「ねぇ君生きてるー?」
頭のすぐそばでそんな声が聞こえて、誉は文字のごとく飛び起きた。肩にかかっていた紺色の布が落ちる。不思議に思いながら広げると男物の羽織のようだった。白檀の匂いがする。
羽織? こんなのあったっけ?
ぼんやりする視界できょろきょろと辺りを見回すと見知らぬ部屋の真ん中で寝転んでいた。壁の一面は木製の格子がはめ込まれている。それには見覚えがあった。
「夢じゃなかった……」
「都合の悪い夢だと思った?」
背後からそんな声がしてはじけるように振り返る。細い目と目が合った。銀縁の眼鏡に深緑色の着物を身につけている。男は人のいい笑みを浮かべて誉をじっと見ていた。
「いくら声かけても起きないから死んだのかと思ったよ」
あはは、と楽し気に声を上げたその男は胡坐の上に頬杖を突いた。
「はじめまして、お嬢さん。起き抜けのところ悪いけど、すぐ出かけるから仕度しな~」
男は糸のように目を細めた。
男は誉の手を引いて牢を出た。ほらほら行くよ、と軽い足取りで地上へ出る。ちょっと待ってよと誉が叫ぶよりも先に、待ち構えていた人物により行く手を阻まれて足が止まった。
「おい雲居。勝手な事すんじゃねぇ。何かあったらどうするつもりだ」
切れ長の目が誉と男を睨む。待ち構えていたのは天慶だった。
「やっほー、天慶。元気してた? 後で部屋に祝い酒持ってくね。あと訂正だけど、別に俺勝手な事はしてないよ。おたくの優秀な権宮司くんが通してくれたんだから」
天慶は後ろに控えていた黎栄を睨んだ。ふっとそっぽを向いた黎栄に舌打ちする。
「まぁまぁそうカリカリしなさんな。黎栄だろうと俺だろうと別に大差ないでしょ? ちゃんと見張っとくから安心してよ」
眉間の皺をいっそう深くした天慶に、誉は戸惑いながら男の背に隠れた。さ、行こうかと男は誉の肩に手を回すと、機嫌よく歩き出した。鳥居をくぐって神社の敷地の外に出ると鬱蒼とした森が広がっていた。陽の光が僅かに差し込む程度で薄暗い。機嫌よく前を歩く男の背中に恐る恐る声をかけた。
「あ、あの……色々と聞きたいことがあるんですけど!」
「あはは、だよねぇ」
男は一層目を補足して笑った。
男は自分を雲居と名乗った。天慶とは友人で今日は彼に会いに来たらしい。そして社に到着したところで地下牢へ向かう黎栄と出会い、話を聞いて誉に会いに来たのだとか。
「あの……じゃあ、雲居さんが私を本庁に?」
「本庁? 現世は今日から三連休ってやつなんでしょ? 行っても開いてないよ。ていうか本庁は現世にあるから、君のその状態で行ったら完全に死ぬけど」
「え!? でも昨日あの天慶って人が本庁に引き渡すって……ていうか死ぬの!?」
雲居は面白いものでと見つけたようにくふくふと笑った。相変わらず天邪鬼なんだから、と独りごちる。
「クソ分かりにくいけど、キミに身体を探す猶予をくれたんだよ。幽世にも本庁と同じ役割を果たす機関の"支庁"ってのがあるけど、天慶はわざわざ"本庁に引き渡す"って言ったんでしょ? ホント甘い奴だよ」
よく分からないけれど、とりあえず私は猶予が貰えたと言うことなんだろうか。
「本当は黎栄がキミに付き合う予定だったみたいだけど、面白そうだから代わりに俺が行くって名乗り出たわけ。だから今日一日君の身体探しに付き合うよ」
「いいんですか!?」
「いいともいいとも。ただキミがどこで身体を落としたのか分かんないから、探し回らなきゃ行けないんだよなぁ。結構時間かかるよ」
森を抜けた先に広がるのはテレビで見るような田舎景色。田畑が広がり、里と呼ぶ方が相応しい山の中腹にありそうな人里だった。来る時に歩いたよく分からないあの通りも、どこか時代から取り残されたような景色だった。誉の常識が通用する場所ではないということだけは分かる。
「車とかって……」
「あー、現世のあの便利な乗り物ね。ある訳ないじゃん」
「デスヨネ」
ああでも、と雲居は顎を摩ってにやりと笑う。ちょいちょい、と人差し指で誉を招いた。不思議に思いながらも一歩近づくと雲居は誉の右手を自分の首に回させて、空いた手で軽々と誉を持ち上げる。
「ヒィッ!? 急に何!?」
「もっと早い乗り物ならここに"いる"よ」
大きな布団を広げた時のような音と同時に、雲居の背中に黒い何かが広がった。光に反射して黒光りするそれは昔飼っていたインコのピーちゃんの羽に似た質感だった。次の瞬間、胃がふわりと浮く感覚と共に土を踏みしめていたはずの両足が地面から離れた。足元いっぱいに森が広がっている。
「は、は!? えええ!?」
「あはは、うるさ」
「何で飛んでんのぉぉぉ!?」
ゴォォとすぐ耳元で飛行機が風を切るような音が聞こえる。バッサバッサと雲居の背中で動くのは彼の身体の倍はある大きくて立派な翼だった。
「言ってないっけ? 俺も妖。天狗の妖、伯耆坊の雲居……が、俺の正式な名前ね。天慶とか黎栄も天狗だけど、それは流石に知ってるか」
「初耳ですけど!? ていうかそういう重要な情報は、出会って五分以内に教えて貰っていいですかね!?」
いやぁああ、と誉の悲鳴が里中に木霊した。
頭のすぐそばでそんな声が聞こえて、誉は文字のごとく飛び起きた。肩にかかっていた紺色の布が落ちる。不思議に思いながら広げると男物の羽織のようだった。白檀の匂いがする。
羽織? こんなのあったっけ?
ぼんやりする視界できょろきょろと辺りを見回すと見知らぬ部屋の真ん中で寝転んでいた。壁の一面は木製の格子がはめ込まれている。それには見覚えがあった。
「夢じゃなかった……」
「都合の悪い夢だと思った?」
背後からそんな声がしてはじけるように振り返る。細い目と目が合った。銀縁の眼鏡に深緑色の着物を身につけている。男は人のいい笑みを浮かべて誉をじっと見ていた。
「いくら声かけても起きないから死んだのかと思ったよ」
あはは、と楽し気に声を上げたその男は胡坐の上に頬杖を突いた。
「はじめまして、お嬢さん。起き抜けのところ悪いけど、すぐ出かけるから仕度しな~」
男は糸のように目を細めた。
男は誉の手を引いて牢を出た。ほらほら行くよ、と軽い足取りで地上へ出る。ちょっと待ってよと誉が叫ぶよりも先に、待ち構えていた人物により行く手を阻まれて足が止まった。
「おい雲居。勝手な事すんじゃねぇ。何かあったらどうするつもりだ」
切れ長の目が誉と男を睨む。待ち構えていたのは天慶だった。
「やっほー、天慶。元気してた? 後で部屋に祝い酒持ってくね。あと訂正だけど、別に俺勝手な事はしてないよ。おたくの優秀な権宮司くんが通してくれたんだから」
天慶は後ろに控えていた黎栄を睨んだ。ふっとそっぽを向いた黎栄に舌打ちする。
「まぁまぁそうカリカリしなさんな。黎栄だろうと俺だろうと別に大差ないでしょ? ちゃんと見張っとくから安心してよ」
眉間の皺をいっそう深くした天慶に、誉は戸惑いながら男の背に隠れた。さ、行こうかと男は誉の肩に手を回すと、機嫌よく歩き出した。鳥居をくぐって神社の敷地の外に出ると鬱蒼とした森が広がっていた。陽の光が僅かに差し込む程度で薄暗い。機嫌よく前を歩く男の背中に恐る恐る声をかけた。
「あ、あの……色々と聞きたいことがあるんですけど!」
「あはは、だよねぇ」
男は一層目を補足して笑った。
男は自分を雲居と名乗った。天慶とは友人で今日は彼に会いに来たらしい。そして社に到着したところで地下牢へ向かう黎栄と出会い、話を聞いて誉に会いに来たのだとか。
「あの……じゃあ、雲居さんが私を本庁に?」
「本庁? 現世は今日から三連休ってやつなんでしょ? 行っても開いてないよ。ていうか本庁は現世にあるから、君のその状態で行ったら完全に死ぬけど」
「え!? でも昨日あの天慶って人が本庁に引き渡すって……ていうか死ぬの!?」
雲居は面白いものでと見つけたようにくふくふと笑った。相変わらず天邪鬼なんだから、と独りごちる。
「クソ分かりにくいけど、キミに身体を探す猶予をくれたんだよ。幽世にも本庁と同じ役割を果たす機関の"支庁"ってのがあるけど、天慶はわざわざ"本庁に引き渡す"って言ったんでしょ? ホント甘い奴だよ」
よく分からないけれど、とりあえず私は猶予が貰えたと言うことなんだろうか。
「本当は黎栄がキミに付き合う予定だったみたいだけど、面白そうだから代わりに俺が行くって名乗り出たわけ。だから今日一日君の身体探しに付き合うよ」
「いいんですか!?」
「いいともいいとも。ただキミがどこで身体を落としたのか分かんないから、探し回らなきゃ行けないんだよなぁ。結構時間かかるよ」
森を抜けた先に広がるのはテレビで見るような田舎景色。田畑が広がり、里と呼ぶ方が相応しい山の中腹にありそうな人里だった。来る時に歩いたよく分からないあの通りも、どこか時代から取り残されたような景色だった。誉の常識が通用する場所ではないということだけは分かる。
「車とかって……」
「あー、現世のあの便利な乗り物ね。ある訳ないじゃん」
「デスヨネ」
ああでも、と雲居は顎を摩ってにやりと笑う。ちょいちょい、と人差し指で誉を招いた。不思議に思いながらも一歩近づくと雲居は誉の右手を自分の首に回させて、空いた手で軽々と誉を持ち上げる。
「ヒィッ!? 急に何!?」
「もっと早い乗り物ならここに"いる"よ」
大きな布団を広げた時のような音と同時に、雲居の背中に黒い何かが広がった。光に反射して黒光りするそれは昔飼っていたインコのピーちゃんの羽に似た質感だった。次の瞬間、胃がふわりと浮く感覚と共に土を踏みしめていたはずの両足が地面から離れた。足元いっぱいに森が広がっている。
「は、は!? えええ!?」
「あはは、うるさ」
「何で飛んでんのぉぉぉ!?」
ゴォォとすぐ耳元で飛行機が風を切るような音が聞こえる。バッサバッサと雲居の背中で動くのは彼の身体の倍はある大きくて立派な翼だった。
「言ってないっけ? 俺も妖。天狗の妖、伯耆坊の雲居……が、俺の正式な名前ね。天慶とか黎栄も天狗だけど、それは流石に知ってるか」
「初耳ですけど!? ていうかそういう重要な情報は、出会って五分以内に教えて貰っていいですかね!?」
いやぁああ、と誉の悲鳴が里中に木霊した。