【交通安全教室の開催】
 
 九月。

 「さて、どこから手をつけようかな」

美佳は、小学生相手の交通安全教室や、中学生のおしごと体験は経験があった。

 しかし、高校生相手にした交通安全教室は全く経験がない。

 鈴木優に相談したら、モビリティマネジメント的な課題を与えてグループワーク形式にしたら生徒も本気で取り組んで貰えるのではないかと提案を受けた。

 モビリティマネジメントとは、環境や交通に関するレクチャーを定期的に数回受けた後、アンケートや行動プラン表を作成、自主的にマイカー依存から公共交通への利用促進に向けて行動変容を促す手法。

 四年前、美佳と鈴木優が高校一年生の時に結成した佐々山電鉄応援団。

 その時に、モビリティマネジメントの手法を実践した経験があった。

 現在でも、美佳は沿線の小学校や中学校で実行していたが、高校生にアレンジするという発想には至らなかった。

 美佳は、「それか」とポンと手を叩いた。

早速、美佳は実行に移す段取りをする。

 過去に、モビリティマネジメントの講師役をお願いした先生方に連絡を取る。

当時、沿線の工業高校の土木科教師だった田島教諭は伊勢崎市の別の高校に転任していた。個人情報とか面倒な話になった。

理由を話したら、なんとか新しい連絡先を教えてもらい美佳は現状を説明した。

 やはり、田島先生側も生徒の歩きスマホについて心配していて、なんらかの対策を考えようとしていた事から快諾を得た。

埼玉交通短大のモビリティマネジメントの専門家である長瀞教授。

同じく、今回の件に協力して貰える事になった。
 
       ♢

 打ち合わせの日、佐々山電鉄本社会議室で行った。

 美佳と鈴木優、佐々山電鉄、渋川警察署、渋川広域消防本部、渋川市役所、沿線高校の校長、群馬テレビや上毛新聞社などの県内マスコミ関係者が招かれている。

 会議に臨席する警察署長と学校の校長先生達は、可愛い服を着た美少女に夢中だ。

 そして、美佳は不機嫌。

「なぜ。雨宮京子が居る。学校は?」

 雨宮京子はニコッと笑いながら

「ウチの学校。成績上位者は事前申請すると授業出席しなくても単位さえ取れれば自主研究課題の方が優先されるのです」

「これ許可証です」

「ほう」と美佳は差し出された用紙を見た。

「そうなんだ」

 雨宮京子は「高校生相手の交通安全教室。現役のアタシが居た方が良くない?」

 校長先生は、「そうですね。優秀な女子高生の参加は他の生徒の刺激になります」

 雨宮京子は、美佳にピースサインを出す。

 美佳は「ほいほい。解りました。出席を認めます」と諦めた顔で承諾した。

 会議の内容として、佐々山電鉄沿線にある3つの高校から「総合的な探求の時間」を活用して同じテーマで共通課題として取り組ませたいという提案があった。

総合的な探求の時間とは、生徒が自主的に課題を設定し、情報の収集や整理・分析をする時間。

 警察署長からは、パワーポイントのスライドで歩きスマホのショートムービーが公開され、それを受けて渋川広域消防本部も過去の歩きスマホに関する事故の救助状況の生々しい写真資料が公開される。

 校長先生達から「実際はモザイクを掛けるとしても生徒達には刺激が強すぎるよ」という声もあった。

 現実問題として、先日の渋川新町駅構内での沙也加の事故の写真もあった。

 特に美佳は「当事者も社会的制裁を受けて自殺未遂まで起こしています。アタシも見せしめみたいな画像はどうかと……」

 消防本部も「いや。あくまでも教材的な利用で個人攻撃やプライバシーにまで立ち入る意図は毛頭ありません」と詫びた。

 警察署長も、消防本部をフォローする感じで「でも、消防さんの方法も間違いじゃない。歩きスマホの怖さ、責任、歩きスマホで多くの人が迷惑をして、本人自らも危険と隣り合わせという認識を持たせるには、ある程度の現実は知っていた方が良い」
と厳しい顔で発言した。

 「駅構内に貼って貰っている啓蒙ポスターも、肝心な歩きスマホをする学生はスマホに夢中で見る事すらありませんからね」

 美佳は悩んだ。

「確かに、歩きスマホは危ないよって言葉で言うと軽く聞き流されてしまう。身の危険、相手への危害、損害賠償とかリアルな方が伝わる訳かぁ」

 ここにいる会議のメンバーは全員が、歩きスマホによる事故を減少させ、二度と沙也加みたいな辛い思いをする生徒を無くす為に集まっている。

 本気ゆえに、タブー的な解決策も躊躇なく提案して貰えるのは有難い事だ。

 鈴木優が挙手をした。

「啓発用の架空設定ドラマ動画作成は?」

 美佳は、少し呆れた顔で鈴木優を見た。

「ほい?架空設定のドラマ動画だぁ?」

 予想外の提案に美佳は、何を言っているのだといわんばかりの顔で睨んだ。

 雨宮京子が、割り込んできた。

「さすがです」

 雨宮京子はノートパソコンを開く。

「スクリーンをお借りします」

 既に仕込んであるデータを使い器用にプレゼンを始めた。

 科学的根拠を持った解説に見入る。

 プレゼンが終わると質疑応答の時間まで設けている辺りが場慣れしている。

「動画って動画サイトか何かで公開?」

 美佳が、雨宮京子に問う。

「そうです。渋川市が全国に歩きスマホの危険性を啓発する。出来れば市のサイトでもフリー動画として、渋川市以外、群馬県に留ま
らず全国の自治体が渋川市発信の啓発動画を無条件で活用できる」

「それで動画の予算は?」

 渋川市の担当者が興味津々で質問した。

「すでにRRMSの広報室と話をつけてあってRRMSの全額支出です。代わりに動画撮影は全てRRMS車両で撮影」

 美佳は「RRMSの宣伝をしたいだけでしょ」と商業的な話に釘をさした。

「確かに、一企業のPR動画より群馬県や自治体単位でフリー動画の方が県下全域で小学校から高校まで授業でも使えます」

 雨宮京子は「えー。RRMSの提案よ」

不満そうな顔で、美佳を睨んだ。

「京子に借りを作る訳にはいかない。アタシも嫌だからね。ちゃんと見返りは与えてやるわよ」と言う。

 会議は終わった。

 美佳と、鈴木優、雨宮京子だけが残る。

「で?京子。そのドラマとやらのシナリオ」

「考えていませんよ。通るかも解らない奴」

「無責任な奴だな」

「人の企画を引用する人に言われたくありません。アタシもRRMSの広報に報告する都合で、ウチの顔も立ててくださいね」

「ほい。承知」

    ♢

 数日後。

動画配信用のドラマは10分で起承転結を行う事になった。

「10分かぁ。短いなぁ。せめて20分」

美佳は、シナリオに悩んでいると雨宮京子から連絡が来た。

「優さんから聞きました。やっぱり、アタシがメインで主演を任せて貰えればシナリオはアタシの方で出しますけど」

美佳は「はぁ主演?何様気取りだ?」と悪態をついた。

「えー。見ている方も現役女子高生で可愛い方が視聴率アップ間違いなしですよぉ」

 美佳は、まったく何もシナリオが出来てない事から「いいよ。とりあえず出して」と渋々ながらデータを送って貰った。

 美佳は、一読してから、間をおいて再度読み直した。

 内容は、沙也加の件がベースだ。

「悔しいけど、京子のシナリオは面白い」

 描写もストーリーも良く出来ていた。 

     ♢

 撮影当日。

手直しが入った。

沙也加の両親から、娘の事故を連想させる画像にならないように請願された。

ただ、別の鉄道会社の車両で撮影するならと問題は無いとの条件が付いた。

 最初は、渋川市が主体となって渋川市内での撮影で終わらせる予定だった。

鉄道のロケも、当初は佐々山電鉄だけを使った撮影を行う予定だった。

渋川警察署の署長が群馬県警からも歩きスマホ対策は渋川市内のみではく群馬県全域での取り組みで行いたいとの要望があった。

 まして、県警としては“移動中のスマホ閲覧厳罰化”で何らかの対策が急務になっていたので、美佳の駅構内で歩きスマホ危険性をテーマにした動画は好都合だったらしい。

 また、行政も群馬県全域で行いたいとの要望があり、歩きスマホ問題は全県エリアで足並みを揃えて実施する流れになった。

 結果、前橋市と桐生市を走る県内の私鉄、上毛電鉄の中央前橋駅が候補にあがった。

 動画は、前橋市内で活動する市民団体の動画作成チームがロケを担当した。

 群馬県警、前橋市消防本部、そして前橋市から、みどり市を抜け桐生市に向かう上毛電気鉄道の中央前橋駅で撮影が行われた。

 朝と臨時列車入線時のみ使用する日中は列車が入線しない広瀬川に沿ったホームで実際の列車を停車させてロケをした。

 導入部分から、エキストラのサラリーマンや高校生達は日常的に歩きスマホをしている撮影になる。

 架空の女子高生(雨宮京子)は学校や部活でも人気者で楽しい学園生活を送り、イケメンの彼氏、優しい両親に囲まれた幸せな日常を送っているというナレーション。

そんな、ある日のこと中央前橋駅構内を歩きスマホで、バランスを崩しホームから転落してしまう。

幸せだった生活が崩壊してしまうという内容だ。

 わずか10分の動画だけど、二日間かけて撮影をした結果、観た人の心には刺さる内容だと確信した。

 試作動画は、関係者のみで視聴された。

 ただ、一部の鉄道会社からは「悪戯に恐怖心を与えるのは」と心配の声もあった。

 逆に、駅構内でポスター掲示、キャンペーン等でチラシやテッシュペーパー配布などの効果が無い中で、むしろ怖いくらいが抑止力
になると支援する声で採用。

 動画は、群馬県の公式サイトで放映され、群馬テレビ、上毛新聞社でも報道された。

 NHK前橋放送局も関東エリアの情報番組で取り上げ、一部の東京をキー局とする民法も取材の話が舞い込んできた。

 群馬県発信の実際にあった事故を基にした動画は、まずまずの出だしだった。

 実話が基になった動画。

 単に、「あぶない」では伝わらなかった部分が大きく評価された。

 この動画は、無償で学校教材、各鉄道会社の公式サイトからもアクセスできる。

    ♢

  交通安全教室の開催日

 美佳は、体育館のステージに居た。

一学年ごとに、日程を変えて二時間の枠で交通安全教室を開催する。

 一時間は美佳の講習、もう一時間は校庭で自動運転バスRRMSを使った実習だ。

 美佳なりに、雨宮京子の顔を立てた策だ。

 美佳の講習は、動画を見せて体育館に島のように設置された会議室用のテーブル上に大きな模造紙を置いて各クラスでグループ分け
したチームで、美佳がデータを基に問題点を抽出して、チーム全員が何かしらの提案や改善点を付箋に書いて模造紙に張り付けてリーダーが纏めて提案する。

 作業させて、自分の事として考えて貰う。

当然ながら、沙也加も参加している。

 既に、美佳は学校側に根回ししていて、スマホ持ち込み禁止ではなく、なぜ危ないか、何をしたら生徒達は自分の行動に責任を持て
るのかを指導、教育する方が再発防止になるのではないかという提案をしていた。

 沙也加の件も、学校側は知っていて歩きスマホの案件よりも、集団心理で仲間を迫害、無意識にイジメが正当化される環境を学校側の配慮で防げるのではないかと事情を説明した。

 学校側も、保護者会や教員達との会議を数回繰り返し、交通安全教室の開催をもって処分やスマホ持ち込みの件は、今回に限り不問
にすると確約を得ていた。

 生徒達も、趣旨を理解し真剣に取り組む。

 校庭でも、鈴木優と雨宮京子が活躍していた。黄色い声が飛び交っている

「雨宮京子だ」

「京子ちゃん。実物?マジ可愛いよ」

 コミュニティバスで多く使われている日野ポンチョと呼ばれる小型路線バス。

 女子高生達は、殆どがバスの車体に興味を持たなかった。雨宮京子に夢中だ。

理工系の女子達はバスの方を見ている。

 雨宮京子は、ニヤッと笑い「さすが地元の進学校ね。解っている子いるね」と囁く。

 鈴木優も「理解している子は目つきが違う」と手ごたえを感じていた。

 鈴木優は、「RRMSについて説明します」とマイクで話をすると歓声が沸く。

「えっ。あの女の人。男性なの?」

 鈴木優は、慣れているので説明を続けた。

「今回は、交通安全教室ということで、歩きスマホの危険性というテーマで実施します。なぜ?歩きスマホと自動運転RRMSが関係あるのかという話から」

バスの前面に生徒達を移動させた。

「まず、自動運転に必要なカメラ、センサーです。障害物検知、信号確認などをします。私達と同じ自動運転も前を見て、信号を確認、障害物を避ける行動をします」

 雨宮京子も「もう。言いたいことは解りましたよね。どんなに最新技術でも、自分の進む進路に危険は無いか?信号は青なのか赤なのかを判別しないと安全は確保できないのです」と補足した。

 生徒達を、RRMSバスに乗せる。

 レベル4といえども、基本的にはドライバーが乗る運転席は残してある。

 いくら技術がレベル4に準拠していても、法令や自動車保険の兼ね合いで何処でも、好き勝手に自動運転で走行できないのが現状だからだ。

 実際にRRMSの試験走行区間であっても、ドライバーが直ぐに運転を代われる体制に居るか、保安要員が緊急停止できるように乗
車、遠隔制御の管理室からの徹底的な監視、緊急時の制御など厳しいルールが無ければ自動運転が成立しない。

運転席の背後に、モニターがあり『充電中』『放電中』という電池みたいなマークに矢印が交互に向いた画像がある。

 鈴木優は「通常のポンチョは軽油で走るディーゼル車です。RRMSは電気バスです。ただ充電時間やら急勾配を走行、緊急時のバッテリー容量とか現在の課題です」

 雨宮京子が補足するように

「優さん。今日は技術的な説明よりも、自動運転も人間と同じで自分の安全を守る、対向車や歩行者など相手への安全についての話を優先しましょう」と釘を刺された。

 凹む鈴木優を見て生徒達が笑った。

 雨宮京子は「人間も同じです。危険や普段と違う異常時に目で見て危険を察知。耳で異音を感知る。それを歩きスマホでは予想以上
に視野が狭くなる。オマケに耳にイヤホンして歩けば?」

 マイクを持つ手を生徒に向けた。

「うふふ。即答できませんよね」と微笑む。

 鈴木優が「実験してみましょう」と3Dゴーグルを出してきた。

「日常の動画を加工して、ゲーム感覚で突然、危険な状態に陥るようにプログラムされたデータが組み込んであります」

 雨宮京子は「一人ずつ体験して貰いましょう。注意配分や危機管理能力が解ります」

 雨宮京子は、淡々と語る。

「人間の能力には個人差、適正があります。同じ歩きスマホでも本人の咄嗟の判断で自ら危険を回避できる人も居れば、周囲が危険行為をしているアナタを相手が避け、ぶつからないようにしてくれるからアナタは安全で居られる。その能力差を丸裸に出来る測定なの」

 高校生が恐々と挙手をした。

「それって、個々の能力が数値化される?」

雨宮京子はニコッと笑い。

「データは個人情報を厳守した形で私達の研究に寄与されます。学校にも渡します」

 高校生達は「ムリ。それは嫌」と拒否。

「自信ないよぉ」

「悪い数値だったら歩きスマホ禁止?」

「根本的に、鉄道の駅にホームドア付ければ良いだけでしょ。安全に歩きスマホできる社会環境を提言する」

 生徒達は、好き勝手に反論を口にした。

雨宮京子は「静粛に」と女子高生達に言い放つ。

「さっきの質問の回答。実は能力差ありません。歩きスマホは必ず他の歩行者が退いてくれている。それを自分は安全に歩きスマホし
ているとか勘違いしている段階でダメな訳」

 鈴木優は、「でも正直な意見が数件あったよ」と笑った。

 最後の十五分は、関係者との意見交換や所感が語られた。

 二時間の交通安全教室の終盤に校長先生から総括があった。

 いままで、警察や鉄道会社、スマホの通信関連企業が何度も“歩きスマホの危険性”をPRするイベントやポスター掲示、広報活動をしても事故が減少しない理由。

 それは、誰もが他の人もしている、自分だけは安全という根拠のない自信からだ。

 しかし、安全が確保されていない事で事故を起こした後の賠償や責任を問う動画は、「軽く考えて居た歩きスマホだが、今回の交通安全教室で怖さに気付いた」「親に迷惑が掛かるような事になるとは考えて居なかった」など後始末を知った事で、自ら行動変容をする生徒がアンケートでは圧倒的に多かった。


 美佳は、多くの関係者から交通安全教室の成功を評価された。

他校での講習も続々と依頼される。

 自分は、佐々山電鉄に不要な人材と悩んでいた七月からは、嘘のように多忙で多くの人から美佳は頼られるようになった。

  【完】