鳥籠の金糸雀 望まれし花嫁は歌で烏を癒す

「和音姉様じゃないか! 茜、どうして僕にすぐ伝えに来てくれないんだ!」
「あんたに言うと姉様姉様って馬鹿みたいに煩いからよ、正行」

 私と茜の間に割って入るようにして乱入してきたのは……私が志成様の元へ嫁ぐきっかけともなった、弟の正行。今日は仕事が非番だったのだろうか? 軍服ではなく、渋い緑色の着物と濃い灰色の羽織を纏っている。……その羽織は、正行が軍に入った時にお祝いとしてどうしても欲しいと言うので、私が時間をかけて縫ってあげたものだった。
 どうやら二人は一緒に買い物に来ていたようで、正行の手には沢山の紙袋が握られている。

「姉様、暁烏で辛い目に遭っているという噂は本当ですか!? 帝から聞きました。姉様は毎晩空が白む頃まで寝かせてもらえない拷問のような日々を送っているとか!」

 思わず吹き出しそうになるが、私は何とか表情を乱さず耐え切った。

(誰!? そんな噂流したのは!! ……帝か)

 ならば仕方がない……と私は諦めて、だんまりを貫く。恐らく帝の意図した内容と正行が想像しているものは別物だが、正行に対してはむしろそう意味を取ってくれて助かったとさえ思う。

「姉様を助けたくて憎き暁烏志成を問い詰めても、烏らしく上手く誤魔化すばかりで、周りもあいつに騙されて全然僕に協力してくれない! 僕があの夜あんな失敗をしたせいで、姉様は痛ぶられて……」
「本当に煩いわね、鬱陶しい」
「茜こそ、こんなに儚い和音姉様を掴まえていつも文句ばかりだ。姉様、よくここまで逃げて来てくれたね。もう大丈夫、僕が守ってあげるから、鷹宮に帰ろう。暁烏志成も、禍津日神も、もう誰も和音姉様には触れさせない。僕、良い方法を見つけたんだ」

 正行はそう言うと紙袋を全て茜に押し付けて、私の両手を引いて立ち上がらせる。

「正行! 私に荷物を押し付けるなんて、どういうつもり!?」
「だって和音姉様は手を引いてあげないと、すぐ転んでしまう。一人で堂々と何でも出来る鷹の茜とは違うんだよ。金糸雀は周囲の環境で簡単に……あれ? 和音姉様……呪詛が……?」

 私はハッとして正行に掴まれていた手を引っ込める。

「どうして……簡単には解けないようにしたと、父上が……」

 志成様の予想通り、正行には私の首にかかっていた呪詛が見えており、呪詛をかけたのはお父様だった。
 解術がバレてしまった私は、思わず踵を返して走り出そうとするが、正行に腕を掴まれ引き留められる。

「待って! まさか暁烏志成が解術したの? まさかあいつは本気で姉様のことを好いて、花嫁として迎えて……?」
「ちょっと……まさか和音姉様は鷹宮に戻ってこないつもりだったわけ!?」

 真相に辿りついてしまい、鷹らしい強い瞳に明らかに嫉妬心を写し始めた正行と……彼のせいで今から鷹宮が陥るであろう危機に気がついてしまった茜。二人は顔を見合わせて「このまま和音姉様を連れて帰ろう」と合意する。普段は反発しあっているくせに、そんなところだけ双子らしい。

 正行がパッと姿を鷹にして、私の帯をお太鼓の部分ごと後ろから鷲掴みにしようとする。このまま誘拐するように飛んで連れ戻す気だと気がついた私は、咄嗟に帯留も帯揚げも解いて、帯を外してしまう。流石に正行も私が街中で帯を解くとは思っていなかったようで、一瞬の隙をついて私は走り出した。

「姉様!?」

 しかし元々外出もせず走り慣れない私が、一人で逃げ切れるわけがない。すぐに息が切れてしまった私は、ちょうど建物の影になった部分で足を止めた。

「──っ、志成様……!」

 志成様は遥か上空から、私の小さな歌声が聞こえたのだと言ってくれた。それを信じて、今出来る全力の声量で──愛する夫の名前を叫んだ。

 その瞬間。私の体は後ろから何かに包まれるようにして捉われた。
「──ッ、和音! 大丈夫か!?」

 私を覆い隠す様に包むのは、黒い大きな翼。八咫烏の姿をした志成様だった。

「志成様……!」

 突然街中に鷹と八咫烏が現れては、周囲が混乱するのは当然だった。どちらも四大名家に繋がる鳥……往来を行き交う人々が、ザワザワと騒ぎ始める。

「和音姉様を返せ!」
「返す? 和音は正式に祝言を挙げて暁烏に迎え入れた、愛する妻。公衆の面前で姉の帯を解いてしまうような乱暴な弟に、大切な妻を渡せと? 論外だな。鷹宮は一体どのような教育を施しているんだ」

 周囲から正行に注がれる視線が一気に冷たくなる。その足には私の帯が掴まれているがゆえ……状況的に言い訳はし辛いだろう。

「正行の馬鹿……こちらが不利よ、出直しましょう」
「和音姉様! 子供の頃、毎日声が掠れるまで僕に童謡を歌ってくれたよね? そんな姉様が大好きで、今でも愛してる。だからこの羽織をくれた時に、姉様はずっと僕が守るからって、約束したよね!?」

 茜に嗜められても正行は諦めない。その姿を鷹から人間に戻し私の帯を抱きしめて叫び訴える。
 志成様は大きくため息をついてその姿を八咫烏から人間に戻した。

「和音が関与すると正行が面倒になるのは身を持って知っていたが、目の前にするとこれ程か。一体どんな教育をしているんだ、鷹宮は……」
「……申し訳ございません」
「いや、和音が謝ることでは──」
「やだ、格好良い。こんなに格好良い人だったの!?」

 ……弾んだ茜の声が聞こえてきて、もう私は頭を抱えうずくまりたいような気持ちになってきた。

「和音姉様ずるいわ、そんな整った容姿の人と夫婦になっただなんて!」

 そして茜はそのままこちらに駆け寄って来て、私を抱きしめたままの志成様の腕に縋りついた。

「志成様、和音姉様がどうしてもと言うので譲りましたが、本来は私を花嫁に迎えたかったのですよね? だって和音姉様相手では、お子も期待できないし、話し相手にすらならないでしょう。今からでも離縁して、私を迎えてくださいませ。だって帝には他にも側室候補が沢山いますから!」

 志成様が私を捨てて茜を選んだらどうしようか。一瞬そんな不安に襲われたが、志成様は完全に冷えた軽蔑するような視線を茜に送る。

「仮にも側室候補がこの程度か。恐らく一生『候補』のままだろう。少しは和音の謙虚さを見習うと良い」
「な……!」
「離してくれ。俺は和音を望んで番にした。他の女に興味はない。虫唾が走る」

 志成様は茜の手を振り払って、自らの羽織を脱いだ。そしてその羽織を私の肩からかけて、着付けの乱れを隠してくれる。

「許せない……帝なんて四十手前のおじさんなのに、姉様ばっかり良い思いして! 手酷く捨てられてしまえばいいのに!」
「茜、街中で帝の批判は不味いよ」
「正行煩い! さっきまであんたが騒いでいたのだから、今度は私に騒がせなさいよ!!」

 ギャアギャアと言い合いを始めてしまう双子。お願いだからこれ以上鷹宮の醜聞を広めないで欲しい。私のそんな切実な思いは二人には伝わらないが、志成様には通じたらしい。

「……和音はコレに囲まれて、大変だっただろう。むしろ病で一人寝込んでいた方が楽だったのではないか?」
「そうですね……そうかもしれません」

 私は初めて、自分に呪詛が掛けられていた事に感謝した。
 志成様との逢引は、弟妹のせいで強制的に終了となった。

「本当に申し訳ございませんでした。せっかく志成様が誘ってくれたのに……何かお詫びをさせてください」

 暁烏の屋敷に戻った私は、自室で深々と志成様に頭を下げる。そんな私を見て志成様は気まずそうに眉尻を下げた。

「気にしないでくれ。和音の側から離れた俺も悪かったのだから」
「悪くありません。それに志成様は、私が助けを求めればすぐに来てくださったもの」
「和音が俺を呼ぶから何事かと思ったら、鷹に襲われ帯を解かれていたんだ。よくあの場で正行に手を上げなかったものだ。自分の理性を褒めてやりたい」

 帯を解いたのは私自身なのだが、それで志成様に衝撃を与えてしまったのには変わりない。

「……でも、よく私の声が聞こえましたね?」
「烏は番を大切にする種だ。一緒に巣を作り、子を育て、死が二羽を分つまで共に生きる。俺は八咫烏だが、烏には違いないから。大切な番の声が聞こえないなど、有り得ない」

 そこまで言われると、何だか恥ずかしいような気持ちになってくる。思わず視線を逸らした私の手をそっと握った志成様は、真剣な表情で「では、お詫びではないが和音に頼みたいことがある」と話し出した。

「重大な案件ですか?」
「暫く仕事が大変忙しくなる。贄の件で対策を話し合っていて、それに加えて軍の仕事に当主としての仕事。屋敷に戻れない夜もあるかもしれない。それでも俺は和音だけを愛していて、いつも想っているのだと信じて欲しい。あと俺が居なくても、毎夜歌って欲しい」
「……? はい。わかりました」

 仕事ならば仕方のないことだ。しかも贄の件は私が原因であるし、申し訳なさを感じることはあれども、特に何も思うことはない。

「フッ……分かっていないような顔だな」
「分かってます。志成様がお忙しくても、私はいつも通りこのお屋敷でお戻りをお待ちしてますから。でも、志成様が居ない時でも歌う理由をお伺いしても?」
「……愛する妻の歌声が聞こえると、辛い仕事でも頑張れるから、かな」
 志成様は宣言通り帰宅時間が遅くなり、いつしか戻らぬ日の方が多くなった。
 それでも私は不安に思うことはない。誕生日の贈り物として縫ってあげた羽織も喜んで受け取ってくれたし、仕事なのだから仕方がない。私はただ彼を信じて、待ち続けた。

 志成様が忙しくなり始めて四ヶ月が経った頃。庭で落葉の掃除を手伝っていた私は、ふと使用人達の噂話を耳にした。
 ……正行が一ヶ月ほど前から行方不明で、そのせいでただでさえ忙しい志成様に皺寄せが来ているらしい。

(正行が、行方不明? しかも職務中の失踪とか……何があったの?)

 正行は私が絡むと面倒くさい性格だが、仕事に対する態度は極めて真面目。軍での上司にあたるはずの志成様も仕事熱心だが、逢引きを理由に休んだりするので、そこを考慮すれば正行の方が硬い。

(志成様、同じ近衛府に勤めているのに、正行の事は教えてくれなかったわ。何か事件でもあったのかしら)

 次に志成様が帰ってきたら聞いてみようと考えていれば、意外と早く顔を合わす機会は訪れた。
 夜も更け、私が約束通り歌を歌っていると、突然寝室と縁側を仕切る障子が勢い良く開いた。

「志成様!?」
「……疲れた」

 志成様はそう呟くと、羽織も脱がずに私の布団に倒れ込んだ。まさか戻ってくるとは思っておらず志成様の布団を敷いていなかった私は、慌てて押し入れから布団を出して敷く。

「志成様、大丈夫ですか? お布団敷きましたよ。私の布団で寝ても良いですけど、せめて羽織は脱ぎましょう?」

 仕事だったというのに、その姿はいつもの軍服では無い。普段着の着物に、私があげた羽織だ。
 疑問に思いながらも倒れ込んだ彼から羽織を剥ぐようにして脱がしていると……ふわりと、嗅ぎ慣れない香が私の鼻腔をくすぐった。

「──え」

 ……悪い予感がする。心臓がドクリと大きな音を鳴らして、不安な気持ちで志成様の肩を揺すった。

「志成様。志成様!」
「……何?」

 眠気のせいか眉間に皺が寄り、機嫌が悪そうだ。そんな状況で香について聞く勇気が無くて……私はつい別事を口にした。

「えっと、その……正行は、元気にしてますか?」
「わざわざ起こして正行の話……明日にしてくれ」

 随分お疲れなのか、志成様はそのまま寝入ってしまった。恐々と羽織を顔に近づけてみれば、深みある甘さを漂わせる香の存在を感じる。

 (仕事って言ったのに……女の人と会っていたの?)

 知らない香が染み付いた、私が縫った羽織。手の中に残ったそれが気持ち悪くて……気がついた時には、手に裁ち鋏を握っていた。
(志成様のせいで、全然眠れなかったわ……)

 翌日の早朝。完全に睡眠不足の私は、池に写った自分の顔をどんよりした気分で見つめる。呪詛が解けてからはすっかりなくなっていた目の下のくまが復活しており、私は深いため息をついた。
 良くない想像に取り憑かれた私は、思わず羽織に裁ち鋏を入れた。私が縫った羽織で、別の女性と会うなんて信じられない。
 その後はとても一緒の部屋で眠るなんて出来ず、一晩縁側で月をぼーっと眺めながら過ごした。朝日が出てきたので、心を曇らせる澱みを取り去りたい一心で、私は庭に佇みあえて朝日の下で光を浴び続けている。
 どうにか陽の光で澱みが浄化してくれないかと考えつつ朝露に濡れた庭を散策していると、屋敷の中で何やら騒ぎが起こっているのが聞こえた。

「志成様、どうか落ち着いてくださいませ」
「落ち着いていられるか! 早く皆を叩き起こして、探さなければ……」

 どうやら志成様が何かを探しており、それを使用人達が宥めているらしい。
 ……今は、顔を合わせたくない。もう少し庭を散歩したって許されるだろう。そんな軽い気持ちで、何も聞かなかったことにして立ち去ろうとしたのだが。

「しかし影を辿っても見つからないのでしょう? では屋敷の中には居ないものとして考えた方が……」
「だから急ぐと言っているんだ! 昨晩布団を使った形跡もなければ、何か騒ぎが起きたわけでもない。影のことを知らない和音が自力で失踪出来るわけがないし、俺の羽織は切り捨てられていた。きっと正行だ……あいつが、和音を……!」

(えっ……私が探されているの?)

 どうしてそうも必死で私を探しているのか理解に苦しむが、私は逃げてなど居ないし、誘拐されてもない。なんならすぐ側の庭に居る。そして羽織がズタズタなのは嫉妬に駆られた私の仕業だ。
 屋敷の方に視線を移せば、寝室近くの外廊下で志成様が膝から崩れ落ちた瞬間だった。その手には刻まれた羽織が握られている。

「和音、和音……お願いだ。生きているなら何かの影を踏んでくれ。どこに囚われていても、絶対に探し出してみせるから……」
「志成様、お気を確かに。まだそうと決まったわけではありません。志成様は優秀な闇の能力の使い手でございますから自信がお有りなのかも知れませんが、最近の激務ゆえの捜索漏れの可能性も」
「だから皆を叩き起こして、闇の能力の使い手総出で探せと言っているんだ! あぁどうしてもっと頑丈な鳥籠に囲っておかなかったのだろう……失うくらいなら、座敷牢にでも閉じ込めてしまえばよかった」

 ここまで取り乱した志成様を見るのは初めてだった。

(どうして? 志成様には、私より好きな人が出来たのではないの? それに……『影』って何?)

 影なら私の足元にも伸びているが、これでは駄目なのだろうか。疑問に思った私はすぐ近くにある石灯籠に近寄って、そこから伸びる影に入った。志成様の言った「影を踏んでくれ」を実行してみることにしたのだ。

「──ッ和音!!」

 その瞬間、志成様と目が合った。必死の形相で外廊下から飛び降りて、草履すら履かず、裸足のまま私に向かって駆けてくる。痛いぐらいに私を抱きしめるその力は、私の脳内にとある仮説を浮かび上がらせた。

 とても小さな私の歌声が聞こえたのも、街で私が助けを求めた声がすぐに届いたのも。夜間志成様が不在の時でも歌って欲しいと言われたのも──

「和音、無事でよかった! 屋敷の中に居ないから、正行に攫われたのかと……」
「もしかして志成様は、『影』を通して私を見ているのですか?」

 志成様から返ってきたのは、無言の肯定だった。
 四大名家は各々の属性の術を使える者が生まれる。

 例えば火の鷹宮は、鷹としての性質を持つだけでなく、火の術を扱うことができる。現状その姿を鷹に出来るのは次期当主とされる正行だけであるが、火を扱うのはお父様でも茜でも容易に出来ること。その威力に差はあれども、生活補助程度まで含めれば火の術を使える人間は一族の中にかなりの人数存在する。ちなみに私はこれっぽっちの火も出すことも叶わない。
 そして私が嫁いだ暁烏の一族に脈々と引き継がれる属性は「闇」だ。火や水と違い何が出来るのかイメージし難いが、どうやら瘴気に近い性質を利用して、無理矢理瘴気や怨霊などの穢れを断ち切ることを得意とするという。

 つまり。志成様が私の首にかけられていた呪詛を刀で断ち切って解けたのは、闇の暁烏の人間だったからであり。優れた術の使い手でもあったからだ。

 また、暁烏の人たちは闇に溶け込むようにして身を潜め、諜報活動を行うのが得意だという。中でも志成様は、夜間だけでなく日中にも、地面に出来た影を伝って情報を集めることが可能らしい。……聞こえる訳のない私の声が聞こえたというのは、嘘でも幻聴でもなく、事実だった。

 最近志成様がお忙しくされているのは、この闇の術の使い手だからだという。
 四大名家から二十年ごとに人柱を立て、何百年間も鎮めてきた禍津日神。今年贄を出す番の鷹宮と二十年後に次が回ってくる暁烏の働きかけにより、他に鎮める方法が無いかと、四家当主と帝で対策が話し合われ始めた。そしてその情報収集を一手に引き受けているのが志成様だという。

「だから、浮気じゃないと言っているだろう! そんな暇があるなら和音の顔を見に戻ってくる」
「では花街ですね、分かりました」
「だから! どうして疑われているんだ……朝から和音が居なくなるし、浮気を疑われるし、愛妻お手製の羽織は切り刻まれて見るも無惨。散々だ。これぞ厄日……」

 庭で私を捕まえた志成様は、その後私を離そうとしない。今日の仕事は夕刻からのようなので時間があるそうだが、他の女性と会っていた翌日にベタベタ触らないで欲しい。その気持ちから彼を責めてしまったが、どうにも志成様には心当たりが無いようで……私の心の靄は晴れない。

「……だって、羽織に知らない香が付いていました。それにお仕事なのに軍服ではなかったし」

 どうして疑っているのか正直に話せば、志成様は心当たりがあったのか気まずそうに視線を逸らした。

「ほらやっぱり! 離してください。志成様なんて大嫌いです」
「違う、そうじゃない! 恐らく香ったのは伽羅の香りだろう? ……帝だ」
「身近にいらっしゃるからと、帝を犯人に仕立て上げるのはどうかと思います」
「本当に帝なんだ! 昨日の夕刻にお忍びで知人の墓参りをされて……帝の金の髪が思ったより目立つから、頭の上から掛けさせてもらっていた。お忍びだから警護で軍服を着ていくわけにもいかなかったんだ」

 現在の帝は鳳凰の印を持ち、そのお髪は美しい金色だという。皇族に多いその色は、遠目でも目立つ。……それは偶然同じ色を持ち生まれた私も良く知っている。

「死者とはいえ、帝との関連が有ったと知られたら体裁上良くない立場の、身分のある女性で……」

「不貞の子」と鷹宮で後ろ指刺されてきた私は、なんとなくその言葉で察してしまった。

「……悲しい恋だったのでしょうね。今回は帝の悲恋に免じて不問にして差し上げますが、しばらく志成様の前では歌う気になれません」
「は!? そんな殺生な! 俺は和音を贄の役目から遠ざけて……君との間に生まれる子を、暁烏が差し出す次の贄にしたくない一心で頑張っているのに……」

 そう言われると、心がぐらつく。きっと志成様は私に「贄の件は任せろ」と言った手前、手を抜けないのだろう。贄以外の手段が見つからなかった場合、禍津日神が復活する……もしくは誰かが贄になるしかない。そして今回がどうにかなっても、二十年後には暁烏に贄の役割が回ってくる。

「そもそもこんな燻んだ気持ちで歌っても、綺麗な歌にはなりませんから」
「……では今晩俺の仕事に付いてきて、そこで帝に直接事実確認してくれ。疑いは晴らすから『嫌い』は撤回してもらえないか?」
「帝に、直接……」
「和音がいない世界で、俺は生きていけない」

 そんな大袈裟な、中毒者のような表現をしなくても……と思ったが。その表情が真剣だったので、私は何も言えなかった。
 秋の長夜に相応しい中秋の名月。月を眺めるという名目の宴の主催者は帝。どうやら今晩の志成様の仕事は、宴での帝の警護だったらしい。
 上座に座る帝は、金の髪が美しく、とても四十手前には見えない。そんな帝の側には、これまた美しく整った顔の軍服姿の志成様が控えている。秋らしい様相に飾り付けられた室内の趣よりも、上座から感じる顔面破壊力の方が強い。周囲の全女性の視線を掻っ攫っているのではないだろうか。

 急遽宴に参加することになった私だが、志成様のコネなのか、暁烏という家柄のお陰か、すんなりと席が用意されたらしい。紅梅色の訪問着を着た私は大人しく宴に参加していた。

「見慣れない顔ですね。どちらの家のお嬢……いえ、奥様でしょうか?」

 どうやら沢山の貴族が参加する宴だったようで、近い席の者同士で歓談を楽しんでいる。しかし今まで鷹宮の屋敷に引きこもってきた私の顔など、知っている者の方が少ない。ただ四大名家の一つなだけあって、暁烏の名を出すと皆丁寧に接してくれた。

「あぁ、噂の……宴に出られるほど体調が良くなられたのですか?」
「志成様が、合う薬を見つけてくださったので。ご心配ありがとうございます」
「暁烏は身内以外には非常に冷酷だと聞く。特に当主様は顕著らしいが」
「志成様は、とても優しい人ですよ。それこそ私には勿体無いくらいの」

 私の噂だけは知っているという人は多いので、ひとまず志成様のおかげで元気になったのだと広めておく。私には政の話は難しいので、地道に志成様や暁烏の好感度上げに徹することにした。

 そうやって初対面の人達と話しつつ、目の前に置かれていた月を模した和菓子に手を伸ばした瞬間だった。後ろからヌッと手が出てきて、私の手の甲を掴む。同時に反対側の肩も掴まれて、驚いた私はビクッと体を跳ねさせた。ふわりと深みある甘さが香る。

「ごめんね。驚かすつもりじゃなかったんだよ」

 私の耳元で響く声は、志成様ではない。恐る恐る首を捻って後方を確認すると……そこにいたのは、帝だった。
 驚きすぎた私は、挨拶するのも頭を下げるのも忘れて固まってしまう。

「私のせいで志成と喧嘩したんだって? ほら……こうやって体を寄せると香りが分かるかな。羽織に付いていた香りと同じだろう」
「は……はい」
「疑いは晴れた? 羽織を裁ち鋏で切り刻んだって聞いたよ。流石鷹宮で育っただけあって怒ると強烈。血筋より育ちだね」
「私は生まれも育ちも鷹宮なのですが……」

 帝の発言の意味が分からない。困惑する私の耳元で帝は「そう思っているのは君だけだよ」と囁く。先程まで話をしていた隣の人に視線を向ければ、サッと目を逸らされてしまった。

 (帝の悲恋に、亡くなった想い人。鷹宮らしくない容姿の私は、不貞の子と言われ続けた。お父様に呪詛をかけられて、贄として育てられたのは……もしかして?)

 私の疑念は徐々に確信に変わる。ゆっくりと大きく瞬きする私を見た帝は、私とは反対にその目を細めた。
「愛妻家の志成が沈んでいると揶揄い甲斐が無くてつまらない。私のためにも夫婦仲良くね」
「帝、和音との距離が近すぎます。疑いを晴らして欲しいとは頼みましたが、そこまで寄る必要はありません」

 私と帝との間を顰めっ面の志成様が割るようにして入ってくるが、帝の表情は相変わらずだ。

「ケチだなぁ、減る訳じゃないのに。じゃあ代わりに志成が大事にしている金糸雀の歌を聞かせてよ。ほら、月夜の宴にはぴったりだろう?」
「俺はケチなので、宝は見せびらかさない主義です」
「では本人に聞こうか。帝である私が望むのだから、歌うよね?」

 にっこりと笑みを携えた帝にそう言われてしまえば、断れない。黙ったまま頷くと、逆に志成様からは睨み付けられた。

「良い子だね。月夜に相応しい歌で頼むよ」
「……和音、後で覚えていろ」

 (睨まれたって、この状況で歌わないなんて無理よ!)

 私は睨みつけてくる志成様と目を合わさないようにしつつ、何の歌にするか暫し考えてから……帝に促されるままに歌を歌い始めた。月を愛でる穏やかな歌詞は、青藍の夜空に溶ける。
 周囲の歓談の声は消えて、ただ私の歌声だけが響いた。

「……おい、どうしてか持病の腰痛が治ったぞ」
「実は私も。先日落馬して骨をやっていたはずなのですが」
「まさかただの金糸雀では無いのか? 鷹宮は贄にするフリをして、特殊な力を持った娘を隠していたのでは?」

 私が歌い終われば、静かだった空間は一気にどよめきに包まれた。そしてこの流れで注目を浴びるのは──

「素晴らしい歌声だった。志成の治療のおかげで娘の才能が表に出て良かったな? 鷹宮の当主よ」

 ……帝に話を振られ注目を浴びたのは、お父様だった。
 多くの貴族が集まるこの宴。どうやらお父様も茜を連れて参加していたようだ。

「そうですね……長女は暁烏で随分と調子が良くなったようだ」
「どうして長女の才を隠していたのだ? これは治癒に特化した光の力。それこそ光の皇族と呼ばれる所以となる力だ。それが偶然他家に現れるなんて、有り得なくはないが珍しい。一言私に相談してくれても良かったのに」

 悔しそうにギュッと唇を噛む茜と、帝への負の感情が隠しきれていないお父様。鷹宮らしい激情が表立っている。

「和音は体が弱く、人目に晒せば……更に悪くなると思い」
「そうか。どうやら鷹宮の長女が贄姫という噂は、一人歩きした偽りだったようだ。現在贄を使わない禍津日神の封印方法を検討している最中であるが、もしそれが間に合わなかった場合、鷹宮は誰を贄に出すつもりだったのだろうな? 是非聞いてみたいものだ」
「……それは」
「どうして手をこまねいているのですか、お父様! 和音姉様を贄にするのだと、ずっと言ってきたではありませんか! どうしてこの場で和音姉様を贄として連れ戻すと明言しないの!?」

 返答に困るお父様に痺れを切らしたのか、茜が私に向かって飛びかかってくる。咄嗟に志成様が私を守るように正面に立ち、茜を引っ捕えた。

「馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは」
「ちょっと、離して! 帝は、未来の花嫁である私の話をどうか聞いてくださいませ!」

 茜は状況が把握出来ていないのか、目をきゅるんと潤ませて帝を見つめる。可愛らしいのは認めるが……この状況でやるのは逆効果だ。帝は温度の無い冷たい笑みを茜に返す。

「聞かないよ。種を蒔いた元凶は私であったとしても……鷹宮は私に勘づかれないように和音の声と健康を奪った。和音を傷つけ続けた君を側室にすることもない。それで、鷹宮の当主は誰を贄にするつもりだったのか聞いていいかな?」

 お父様が観念したかのように口を開きかけた、その瞬間だった。
 すぐ近くで爆発音がして、室内に煙と土埃が充満した。
(何!? 苦しい……)

 咄嗟のことで屈むことすら出来なかった私は煙を吸い込んでしまい咳き込む。

「──姉様」

 そんな中、正行の声が聞こえたような気がした。目すら開けられない私の体は何かに掴まれるようにして捉えられて、頬には風を切る冷たさを感じる。

「和音姉様」

 やはり正行の声だ。行方不明だったはずなのに、鷹の姿で煙の中から連れ出してくれたのだろうか? 煙たさが無くなって目を開けた私だったが……状況は私の予想とは大いに異なっていた。

「志成! どうして私を先に庇った、こういう時は妻を優先するだろう!?」
「では帝は今から全力で、自力で逃げてください。……流石にコレ相手に帝を庇い、和音奪還は不可能です」

 遥か下に見えるのは、こちらを見上げつつ言い合いする帝と志成様。志成様は刀を抜いて、それに闇の力を纏わせている。
 そして私を捉えているのは……鷹の足ではない。禍々しい瘴気を放つ黒い腕のような物体だった。それは本体と思われし巨大な黒い塊に繋がっている。

「和音姉様、やっと見つけた」

 黒い塊から、正行の声がする。私は信じられない気持ちで問いかけた。

「正行……なの?」
「そうだよ。これからはずっと一緒にいられるから安心してね」
「和音! それはただの正行じゃない。──禍津日神と一体化している!!」

 まさかの状況に目を見張る。そして私を捉える正行と思われし物体も、志成様の言葉を否定しない。

(禍津日神の封印が解けるのは、贄を差し出す冬以降のはずなのに!?)

「光の皇族の力を求める禍津日神と、その血を引く姉様が欲しい僕。利害関係の一致だよ。僕が禍津日神になり姉様を貰えば、みんな幸せな結末を迎えられる」
「だから禍津日神の封印を解いたの!?」
「そう。言ったでしょう? 絶対に姉様を贄にはさせないって。姉様は禍津日神となった僕の花嫁になるんだよ」

 

 春に会った時に彼が言っていた「良い方法を見つけた」とはこのことだったのだろうか。だから仕事の合間に禍津日神の封印を解いて……この一ヶ月、行方不明のだったのだろう。

「そんなの駄目、私は志成様の妻なのよ!」
「煩い! 本物の姉様なら、笑って頷いてくれるはずだ。僕の和音姉様だったら……!」
「きゃッ!」

 急に私を捉える黒い腕のような部分が左右に大きく振られる。その動きで下からこちらに攻撃の狙いを定めている人々の動きは制限された。