸雀は物静かだな。またあの歌声を聞かせてはもらえないか」

 伸ばした黒髪を一つに纏めた、精悍な顔の男性。キリッと整った顔の作りはむしろ恐ろしささえ感じるが、口調には親しみが込められている。
 そして間違いなくこの男性は──あの夜出会った黒い鳥の彼。暁烏の紋の入った紋付き羽織袴は、間違いなく彼が婿であり、志成様であることを示している。

「志成、様……」
「何だ? ……あぁ、寒いのか。まだ真冬の寒さだからな。体が弱いのは知っているが、どうにか祝言の間は頑張ってくれ。ほら、手を握って温めてやるから」

 志成様はそう言うと私の両手を包み込むように握って、ハァっと息を吹き入れるようにして温めてくれる。
 茜は体が弱くない。志成様の言動は明らかに私が「和音」であると理解していた。

「これで少しはマシになったか?」

 私はこくりと頷く。
 ……その温かい吐息が、私の冷え切っていた心まで温めてくれたような気がした。
 私は志成様の花嫁として迎え入れられた。
 顔を上げて周囲をよく見てみれば、志成様だけでなくて、その周りにいる暁烏の人々も『和音』である私を歓迎してくれている。
 詳しい事情は分からない。それでも志成様は……動揺から手を滑らせて酒を交わす杯を落としそうになった私に、怒ることすらせず。ただ笑って「今からそのように動揺していれば、夜にはどれだけ慌てるのだろうな?」と揶揄う。早ければ今日にも志成様を失望させて離縁への第一歩を踏み出すつもりでいた私は言葉に詰まり……魚のように口をぱくぱくさせてしまった。

(どうして志成様は私が嫁いで来ると知っているの……?)

 そんな気持ちで迎えた午後九時。場所は夫婦の寝所として用意された部屋の布団の上。いかにもな二つ並んで敷かれたそれの上で、白の寝巻き姿で座っていた私は……息を呑んだ。

「さて、邪魔者はいない。ゆっくりと、事情を教えて貰おうか」

 私の目の前でスラリと抜かれるのは、刀。脅すつもりなのか、志成様は右手で抜刀した刀を持った状態で、私を押し倒した。目の前で月の光を反射するそれは、紛う事なき真剣だ。

 湯を使ったので、すっかり私の髪は元通りの金色。まだ少し湿り気を帯びたこの髪は、私が茜ではないことの証。
 情緒や甘さの欠けた雰囲気は、少しばかり期待してしまっていた私の心を突き落とした。

(皆の前では鷹宮の面子を立ててくれたのね? そして二人きりになったところで、私を脅して事情を聞こうと。……恥ずかしいわ。私自身を受け入れてくださったのかと勘違いしてしまうなんて)

 期待するから落胆する。初めから期待しなければ、何ともないはずだったのに。
 私はそんな気持ちで、黙ったまま志成様を見上げた。

「……やはり、だんまりか。これだと実力行使に出るしかない」

 そうやって睨まれても、何からどう話せばいいのか分からないのだ。言葉を選んで喋らなければ、すぐに声すら出なくなってしまう。
 黙って震えている私を見て、彼はため息を溢した。

「仕方がないな……予想に基づいて、やるしかないか。──滅せよ」

 刀に黒い靄が掛かる。何だろうと思ったその瞬間──ザンッと鈍い音を立てて、私の首元ギリギリを狙い、刀を突き立てられた。背中に感じた衝撃から、布団を貫通して畳にまで刀が突き刺さったのだと分かり……お腹の奥がひゅっと冷たくなる。それと同時に、今まで常に感じていた体調不良という重しがフッと軽くなるのを感じた。これが火事場のなんたらだろうか。

(こ……殺される前に、逃げなきゃ!)

 殺されるわけにはいかない。私は鷹宮のために、贄として、生きて帰らなければならないのだから!

「お許しください! 嫁いできたのが茜でなくて残念に思われたのも、弟の正行がご迷惑をお掛けしてしまったのも重々承知しているのですが! どうか寛大なお心でお許しを──」
「喉に纏わりついた呪詛を断ち切った瞬間にこれか。先程までの物静かな金糸雀はどこに消えたのやら、な程によく喋るな」
「──お願い、殺さないで……え、呪詛? あれ……声が出る」
「楽になったか? やはり喉にかけられていた呪詛のせいで、あまり声が出なかったのだな。予想が当たっていてよかった」
「え……? えっと、嫁いできたのが茜ではなくて、怒りで私を殺そうとしたのでは……?」
「まさか!」

 志成様は私の首元すれすれに刺さった刀を引き抜いて、鞘に仕舞う。そしてそれを畳の上に置いて、私に両掌を向けた。

「何やら勘違いしているようだが、俺には和音を傷つける意思は無い。あと俺が花嫁に望んだのは、和音。君自身だ」
 戸惑う私に、志成様は一から説明してくれた。布団の上で向かい合って座り、彼は真っ直ぐに私を見つめ、事情を話す。

 私達が初めて出会ったあの夜。志成様は帝を狙う怨霊を祓うために、任務についていたらしい。軍の中でも特殊な、帝をお守りする部署『近衛府』の少将としての位を持つ志成様は、同じく近衛府に所属する正行を伴って、空から警戒を行っていたようだ。

「警戒は基本的に二人一組。俺や正行のように、印が強く鳥の姿を取れる者が務めることが多い」

 志成様はそう述べると、サッとその姿を大きな黒い鳥に変えた。正行が鷹になる姿を見たことのある私には、その変身自体には大した衝撃はない。……しかしその脚が三本あるのを見て、目を見張る。

「暁烏というだけあって、烏なのでしょうが……志成様は『八咫烏』なのですか?」

 八咫烏は遥か昔、神話の時代から、各所で帝を導いた伝承の残る伝説の鳥である。

「よく知っているな。俺は烏は烏でも、八咫烏の印を持つ。暁烏の血筋には時折生まれるのだが、俺のように姿を八咫烏に変えられる程の者が生まれるのは非常に珍しい」

 私があの夜「見たことの無い鳥」だと思ったのは正しかったのだ。足を見ずして八咫烏だと気がつくのは難しいし、ただの烏にしては大きすぎるので暁烏家の人だとは予想もつかない。

(きっと優秀な上、八咫烏の印を持つから、若くして少将という位についていらっしゃるのね)

 志成様は私への説明のためだけに八咫烏の姿を取ってくれたようで、その説明が終わればさっさと姿を人間に戻した。

「そしてあの夜。君の弟である正行は、あろう事か襲来する怨霊の数と方角を間違えて俺に伝えた。それを一瞬信じた俺も馬鹿だったが、その一瞬が時に命取りとなる。敵が放った瘴気が脇腹を掠めて……怨霊は倒したものの、脇腹を瘴気が侵食して厳しい状況だった」
「申し訳ございません。正行の不注意で……」
「体内に入り込んだ瘴気は、陰陽師か『光の皇族』でなければ祓えない。暁烏には陰陽師が居るから屋敷を目指して飛んだのだが……そんな時、君の歌が聞こえた」

 聞こえる訳がない。だって私の声は小さくて、部屋の外にも漏れない程度だったはずなのに。

「聞こえたのは一瞬だったが、腹に蔓延った瘴気がじわりと飛ぶ感覚がした。だから俺は藁にも縋る思いで、歌声が聞こえた場所に降り立った。……その先の流れは、和音も知っているだろう?」

 私は頷く。彼に求められるがまま歌い、介抱しようとしたのに……その腹部に傷は無かった。 
 傷が癒え目が覚めた志成様は、側で倒れていた私を布団に寝かせてくれて……暫くの間、私の状態を観察していたらしい。そして喉に掛けられた呪詛に気がついたのだという。呪詛は、誰かが術具を使ってその人を非常に強く恨み掛けるもの。そんなものを纏っていれば、体に悪い影響が出るのは避けられない。

「鷹宮の、体の弱い贄姫。存在は知っていたが、それが歌で瘴気を祓い傷を癒す力を持った金糸雀だなんて初耳。繊細な金の色彩と美しい歌声にすっかり魅了されてしまった。と同時に、鷹の印を持つ弟妹より希少価値の高いであろう和音を、どうして呪詛も解かぬまま禍津日神の贄としようとしているのか理解できなかった」
「私の喉にかかっていた呪詛は、それほど目立つものだったのですか……?」
「ああ。力が落ちている鷹宮であろうとも、あれほど念入りに掛けられた呪詛に気がつかない訳がない。特に正行なら和音の首に纏わりつく呪詛が見えたはずだ」

 鷹宮を後にした志成様はすぐさま近衛府に戻り、正行を問い詰めたらしい。しかし正行は取り乱し「和音姉様は僕が助けるんだ!」と叫ぶばかりだったと言う。
 志成様は、優しく私の首筋に手を添えた。

「ひとまず闇の力を纏わせた刀で無理やり呪詛を断ち切ってみたが、体調はどうだ? 声は随分と出るようになったみたいだが」
「あ……実は驚くほど体が軽くて。これだけお話しても、声が枯れることもないなんて……初めてです」
「やはりか。信じたくないかもしれないが、和音はずっと『体の弱い子』に仕立て上げられていたのだろう。あえて呪詛をかけて、自ら望んで贄になるように、仕向けられていたんだ」

(私は体が弱いから贄として生かされたのではなくて、贄にするために弱らされていたの?)

 すっかり声は出るようになったにも関わらず、ショックを受けた私の口からは声が出なかった。
「金糸雀は周囲の環境で簡単に健康を害して死んでしまう鳥だ。体の頑丈さが売りの鷹宮からすれば、呪詛程度でそこまで弱ってしまうとは思わなかったのかもしれないが。今まで……辛かっただろう?」

 体が弱い自分が当たり前だったが、苦しくなかったと言えば嘘になる。一人高熱にうなされながら、自室の竿縁天井をぼんやり見つめ続けた時間は……孤独で、寂しくて、苦しかった。

 ただ鷹宮に相応しくない印を魂に刻んで生まれただけで、十九年間も意図的に私の健康が奪われてきたのであれば──

「──贄になるのは受け入れますが、普通に歌える程度には元気でいたかったです」

 こんな時まで歌っていたかったと考えてしまうのは、私が金糸雀だからだろうか?
 苦笑いで誤魔化した私を、志成様はギュッと抱きしめる。呪詛をかけられていたのは私のはずなのに、彼の表情は私より苦しげだった。

「俺は和音の歌に命救われた。だから今度は俺が助けてやらねばと婚姻を望んだのだ。これで妹の方を寄越される流れになれば何かと文句をつけて和音に変更させるつもりだったが、鷹宮は狙い通り和音を寄越してくれた。……よかった、呪詛を解いてやることができて」

 誰かに抱きしめられたことなど、ほとんどない。初めて出会ったあの夜は後ろから抱きつかれてあんなに怖かったのに、正面から抱きしめられている今は……怖くない。それはきっと、志成様は私を害するような人ではないと分かったからだ。

「助けていただいて、ありがとうございます。志成様のおかげで、贄となる日までは楽しく歌って過ごせそうです。このご恩は、鷹宮に戻っても……いいえ、来世になっても忘れません」

 私を抱きしめていた志成様が、ピシッと固まったような気がした。

「……ちょっと待て。和音? この流れでどうしてそうなる。どうして鷹宮に戻るつもりでいるんだ……!?」
「だって志成様は、私が歌で治療したお返しに呪詛を解いてくれたのですよね? それが済めば、そもそも私は志成様には不必要。どうぞ離縁状を突きつけてください」

 本当に志成様には心から感謝している。だって私と会い呪詛を解くために、結婚という手段を取ってくれたのだから。

「……分かった。通じ合えないのであれば、はっきり言うことにしよう。俺は和音を鷹宮には帰さないし、贄にもさせない。離縁なんてもっての外。そう簡単にこの屋敷から出られると思うな」
「そんな、困ります!」
「それは和音が困るのではなく、鷹宮が困るのだろう? 烏は仲間意識の高い鳥。一族の誰しもが、俺の妻である和音を仲間だと思っている。それを贄に出すなんて知れば怒りに狂うだろうし……当主が愛する妻を贄にしようとする鷹宮なんて、一族総出で潰しにかかる」
「あ、愛する……妻!?」

 あまりの衝撃で、幻聴かと思ったが。ただ抱きしめられていただけのはずなのに、徐々に彼の纏う雰囲気は甘くなり。いつの間にか髪に何度も唇が寄せられる。まるで鳥が求愛行動で羽繕いするかのように。
 いくら男性に免疫の無い私といえども、ここまでされて気が付かぬ訳がない。

「あの清らかな歌声の虜になった。一生俺の側で歌って生きて欲しい」
「ちょ、ちょっと待ってください。私は体が弱くて……」
「だから呪詛を力業で解いてやったじゃないか。生活環境を整えてやれば、恐らく和音は健康に暮らせる」
「でも、鷹宮には私以外贄になる人間が……」
「分かった。それほど心配なら、贄の件も俺が解決してやる。恐らく……なんとかなるはずだ。安心して俺の元で暮らすといい」

 そこまで言われてしまえば、申し訳無さはあれども……志成様を拒否する理由が無い。黙った私を見た志成様は微笑みを携えて私の唇を奪う。

「だからこれからは、俺だけの為に鳴く金糸雀になってくれ」
 志成様は共に生きると約束した私を大切にしてくれた。今まで鷹宮の屋敷に閉じ込められてきた私を、今度は暁烏に閉じ込めるようにして。結局鳥籠の金糸雀に変わりはないのかも知れないが、環境は随分と違う。
 血の気の無い顔で歩く私を後ろ指差してきた鷹宮の人たちとは違い、暁烏の人たちは私に人間としての敬意を持って接してくれる。皆親切で、志成様が仕事で留守にしている間でも困ることはない。

 志成様は仕事から戻ると必ず私に歌をせがむ。怪我をしているわけではないようだが、断る理由もない。だから毎日志成様のために歌うのが習慣となった。
 時に青藍の夜空を見上げながら。時に満開の桜の下で。またある時は私の膝の上に陣取った、彼の艶のある黒髪を手で梳きながら。歌って欲しいとせがむくせに、時折口付けて妨害してくる志成様と一緒に暮らす時間は……私にとって初めて健康的で心穏やかに過ごす時間だった。

「目を釣り上げて怨霊を追いかけ、殺伐とした生活をしていた志成様が、ここまで変わるなんて」

 使用人達がそう噂しているのを聞いた私は、私と同様に志成様もこの生活を楽しんでくれているのだと分かり、嬉しかった。
 

 祝言から三ヶ月程は蜜月として職務が軽減されていた志成様だが、それが終わると軍人としても当主としても通常運転。元々帝に気に入られ重用されていた志成様は一気に忙しくなった。
 そのせいか、とある日の朝。玄関先でお見送りする私を抱きしめたまま動かなくなった。

「……行きたくない」
「え! もしかして志成様、体調不良ですか?」
「違う。帝があまりにも和音の事を根掘り葉掘り聞いてくるから、面白くない。どうして愛しの妻のことを教えてやらないといけないんだ。あと正行も和音を返せと、煩く付き纏ってくるし」
「正行の無礼に関しては申し訳ございません。後で手紙を送って、よく注意しておきますから」

 急に忙しくなったから、お疲れなのかもしれない。そこに正行が更に迷惑をかけているのなら、辞めさせなければ。

「いや、手紙は送らないでくれ。あいつは下手に刺激しないほうがいい。品のない野鳥は無視だ。なんなら帝もその枠に突っ込んでもいい」
「鷹はまだしも、鳳凰の帝まで野鳥……」

 そんな事を話していれば、志成様が「決めた」と呟いて、私を抱き上げた。そして近くにいた使用人に「今日は休む。帝に伝えてくれ」と頼み、私を連れ真っ直ぐに部屋へと帰る。

「え、お休みするのですか?」
「ああ。俺の前で和音が姉の顔をしたのが気に障った。鷹宮のことは忘れて、俺に夢中になって欲しいのに。だから今日は──逢引だ」
「……は?」
 急に仕事をサボって逢引だなんていけません! と注意した私であったが、受け入れてもらえず。主に私のお世話をしてくれている年配の家政婦が「外でも和音様を独り占めして、自慢して歩いてみたいのでしょう。お子が出来たらそうも言っていられませんからねぇ」なんて笑いつつ、街歩き用に普段着より良い着物を用意してくれる。それが偶然なのか縁起の良い七宝つなぎ柄の薄梅色をした小紋で……なんとなく恥ずかしくて、上手く返事が出来なかった。

 ◇

 春の陽気の中、私は志成様の腕に掴まって都の中を歩く。帝が暮らしている皇居に繋がる大通り。そこから脇に入った通りには、都の中心部らしく沢山の商店が立ち並ぶ。

 呉服屋に洋菓子屋に、劇場まで。ずっと鷹宮の屋敷で引きこもって生きてきた私にとっては初めて見るものばかりで、私の視線はキョロキョロとせわしなく動く。「仕事をサボるなんて!」と注意していたはずの私のほうが目を輝かせてしまい、つい歩きながら歌ってしまう。そんな私を見た志成様が幸せそうに破顔して笑うので、気まずくてプクッと頬を膨らませた。

「ごめんごめん、あまりに和音が可愛くて。金糸雀は鳥籠で愛でるものとばかり思っていたが、外の世界を知って目を輝せる姿も、あまりに尊い。この顔を俺がさせたのだと思うとぞくぞくする」

 私は志成様の特殊な性癖の扉でも開けてしまったのだろうか。

「俺の息抜きのつもりだったが、和音がこんなに楽しんでくれるとは思っていなかった。もしやずっと屋敷の中で、息が詰まっていたのか?」
「詰まりません。だって鷹宮では六畳一間が私の世界のほぼ全てでしたが、志成様に嫁いでからは生活範囲が暁烏のお屋敷全体になりました。とっても自由です」
「鳥籠が快適なのであれば良かったが、俺は和音にもっと色んな物を見せてやりたくなった。またこうやって出掛けたいな」

 志成様はそう言いながら、洋菓子店で買ったばかりの包みを開けて、四角い茶色の物体を私の口に放り込む。とろりとした甘さと絶妙なほろ苦さ。口の中でそれらが溶け合って、絶妙なハーモニーを奏でる。腰から砕けてしまいそうになるほどの美味しさに驚いて、私はぎゅっと志成様の腕にしがみつく力を強めた。

「美味いか? 最近子女の間で流行っているキャラメルという菓子らしい」

「びっくりするほど美味しいです! まるで志成様と唇を合わせた時のようにふわっとした気持ちになって……ッあ!」

 キャラメルの美味しさに驚いて、非常に恥ずかしいことを往来のど真ん中で口走ってしまった。ハッとして志成様から離れて、両手で口を塞ぐが、もう遅い。不敵な笑みを浮かべつつ、口元を塞ぐ私の手を引き剥がしてくる志成様に……勝てる訳がない。

「そこまで美味いのなら、俺にも味見させてもらえないか?」