その年の冬は厳しいものだった。しかし吹雪に包まれた宵那国にも、春が訪れようとしていた。
 その待ち望んだ生命の息吹のように、涼子にも小さな変化が訪れていた。
 涼子は熱を出しては臥せることを繰り返すが、あの吹雪の夜以来、少しだけ調子が上向いた。まだほとんど話さず、体に触れても反応しないが、ふとした拍子に華沙を目で追っていた。
 華沙はそんな涼子の回復を誰より喜んだ。涼子の体調を気遣い、暖めるように腕に抱いて眠っていた。兄上と涼子がこぼすように言葉を口にすると、うなずいてその手のひらに口づけた。
 ある日、華沙から涼子の元に銀糸の刺繍がされた華やかな衣が届いた。瑪瑙のあしらわれた髪飾りと、春を思わせる扇もそろえられていた。
 女官たちは顔を見合わせた。これらは今までのような、穏やかで心地よい日々のために帝から贈られていたものとは違う。
 その答えは、夜に華沙が涼子の元を訪れて告げた。
「すず、宴に出てみぬか」
 華沙は涼子を膝の上に乗せて背中から抱きながら話しかけた。
「明日から七日間、後宮の「春の庭」で宴を開く。楽師や舞姫や、公達を呼んでいる」
 涼子は何も言わなかったが、控えていた女官たちは驚きを隠せなかった。
 前帝の時代、宵那国の後宮では多くの女御が寵を競っていて、活発に商人や楽師が出入りしていた。だが華沙は中宮しか側に召すことはなく、特に涼子が毒を盛られた五年前からは、中宮以外を涼子に引き合わせることはなかった。
 女官たちは帝の意図をはかりかねたが、帝から女官たちへの説明はそれだけだった。
 華沙は涼子を抱いて立ち上がると、女官たちに告げる。
「少し話してから休ませる。寝所に薬湯を運んだら、下がってよい」
 涼子の寝所に先行した女官は素早く寝床を整え、華沙は先にそこに座って涼子の背を支える。
 まもなく運ばれてきた薬湯を、華沙はいつものように一口飲んで熱さを確認する。それから慎重に涼子の唇にあてがって、一口喉に流し込んだ。
 涼子は虚空をみつめていたが、やがて喉が小さく動く。華沙は安心したようにほほえんで言った。
「私の身勝手な贈り物かもしれぬ。いや、何もかもずっとそうであったか」
 髪飾り、衣、女官に庭。あらゆるものを華沙は涼子に与えたが、涼子が喜んだのは庭くらいだった。
 それでも涼子が自分からの贈り物を受け取っただけで、華沙は飽きることなく次の贈り物を考えた。
「今回は、そなたが気に入るとよいのだが……」
 華沙はもう一口涼子に薬湯を含ませたが、涼子はなかなか飲み込まなかった。そういうときは仕方なく、喉をさすって少し強引に飲み込ませる。そうしなければ、涼子は飲み込むのさえ嫌がることが多かった。
 枕元のろうそくの灯りが、涼子の繊細な面立ちを淡く照らしている。灰色の瞳は病の中にあっても澄み切っていて、花びらのような唇はほんの少し開いていた。
 華沙はひとときみとれたように涼子の姿を見下ろして、腕に抱いて寝所に横たわる。
「そなたを誰にも引き合わせたくなかった」
 涼子の髪を梳いて、華沙は独り言のようにつぶやく。
「そなたの姿に誰かが見入るのを想像すると、気が狂いそうだった。ましてそなたが誰かと結ばれるなど……」
 言葉を途切れさせてから、華沙は涼子をきつく抱きしめる。
「だが、これがそなたのくれた最後の季節のような気がしてならぬ。今そなたに望むものを与えられなければ、そなたは永遠に私の前から消えそうで」
 涼子の虚ろな瞳は、華沙が見えているのかどうかもわからない。
「生きるのだ、すず。美しく消えてはならん」
 涼子の頬に唇を寄せて、華沙はずいぶん長く、涼子を離そうとしなかった。