身震いで目が覚めた。身体中が軋む感覚に顔を顰めて身体を起こす。ぼんやりする視界がようやっと晴れて、薄暗い部屋の畳の上で寝転がっているのに気付いた。軋む感覚とは別に身体のあちこちがヒリヒリする。見下ろすと膝も手のひらも擦りむけて血が固まっていた。もう一度良く周りを見渡すと、壁の一面に木製の格子がはめ込まれていた。

「牢屋みたい……」
「みたいじゃなくて、牢屋です」

返事を期待していなかった呟きに返事があって「ひぃッ!?」と悲鳴を上げた。
格子の奥にあったぼんやりと光る行灯のあかりがゆらりと持ち上がって近付いてきた。それと同時に端正な顔が暗闇の中から現れる。声を聞いていなければ性別を見紛うほど綺麗な顔立ちだった。顔立ちに反して体付きはしっかりしていて、分厚い胸板をを紺色の着物に同じ色の羽織を合わせた装いで隠している。肩まである黒髪が妙に色っぽい。

「目が覚めたようで何より。もう間もなくご当主は奉仕のお時間ですので、手早く済ませますよ」

誉の返答は何一つ求めていないとでもいうような態度で男は格子にかけられていた錠を慣れた手つきで外した。

「ちょ、え……待ってください! あなた誰!? てかここどこッ!」

無視だ。これ以上にないくらい気持ちいい無視。

男はずかずかと中へ入ってくるなり誉の手首を掴んだ。身を捩る間もなく後ろ手に拘束される。そのまま襟首を掴まれて母猫に咥えられた子猫のような格好で牢を出た。

自分は地下にいたらしい。じめっぽい石の階段を上へ上へと上ると物置小屋のような場所に出て瓦屋根の渡り廊下を進み、大きな木製の扉の前まで来た。丁寧に履物を脱いで揃えたその男は、扉を開いて一礼する。

宮司(ぐうじ)、夕拝前に申し訳ありません。社頭で倒れていた例の娘が目を覚ましたので、連れてまいりました」

男は中にいる誰かに話しかけたようだが返事はない。男はひとつ息を吐いて私を引きずるようにして中へ入った。

半分ほど上げられた紫色の幕の奥に十段くらいの短い階段があって、その上には丸い鏡が飾られていた。その前には足の高いお盆に乗せられた果物や米が飾られている。階段の下には両隅に柔らかく灯る雪洞(ぼんぼり)があった。あちこちの装飾は金だった。けれどいやらしい華やかさではなく背筋が伸びる荘厳さがある。

あれって祭壇……? 私は神社の地下にいたの?

驚きと戸惑いで辺りを見回すと、祭壇の前に座る白い背中を見つけた。白い着物に紫色の袴を履いている。長い黒髪を後ろでひとつに結い上げていて、肩幅が広いので恐らく男だろう。
襟首をグッと下に引かれてストンとその場に腰を下ろした。

「件の娘を連れて参りました。処遇はいかが致しますか」

男がその白い背中に話しかけた。長髪の男はぴくりとも動かない。たっぷり五秒くらいかけて長いため息をついた男は白い背中に呆れた目を向けた。

「宮司、子供みたいな振る舞いはおやめ下さい。しょうもないですよ」
「舐めた口利くようになったじゃねぇか、黎栄(れいえい)

やっと男が答えた。腹の底に響くような耳に心地いい重低音だった。男が振り向いた。釣り気味の切れ長い目が男を睨む。薄い唇の大きな口は不機嫌そうに結ばれている。端正な顔立ちをした男だった。ため息を吐いて前髪をかきあげたたその男は、少しだけ体をこちらに向き直した。艶のある黒髪が揺れる。
男はちらりと誉に視線をむけた。目が会った瞬間、誉は無意識に息をとめる。言葉が出こない。男はすぐに誉から視線を外した。

「夕拝までは休むつったろ。まだ奉仕の時間じゃねぇ」

途端足を崩し膝に肘を着いたその男は分かりやすく顔を歪めた。黎栄と呼ばれた男がやれやれと首を振る。

「駄々をこねないでください。仔細は先程お伝えした通りです。お裁きください」
「奉仕前に面倒事持ってきやがって……めんどくせぇなぁ」

ガシガシと頭をかいた男は顔を歪めて誉をに目を向けた。

「おい女、名前は。どっから来た。何の目的で鬼脈に入った。迎門の面はどうした」

畳み掛けるような質問よりもまず、男の尊大な態度にカチンときた。聞きたいことがあるのはこちらの方だ。わけも分からない場所でいきなり首根っこを掴まれ引きずり回された挙句、見知らぬ男に失礼な態度を取られるなんてあんまりだ。

「人に名前を尋ねるなら、まずは自分から名乗るもの、な、なんじゃないですか……?」

男の眼光に怯んで、後半の勢いは消失した。
よくある少女漫画みたいなセリフだな、なんて馬鹿なことを一瞬だけ考える。怖々そう言ってみれば、ひくりと男の唇の端が引きつった。

「おい黎栄、この生意気な小娘をつまみ出してご神馬の餌にしろ」
神役諸法度(しんえきしょはっと)に触れますよ。なさるならご自分でどうぞ」

黎栄がふいと横を向いて答え、男は一層苦い顔を浮かべた。

「……この社の宮司天慶(てんけい)だ。で、名前は」

テンケイ、聞き馴染みのない音だ。苗字と名前どっちなんだろう。社というのは神社の別称だったはず。つまりテンケイはこの神社の宮司ということか。

「黒川、誉です」
「字はどう書く」
「え? 黒い川に……誉めるで誉、だけど」
「誉、お前はどこから何の目的でここに来た? 」

聞いてきたくせにろくな反応もないし、いきなり呼び捨てされたことが少し引っかかったけれど指摘はせずに話を続ける。

「それは私が聞きたいくらいです。ここはどこですか? 私お使いに行って、その帰りに女の子の、ゆ、幽霊に……」

おぞましくて口を閉ざすと男はスッと目を細めた。

「お前、その身知らぬ子供に連れられて鳥居をくぐったんじゃないのか」
「え……そう! くぐった! ボロっちい鳥居をくぐって気がついたら変な場所にいて、それで通りを妖怪みたいなのがいっぱい歩いてて、必死に逃げて起きたらここにいて」
「なるほどな。お前は(あやかし)幽世(かくりよ)へ拐かされたんだ」
「え、え? アヤ……何? カクリヨ?」

聞きなれない単語が連なり思わず聞き返す。天慶は面倒くさそうに息を吐いたあと誉を見下ろした。

「妖だ妖。現世(おまえらのせかい)では妖怪と呼ぶそうだな。お前は妖怪に攫われて、妖たちの住む幽世に来たんだよ」
「……は?」

ち、と舌打ちした天慶は膝に頬杖をついた。

「お前、来る時に迎門の面をつけてこなかったな」
「げい、もん?」
「妖らが顔に着けてた面だ」

必死に記憶を辿る。確かに妖怪たちはみんなミミズ文字がかかれた白い面を身に付けていた気がする。

「あれは幽世と現世を行き来する通行手形だ。あれがないと行き来する際に魂と肉体が乖離する」

乖離? つまり魂が体から出ていくってこと? 待って、それってつまり死ぬってことなんじゃないの? もちろんそんな特殊な面をつけた覚えは微塵もない。

「あ、あの……私の体って今」
「今頃野良犬の餌になってるかもな」

ダメだ気絶しそう。目眩を感じた誉は額を押えて俯いた。考えることが多すぎて上手く頭が回らない。

「神役諸法度に則れば、迎門の面なく鳥居を通った場合五十年の禁固刑だ」
「え、五十!? ちょっと待ってよ、ショハットだかピザハットだか知らないけど、私無理やり連れてこられたんだよ!? 治外法権は!?」

目を剥いて身を乗り出せば天慶はチ、と舌打ちをした。

「ピィピィ喚くなうっせぇな。んな事知るかよ。あとの事は"本庁"に任せる。黎栄、手配しろ」
「相変わらず天邪鬼ですね。かしこまりました」

一言多いんだよ、と睨んだ天慶は「さっさと行け」と出口を顎で指す。また黎栄に首根っこを掴まれた誉は引きずられるようにして本殿を後にした。