「和音姉様、こちらに出てこないでちょうだい。気味が悪いわ!」
美しい鳶色の色彩を持った妹『茜』が、厠から自室に帰る途中だった私を見つけ、眉間に皺を寄せる。しっしっと手で追い払うような仕草で私を邪険にする彼女は、高貴な我が鷹宮家に相応しい『鷹の印』を持っていた。
この鳥獣国では、誰しもがその魂に鳥の印を刻んでいる。例えるなら梟の印を持つ者は頭脳明晰であるなど、その印は個人の性質や外見に影響を及ぼし、血筋で受け継がれ易いという特徴を持つ。
水の鶴栄家、土の鳩羽家、闇の暁烏家、そして火の鷹宮家。四大名家と呼ばれる四家には、その苗字に記された鳥の性質を持つ者や、その属性の術を使える者が誕生する。その特殊な力で男は帝をお守りし、女は「光の皇族」の血を尊いままに後世に残す役割を負い続いてきた。それゆえ「名家」と言われ繁栄を極めてきたのだ。
その定め通り、今年十八歳となる茜は側室候補として名前が上がっており、その双子で同じく十八歳となる弟の正行は軍に所属し、帝をお守りする部署で働いている。
「……なさい」
「そんな蚊の鳴くような声じゃ全然聞こえないのよ! 鷹宮の家に金糸雀がいるだけでも場違い極まりないのに、体が弱くて声すら出ないなんて。本当に和音姉様は生きている意味すらない、鷹宮のお荷物だわ。この恥晒し!」
金糸雀の印を持つ私はゆるく巻いた髪に金の色彩を纏い、鳶色が基本の鷹宮家には異端だった。瞳は茶色だが、鷹宮特有の鳶色ではない。私を産んだ母は不貞を疑われ、私を産んで間も無く自害。お父様はすぐに後妻を迎え、鷹の印を持った双子の茜と正行が生まれた。だから私はずっとこの鷹宮の家で、不貞の子と後ろ指刺されて生きてきた。
さらに私は体も弱く、金糸雀なのに声も殆ど出ない。捨てられてもおかしくないような状況であったが、鷹宮の当主であるお父様は「生きていれば使い道があるかもしれない」と情けをかけ、十九年間私を屋敷の奥に閉じ込め隠し、生かし続けてくれた。
「やっぱりお父様にお願いして、和音姉様は座敷牢に入れてもらおうかしら。その容姿でフラフラ歩かれると、かつて禍津日神に殺されたという皇族の霊のよう! 歩く姿だけでも気持ち悪いわ。早く禍津日神の贄になってしまえばいいのに!」
何百年も前に帝の命を狙い、災害や凶事を引き起こした禍津日神。かつては帝だけでなく皇族を狙い残虐の限りを尽くしたと言われているが、四大名家から二十年毎での持ち回りで、直系の人間を人柱に立てることで封印してきた。
そして人柱として次に贄を出すのは、この鷹宮家。
──つまり。私は来年の冬に禍津日神の贄となるために、生かされている。
『和音姉様、僕は姉様を絶対に贄になんてさせません。禍津日神なんて倒してしまえばいい。だから、禍津日神を倒し僕が当主になった暁には……姉様が欲しい』
弟の正行はそう言って私を生かそうと奔走しているらしいが、相手は今まで誰も倒すことが出来なかった禍津日神。更に言うなら、正行とは半分血が繋がった姉弟。……彼と色恋関係になる気はさらさらない。
双子なのに、かたや私を貶し蔑み、かたや私に色を望む。
そんな環境で、私が贄としての定めを受け入れ育つのは当然であった。
茜の罵声を背中に浴びながら、私は屋敷の奥にある自分の部屋に戻った。六畳程と、鷹宮の者としては狭いながらも裏庭に面した一室。私は布団の上で座り、途中になっていた針仕事を再開した。体を起こすことの出来る日にはこうやって針仕事の雑用をこなして過ごすのが、今の私に出来る唯一の仕事だった。
しんしんと雪が降り積もる静けさの中、私はひたすら針を進める。そうしているうちに周囲を闇が包み込み、手元の小さな蝋燭の明かりだけでは徐々に手元が怪しくなってきた。
(……冬だから陽が落ちるのが早いわね)
そんなことを考えながら私は縫いかけの半纏を脇に片付ける。そして誰にも聞こえないような小さな声で、歌を紡いだ。
寝る前に少しだけ歌うのが、私の唯一の趣味。金糸雀の印を持って生まれてきたがゆえの定めとも言えるが、私は歌うのが大好きだった。すぐに声が掠れて出なくなるため、せいぜい一曲程度しか歌えないが……それでも私はこれを楽しむために日中は極力喋らずにいる。
いつも通りそうやって歌を紡いでいた私であったが、突然裏庭からドサっと鈍い音が響いてきて、歌うのを止めた。
(何……!? 屋根に積もった雪が降ってきたのかしら?)
何が起こったのか気になった私はゆっくり立ち上がり、肩に羽織をかけてから障子を開け、縁側に出る。そして雨戸を少し開けて外を覗き見た。冬の凍えるような空気が頬を刺す。
特別何か変わった様子はないように見える。そう思って顔を引っ込めようとした瞬間だった。視界の端で、闇が動いた。
「──!?」
目を凝らしてよく見れば、大きな黒い物体が庭石の向こう側にうずくまっていた。何かの生き物だと思った私は蝋台を持ち草履を出して庭に降り、恐る恐るその物体に近寄る。外に出るのがあまりに久々で、積もった雪に何度か足を取られ転びそうになった。
(羽根……?)
周囲に落ちた数枚の漆黒の羽根。うずくまった黒い物体に蝋燭をかざして確認すれば、それは大きな鳥だった。怪我をしているのか、積もった雪には赤色の斑点模様も確認できる。
(大変! 鳥なのだったら、印の強い人間かもしれない。早く手当しないと)
魂に刻まれた印の強さによっては、その姿すら鳥類に変化させることが出来る。弟の正行はその姿を鷹に変化することが出来ることから、鳥類に変化する人間には馴染みがあった。
誰かに助けを求めなければ。そう思い背を向けた瞬間──私は腕を強く後ろに引かれて、雪に尻餅をついた。手に持っていた蝋台も地面に転がり火が消えて、辺りは真っ暗闇になってしまう。慌てて立ち上がろうとしたが、黒い羽根が後ろから包み込むようにして私を捕え、荒い吐息混じりの男の声が耳元で響いた。
「誰も、呼ぶな……っ」
背中だけでなく頭の上にまで感じる存在感は、姿を視界に入れずともその体格差を物語る。更に私は閉じ込められて育ってきたため男性への免疫もない。思わず私は身を震わせた。
(怖いっ……こんな大きな黒い鳥、見たこともない! ……でも、怪我をしている人を放っておけない)
だから私は勇気を出して、震える声で話しかける。
「あの、怪我……せめて部屋の中へ」
「……それより、歌を歌っていたのはお前か?」
「っと……、とても小さい声……ですけど」
「頼む。もう一度歌ってくれ」
どうして歌えと言われるのか理解出来ない。困惑から私が黙ってしまえば、再び「頼むから歌って欲しい。もう一度聞きたい」と、繰り返された。
仕方が無いので、私は彼の望み通りよくある童謡の一つを口にする。童謡なので、大した長さではない。それにこの状況なので、声は震えてしまっている。しかしそれをこの男性は、私を捉えたまま黙って聞いてくれる。
童謡を歌い終わる頃には、私を捉えて拘束している鳥の羽はすっかり人間の腕に戻っていた。仕立ての良さそうな外套に包まれたその腕だけで、洋装をするだけのお金も身分のある人だと分かる。しかし緊張が解けてしまったのだろうか? 私に全体重を掛けるようにしてもたれ掛かってくるので、非常に重い!
「ゃ……おも……いっ」
私は半ば意識を失いかけていたその男性を必死に部屋まで引きずり上げた。そして私の布団に横たえる。
その男性は精悍な顔付きで、年頃の娘らしい感性を持つ茜あたりが見れば、黄色い悲鳴を上げそうな程だった。胸あたりまで伸ばした艶のある黒髪はきっちり一つに纏められていた様だが、私が無理やり運んだせいで乱れてしまっている。服装からすればどうやら軍人のようだが、私にはゆっくり人間観察をしている余裕は無い。
(も……無理、倒れそう……)
体力の無い私は、彼を運び込んだだけで既に限界だった。それでも自分に喝を入れて、男性の傷口の様子を確認することにする。外套と軍服を捲ると白いシャツの腹部は真っ赤に染まっていた。非常事態だと認識した私はシャツのボタンも外し、その肌を確認したのだが……どこにも傷はない。
「え……? どうして……」
(服がこんなに血まみれなのに?)
全て返り血なのかと思ったが、それだと雪の上に血模様が残るのは違和感を覚える。
容姿が整いすぎていた件もあり本当に人間なのかと訝しんで、鍛えられた腹筋にそっと手を当ててみる。それは自分の体と同様に温もりのある、人としてなんら変哲の無い肌だった。
◇
翌朝。私は屋敷に仕える馴染みの家政婦の悲鳴と、去って行く足音で目覚めた。……非常に体が重くて、目を開けることすら出来ない。
(体が全然言うことを聞かないわ。昨日無理したせいか、喉が痛い……)
そういえば昨日の彼はどうなったのだろうか。どこにも傷が見当たらなかった事は覚えているが、その先の記憶がない。看病せずに寝てしまうなんて情けないと考えつつ、やっとの思いで瞼を上げれば……私は自分の布団に横たわっており、彼の姿はどこにも無かった。
「──ぇ」
動揺から、思わず声が漏れる。まさか夢だったのだろうかと周囲を見渡せば、畳の上に無造作に脱ぎ捨ててあった私の白色の羽織には、血がべっとりと付着していた。……きっと家政婦はこれを見て慌てたのだろう。やはりあの男性はどこかを怪我していたのだ。
(夢じゃない……あんな大きな黒い鳥は見たことがないし、あの人は誰だったのかしら)
その後家政婦が引き連れてきた医者に、羽織の血がどこからの出血か問い詰められたが。私は声が出ないふりでなんとかやり過ごした。蔑まれていても、私は鷹宮家の長女なのだ。男を部屋に連れ込んだなどと噂されては困る。もっと問い詰められるかと思ったが、あの男性を救出するのに体力を使い果たしたせいか、午後から高熱でうなされる羽目になり。……結果、追求は免れた。
追求は免れたが高熱で三日三晩苦しみ、やっと症状が良くなってきた二週間後。私は妹の茜と共にお父様に呼び出された。この面子で話など、きっと碌な話ではない。お父様が胡座をかいて座る正面に、茜と二人で正座して向かい合う。
そしてやはりお父様の口から飛び出してきたのは、衝撃的な内容だった。
「四大名家の一つ、暁烏家の当主から手紙が届いた。鷹宮の娘を嫁に貰い受けたいと」
「私は帝の側室候補として既に名前が挙がっている身。そんな、鷹宮家の政敵とも言える暁烏家になど、嫁ぎたくありません!」
四大名家は帝のために一定の協力関係にあるが、それでも代々重要な役職を奪い合うようにして競ってきた。しかし鷹宮家はここ何代か帝の正妻の座も逃し、印の強い者も近年少なかったことから帝の身をお守りする役職に就く男も減少傾向にある。……鷹宮は血が薄まり、没落の道を歩み始めたと、影では噂されている。
現在の帝は四十歳手前。まだ世継ぎとなる男児は居ない。最後のチャンスとも言える茜にかける期待は、そんな状況の鷹宮だからこそ極めて大きい。
しかし鷹宮には、残り物の私を暁烏に差し出すのが躊躇われる理由が存在する。
「しかし茜、それは和音が居てこそ成り立つ話だ」
お父様は渋い顔でそれを暗喩する。私が暁烏に嫁ぐことになれば、禍津日神の贄となる別の人間が必要となる。鷹の姿になれる程強い印を持つ正行も、帝の側室に選ばれる可能性を持った茜も、お父様が贄として差し出したくないと思っているのは明白であった。
「嫌よ、絶対に嫌! 私は贄になるのも、暁烏に嫁ぐのも嫌!! だって暁烏の当主は、人情の無い冷たい人だって噂だものっ」
茜が反発したくなる気持ちは理解できるが、そもそも暁烏からの申し出を断ることは出来ないのだろうか? そんな疑問を持ち首を傾げれば、お父様がその理由を話し出す。
「実は正行が、仕事上で大変な失敗をしてな。暁烏の当主である志成様が、正行のせいで大怪我を負ったらしい。治療の甲斐あって助かったが、相手が相手。二十五歳と年頃の志成様が求めた賠償が、嫁というわけだ。実質、茜が帝の側室になるのを妨害する目的だろう。側室という札を持った我々が気に食わないのだろうな」
「正行の馬鹿、なんてことを……!」
「茜、馬鹿呼ばわりはやめなさい。鷹宮の次期当主は正行なのだから」
お父様に嗜められた茜は、キッと私を睨みつける。
「和音姉様が全て悪いのよ! 正行がとんでもないミスをする時は、大抵和音姉様のことで思い詰めている時だもの。ただでさえお荷物なのに、次期当主と側室候補の邪魔までするなんて。さっさと消えてよ、疫病神!」
お父様は茜の罵倒を止めない。それを概ね事実だと認めているからだろう。私は申し訳ない気持ちで、自分の膝へと視線を下げた。
「それで、だ。仕方がないから和音が暁烏に嫁ぎなさい」
「お父様! じゃあ私は──」
茜がワッと泣きながらお父様に詰め寄る。
「心配するな。暁烏はきっと、和音を寄越されるなんて思っていない。体の弱い和音では伽の相手すらままならない。早々に離縁し突き返してくるはずだ。戻ってきたところを、禍津日神に贄として差し出せば良い」
「──ははッ! お父様、なんて悪いお人なのかしら。贄にする前の和音姉様を嫁がせるなんて」
「暁烏には鷹宮の娘としか言われていないからな。約束は違えていない」
「──暁烏の皆様、怒らないの……?」
向こうは正行の失敗の賠償を求めているのに、そこへ私なんかを突き出したら怒りを爆発させるのではないだろうか。そう心配した私だったが、その発言が気に食わなかったのであろう……嫌悪感で顔を歪めた茜が、手の内にボッと火を出して私の方へと放った。癖でくるりと巻いた髪の一部に火が燃え移る。
「きゃっ……!」
「和音姉様はいつも通り、黙っていればいいのよ!」
「茜、火は辞めておきなさい。和音はちょっとしたことで体調を崩す。火が原因で死なれては、今まで生かしてきた意味がない」
お父様に注意され、茜は火を鎮める。焦げてしまった髪が彼らの言いなりになるしかないのだと告げているような気がした。
「……和音、出来るな?」
私には、頷く以外の選択肢は残されていなかった。
お父様は暁烏に「すぐにでも茜を嫁がせよう」と返事をしたらしい。お相手からもそれを是とする回答が来たために、私は婚約も何もかもすっ飛ばして、二週間後に祝言を挙げることとなった。
祝言の日の前夜。珍しく私の部屋を訪れた茜は、私の髪を引っ掴んだ。そして頭の上から茶色の液体をかけられる。
「──痛ッ」
「私の代わりに嫁ぐのだから、これくらい我慢してもらわないと困るわ。折角和音姉様のために髪染め液を買って来たのに」
茜の手に握られていたのは、一時的に髪を染めるという染料だった。髪から滴った液がぽたりと垂れて、畳を汚す。液体が付いた皮膚がひりつくように熱くて痛い。
「髪くらい染めておかないと、すぐにバレるわ。志成様と祝言を挙げる前に返品されては困るの。お前達、残りをちゃんと染めておいて。水で洗うと簡単に取れてしまうようだから、きっちり染めておくのよ」
連れてきていた馴染みの家政婦達に、髪染め液を放り投げるようにして渡した茜。そのまま高笑いと共に去っていく彼女とは……嫁いで暫くは会わずに済むだろうか? 溢れそうになる涙を我慢する私は、それだけでも暁烏に嫁ぐ意味はあるように思えた。
まだ寒さが厳しい、梅の花がほころび始めた頃。青白い肌に紅をさして、茶色に染められた髪は結いあげ綿帽子で隠して。痩せて細身の体は白無垢に包まれることで誤魔化されて、私は暁烏に嫁ぐ。その日私は初めて鷹宮の屋敷から外に出た。
(それにしても、暁烏のお屋敷も凄く立派ね……鷹宮より広いのではないかしら)
暁烏の屋敷に圧倒される私を笑顔で迎え入れてくれるのは、闇を司る暁烏らしい、黒の色彩を纏う人たち。烏というだけあって噂通り狡猾で冷たい人達なのかと思いきや、皆積極的に私に話しかけてきてくれる。無理をすればすぐに声すら出なくなってしまう私は、返事を返すことも出来ずに視線を下げた。
「まぁ小柄で可愛らしい人。緊張しているのかしら」
「志成様が自ら望んだのだとか。あの仕事一辺倒な志成様が惚れるなんて、よほどの美人か気立の良いお嬢さんなのだろうね」
(あぁ……この人たちは、私が『茜』だと思って、これほど笑顔で迎えてくれているのね。茜は鳶色の髪が自慢の美人だし、志成様が一目惚れしてもおかしくないわ)
騙してしまっているのが申し訳なくて、心臓がキュッと締め付けられるような心地だった。しかし祝言が終わるまで正体がバレてはならない。私は俯いたまま当主である志成様の元へと案内された。
志成様は、移り白の梅の元で私を待ってくれていた。私は、恐怖と緊張と疲労で俯いて……そんな美しい梅も彼の顔も見られない。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
若干過呼吸になり始めた私に掛けられた言葉は、冷酷という噂とは真逆の優しい響きだった。思わず顔を上げれば、黒の瞳と視線が交わる。
全くの初対面の人に嫁いだはずなのに……私は、この人を知っている。目をまん丸にして、ゆっくりと大きく瞬きをする私を見た彼は、フッと表情を緩めて笑った。
「俺の金糸雀は物静かだな。またあの歌声を聞かせてはもらえないか」
伸ばした黒髪を一つに纏めた、精悍な顔の男性。キリッと整った顔の作りはむしろ恐ろしささえ感じるが、口調には親しみが込められている。
そして間違いなくこの男性は──あの夜出会った黒い鳥の彼。暁烏の紋の入った紋付き羽織袴は、間違いなく彼が婿であり、志成様であることを示している。
「志成、様……」
「何だ? ……あぁ、寒いのか。まだ真冬の寒さだからな。体が弱いのは知っているが、どうにか祝言の間は頑張ってくれ。ほら、手を握って温めてやるから」
志成様はそう言うと私の両手を包み込むように握って、ハァっと息を吹き入れるようにして温めてくれる。
茜は体が弱くない。志成様の言動は明らかに私が「和音」であると理解していた。
「これで少しはマシになったか?」
私はこくりと頷く。
……その温かい吐息が、私の冷え切っていた心まで温めてくれたような気がした。
私は志成様の花嫁として迎え入れられた。
顔を上げて周囲をよく見てみれば、志成様だけでなくて、その周りにいる暁烏の人々も『和音』である私を歓迎してくれている。
詳しい事情は分からない。それでも志成様は……動揺から手を滑らせて酒を交わす杯を落としそうになった私に、怒ることすらせず。ただ笑って「今からそのように動揺していれば、夜にはどれだけ慌てるのだろうな?」と揶揄う。早ければ今日にも志成様を失望させて離縁への第一歩を踏み出すつもりでいた私は言葉に詰まり……魚のように口をぱくぱくさせてしまった。
(どうして志成様は私が嫁いで来ると知っているの……?)
そんな気持ちで迎えた午後九時。場所は夫婦の寝所として用意された部屋の布団の上。いかにもな二つ並んで敷かれたそれの上で、白の寝巻き姿で座っていた私は……息を呑んだ。
「さて、邪魔者はいない。ゆっくりと、事情を教えて貰おうか」
私の目の前でスラリと抜かれるのは、刀。脅すつもりなのか、志成様は右手で抜刀した刀を持った状態で、私を押し倒した。目の前で月の光を反射するそれは、紛う事なき真剣だ。
湯を使ったので、すっかり私の髪は元通りの金色。まだ少し湿り気を帯びたこの髪は、私が茜ではないことの証。
情緒や甘さの欠けた雰囲気は、少しばかり期待してしまっていた私の心を突き落とした。
(皆の前では鷹宮の面子を立ててくれたのね? そして二人きりになったところで、私を脅して事情を聞こうと。……恥ずかしいわ。私自身を受け入れてくださったのかと勘違いしてしまうなんて)
期待するから落胆する。初めから期待しなければ、何ともないはずだったのに。
私はそんな気持ちで、黙ったまま志成様を見上げた。
「……やはり、だんまりか。これだと実力行使に出るしかない」
そうやって睨まれても、何からどう話せばいいのか分からないのだ。言葉を選んで喋らなければ、すぐに声すら出なくなってしまう。
黙って震えている私を見て、彼はため息を溢した。
「仕方がないな……予想に基づいて、やるしかないか。──滅せよ」
刀に黒い靄が掛かる。何だろうと思ったその瞬間──ザンッと鈍い音を立てて、私の首元ギリギリを狙い、刀を突き立てられた。背中に感じた衝撃から、布団を貫通して畳にまで刀が突き刺さったのだと分かり……お腹の奥がひゅっと冷たくなる。それと同時に、今まで常に感じていた体調不良という重しがフッと軽くなるのを感じた。これが火事場のなんたらだろうか。
(こ……殺される前に、逃げなきゃ!)
殺されるわけにはいかない。私は鷹宮のために、贄として、生きて帰らなければならないのだから!
「お許しください! 嫁いできたのが茜でなくて残念に思われたのも、弟の正行がご迷惑をお掛けしてしまったのも重々承知しているのですが! どうか寛大なお心でお許しを──」
「喉に纏わりついた呪詛を断ち切った瞬間にこれか。先程までの物静かな金糸雀はどこに消えたのやら、な程によく喋るな」
「──お願い、殺さないで……え、呪詛? あれ……声が出る」
「楽になったか? やはり喉にかけられていた呪詛のせいで、あまり声が出なかったのだな。予想が当たっていてよかった」
「え……? えっと、嫁いできたのが茜ではなくて、怒りで私を殺そうとしたのでは……?」
「まさか!」
志成様は私の首元すれすれに刺さった刀を引き抜いて、鞘に仕舞う。そしてそれを畳の上に置いて、私に両掌を向けた。
「何やら勘違いしているようだが、俺には和音を傷つける意思は無い。あと俺が花嫁に望んだのは、和音。君自身だ」