カメラにストロボ、レフ板やライト。あらゆる機材に周りを囲まれ、強張る背を励ますように先輩がポンとたたいて去っていく。
アシスタントとしてカメラスタジオに就職してから、二年ほどが経った。今日は、初めてカメラを任せてもらえることになっている。モデルデビューが決まっている新人の、宣材写真を撮る予定だ。
“拝啓 遠い海で出逢った少年――もといカナタくん。
最近はどんな風に過ごしてる?
オレは、うーん、すごく緊張しています”
彼と過ごしたほんの少しの時間は、心の真ん中に大きく深く、芯として存在している。
あの背中が、未来である今をしっかりと歩く様が想像できるから。オレも負けてらんないな、なんて思うのだ。連絡先くらい、聞いておけばよかった。
「モデルの方入りまーす」
スタッフの大きな声に、オレは小さく肩を跳ねさせてひとつ深呼吸をする。
今日撮影をするモデルはひとり。資料はもう何度も確認した。名前や身長などのデータが、頭にしっかり入っている。
大丈夫、大丈夫だ。もう一度深呼吸をして振り返る。挨拶は基本の“き”だ。スタジオに入ってきたモデルに向かって、しっかりと頭を下げる。
「初めまして! 今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
次は握手をしてもらおうか。そう思いながら顔を上げた時――オレがどれほど驚いたか、目の前に立つ君だけは、きっと分かってくれるよな。
「っ! え、え!?」
「うっそ、もう会えた」
「へ……どういう意味!?」
現れたモデルの姿に、オレは大きく目を見開いた。初めましてと言ったが、あれは撤回だ。だって会ったことがある、いや、あるどころの話ではない。
オレの心の支えである、カナタくんの姿がそこにはあった。
顔立ちに多少変化はありつつも、見間違えるはずがない。こんなに美しい男はそうそういないだろう。資料に書いてあった名前は“叶汰”。そうか、あれはカナタと読むのか。
呆気にとられていると、オレたちの様子を不思議がった先輩たちが、何事かと声をかけてくる。ちょっとした知り合いなのだと説明すると、折角だから撮影前に話したらと、少し時間をもらえることになった。
「本当にびっくりした……元気してた?」
「はい、元気にしてました。恵さん、夢叶えたんすね」
「うん……実は今日が初めての撮影。ずっとアシスタントしてたから」
「マジすか。奇遇っすね」
「だなー。てか、叶汰くんがモデルになるなんてな。いや、あの時からめっちゃ綺麗だと思ってたから、めっちゃ納得」
「はは、ありがとうございます。おかげさまで」
「おかげさま?」
「言いましたよね。『おにーさんも責任重大っすね』って」
「…………」
首を傾げたところで、そろそろ始めようかと声がかかる。それに叶汰くんが返事をして、カメラの前へと歩き出す。だがオレは彼の言葉が気になって、手首を掴んで引き止めた。
「待って、今のどういう意味?」
「あの時……海で恵さんに写真撮ってもらった時。最初は困ったけど、すげー楽しかったんです。もう1回夢みてみる、って宣言してたのもなんか衝撃で。俺もなんか、って考えたら……撮られる側になりたいなって思った。俺の夢、恵さんがくれたんすよ」
「マジ……」
「うん。またね、って言ったでしょ」
叶汰くんはそう強気に微笑んで、今度こそカメラの前に立つ。ほら、ちゃんと撮ってよ、夢を掴んだんでしょ、と言われているみたいだ。
どこか惚けた気持ちのまま、それでも夢中でシャッターを切る。ああ、この感覚だ。胸の奥底から湧き上がってくる、彼に引き出される。切り取ったその瞬間から過去になってゆく刹那を、この手で今に繋ぎ止める喜びが。
“拝啓 遠い海で出逢った少年……いや、青年になった叶汰くんへ。
君の道を彩れること、心から誇りに思うよ”
ファインダーの向こうに見えるのは、凛と立つ美しい男。
鼻がツンと痛む感覚に、凍えるような冬の海を思い出す。後ずさって去る叶汰くんに射す、スポットライトのような陽を見た時だ。そうか、あの時もそうだったのか。
涙の正体は、失恋へのシンパシーでもなんでもなく、彼からした希望の匂いだ。
ひとしきり撮影をして、叶汰くんの事務所のスタッフにもOKをもらって。ふと目が合った彼と、ハイタッチを交わす。
「叶汰くんも夢が叶ったね、ってことでいいんだよな」
「はい。でもこれからっす」
「うん。オレもやっと始まったところだよ」
ゼロになった未来設計図を書き直して、夢のスタート地点にたどり着いた。その場所に共に彼がいる、前を向くきっかけをくれた叶汰くんが。この巡り合わせを、今なら胸を張って運命だと呼べるかもしれない。
「あ、そうだ! 連絡先教えてよ」
「俺もまた会ったら言おうと思ってました。あと、あの時の写真も見たいっす」
「うん、オレもずっと見てほしかった」
思いがけない再会に、オレたちははしゃいだ。だがそれ以上に、これからが勝負だと互いを鼓舞し、強い眼差しで拳をぶつけ合う。
――実は遠くない未来、叶汰くんが初めて誌面を飾る雑誌の撮影も、オレが担当することになる。飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を獲得する叶汰くんは、ソロ写真集の発売が決まり、その表紙にはあの海で撮った写真が起用される。それから――
そんな喜びが待っていることを、今はまだ知らないままに。
アシスタントとしてカメラスタジオに就職してから、二年ほどが経った。今日は、初めてカメラを任せてもらえることになっている。モデルデビューが決まっている新人の、宣材写真を撮る予定だ。
“拝啓 遠い海で出逢った少年――もといカナタくん。
最近はどんな風に過ごしてる?
オレは、うーん、すごく緊張しています”
彼と過ごしたほんの少しの時間は、心の真ん中に大きく深く、芯として存在している。
あの背中が、未来である今をしっかりと歩く様が想像できるから。オレも負けてらんないな、なんて思うのだ。連絡先くらい、聞いておけばよかった。
「モデルの方入りまーす」
スタッフの大きな声に、オレは小さく肩を跳ねさせてひとつ深呼吸をする。
今日撮影をするモデルはひとり。資料はもう何度も確認した。名前や身長などのデータが、頭にしっかり入っている。
大丈夫、大丈夫だ。もう一度深呼吸をして振り返る。挨拶は基本の“き”だ。スタジオに入ってきたモデルに向かって、しっかりと頭を下げる。
「初めまして! 今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
次は握手をしてもらおうか。そう思いながら顔を上げた時――オレがどれほど驚いたか、目の前に立つ君だけは、きっと分かってくれるよな。
「っ! え、え!?」
「うっそ、もう会えた」
「へ……どういう意味!?」
現れたモデルの姿に、オレは大きく目を見開いた。初めましてと言ったが、あれは撤回だ。だって会ったことがある、いや、あるどころの話ではない。
オレの心の支えである、カナタくんの姿がそこにはあった。
顔立ちに多少変化はありつつも、見間違えるはずがない。こんなに美しい男はそうそういないだろう。資料に書いてあった名前は“叶汰”。そうか、あれはカナタと読むのか。
呆気にとられていると、オレたちの様子を不思議がった先輩たちが、何事かと声をかけてくる。ちょっとした知り合いなのだと説明すると、折角だから撮影前に話したらと、少し時間をもらえることになった。
「本当にびっくりした……元気してた?」
「はい、元気にしてました。恵さん、夢叶えたんすね」
「うん……実は今日が初めての撮影。ずっとアシスタントしてたから」
「マジすか。奇遇っすね」
「だなー。てか、叶汰くんがモデルになるなんてな。いや、あの時からめっちゃ綺麗だと思ってたから、めっちゃ納得」
「はは、ありがとうございます。おかげさまで」
「おかげさま?」
「言いましたよね。『おにーさんも責任重大っすね』って」
「…………」
首を傾げたところで、そろそろ始めようかと声がかかる。それに叶汰くんが返事をして、カメラの前へと歩き出す。だがオレは彼の言葉が気になって、手首を掴んで引き止めた。
「待って、今のどういう意味?」
「あの時……海で恵さんに写真撮ってもらった時。最初は困ったけど、すげー楽しかったんです。もう1回夢みてみる、って宣言してたのもなんか衝撃で。俺もなんか、って考えたら……撮られる側になりたいなって思った。俺の夢、恵さんがくれたんすよ」
「マジ……」
「うん。またね、って言ったでしょ」
叶汰くんはそう強気に微笑んで、今度こそカメラの前に立つ。ほら、ちゃんと撮ってよ、夢を掴んだんでしょ、と言われているみたいだ。
どこか惚けた気持ちのまま、それでも夢中でシャッターを切る。ああ、この感覚だ。胸の奥底から湧き上がってくる、彼に引き出される。切り取ったその瞬間から過去になってゆく刹那を、この手で今に繋ぎ止める喜びが。
“拝啓 遠い海で出逢った少年……いや、青年になった叶汰くんへ。
君の道を彩れること、心から誇りに思うよ”
ファインダーの向こうに見えるのは、凛と立つ美しい男。
鼻がツンと痛む感覚に、凍えるような冬の海を思い出す。後ずさって去る叶汰くんに射す、スポットライトのような陽を見た時だ。そうか、あの時もそうだったのか。
涙の正体は、失恋へのシンパシーでもなんでもなく、彼からした希望の匂いだ。
ひとしきり撮影をして、叶汰くんの事務所のスタッフにもOKをもらって。ふと目が合った彼と、ハイタッチを交わす。
「叶汰くんも夢が叶ったね、ってことでいいんだよな」
「はい。でもこれからっす」
「うん。オレもやっと始まったところだよ」
ゼロになった未来設計図を書き直して、夢のスタート地点にたどり着いた。その場所に共に彼がいる、前を向くきっかけをくれた叶汰くんが。この巡り合わせを、今なら胸を張って運命だと呼べるかもしれない。
「あ、そうだ! 連絡先教えてよ」
「俺もまた会ったら言おうと思ってました。あと、あの時の写真も見たいっす」
「うん、オレもずっと見てほしかった」
思いがけない再会に、オレたちははしゃいだ。だがそれ以上に、これからが勝負だと互いを鼓舞し、強い眼差しで拳をぶつけ合う。
――実は遠くない未来、叶汰くんが初めて誌面を飾る雑誌の撮影も、オレが担当することになる。飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を獲得する叶汰くんは、ソロ写真集の発売が決まり、その表紙にはあの海で撮った写真が起用される。それから――
そんな喜びが待っていることを、今はまだ知らないままに。