そういえば、私買い物どこにやったっけ。森の中を駆け回っているうちにどこかに落としたような気がする。となるとお母さんは烈火のごとく怒り狂うはずだ。怒られるのやだなぁ。ていうか私、何してたんだっけ?

そこまで考えてパチッと目が開いた。飛び込んできたのは星がぱらぱらと瞬く夜空と古びた瓦屋根だった。仰向けになって寝転がっていたようで背中は軋むし後頭部が平になっている。こめかみの奥がじんわりと痛み、軽く頭を振りながら上半身を起こした。

寝転がっていたのはどこかの路地裏のようだ。背の低い木造建築が並んでいる。振り向くと小さな赤い鳥居があった。人一人通るのがやっとくらいの高さで、鳥居の奥は建物の壁があって行き止まりになっていた。細い路地裏の先からは橙色のあかりが漏れている。人工的な灯りと言うよりかは火の明るさに近い。そこから風に乗って人の話し声が流れてきた。

「ここ……どこ?」

記憶の欠片にかすりもしない全く見知らぬ場所だった。徐々に混乱し始める頭を抱えて自分の行動を振り返る。お母さんにお使いを頼まれて福神漬けを買いに行って、その帰りにイチャつく中学生を見たあと女の子に声をかけられて。黒い瞳に冷たい青白い指の感覚を思い出し、全身の肌がぞわり粟立つ。咄嗟に二の腕を抱きしめた。

あの子人間じゃ────。

そこまで言葉が浮かんで思い切り首を振った。言葉にすると余計に怖くなる。とにかく今は今すぐ家に帰ろう。お兄ちゃんに連絡して途中まで迎えに来てもらおう。一人きりになるより三時間のドライブコースの方が断然マシだ。

立ち上がってポッケに入れていたはずのスマホを探す。指先は布のそこを引っ掻くだけで、何も掘り当てない。泣きたくなる気持ちをグッとこらえてポケットをひっくりかえした。糸くずがぽろりと落ちる。長すぎるくらいに息を吐いた。発狂したくなる気持ちを無理矢理それでねじふせる。

大丈夫大丈夫! このご時世表通りに出ればいくらでも人はいるし、道を聞けばいいだけ。原理は分からないけど遠い場所に来てたとしても、警察に言えば電車賃も借りれるらしいし!

無理やり問題ナシにこじつけて立ち上がる。とりあえず表通りへ、橙色の光が差し込む方へずんずん歩く。早る気持ちがどんどん足を早めた。そして。

日本史の資料集で見た江戸時代の宿場町を描いた浮世絵のような景色だった。道が見えなくなるその先まで、古風な黒い木造建築がずらりと立ち並ぶ。二階までしかない低い建物で、中学生の時に修学旅行で訪れた京都の祇園がこんな感じだった。ずらりと並ぶ看板はミミズみたいな文字で何かが記されていて、街頭替りに吊るされた提灯のあかりは橙色に妖しく灯っていた。建物からは色んな匂いがした。焼き魚や温泉の匂い、少し生臭い匂いもする。そこだけ時代に取り残されたような異様な空間だった。

その場所の異様さはそれだけじゃなかった。その場所を当たり前のように闊歩するのは、人ではない何かだ。三本足、牛の頭、足が一つで、首が長くて、牙が生えていて────異形だった。

ヒュッと喉の奥を空気が抜ける音がした。無意識に一歩後ずさると背中に衝撃が走る。

「おっとすまねぇ」

頭上で声がして反射的に振り返った。ミミズ文字が書いてある白い面を身につけた和服姿の男が覗き込むように誉を見下ろしている。

「立てるか? ……って、お嬢ちゃん迎門(げいもん)の面はどうした? 人の子が素顔晒してこんなとこ歩くなんて不用心だぞ」

差し出された深緑色の手を反射的に振り叩いた。手の甲に感じた生暖かい感覚に恐怖心は最高潮まで高上がる。なんだなんだ、と見物客が集い始める。人じゃない何かが集い始める。喉の奥を空気が抜けた。体の温度が一気に下がる。自分の顔から血の気が引いていく感覚がよくわかった。

「この嬢ちゃん、ひょっとして神隠しじゃねぇか? 可哀想に、どれ俺が助けてやろう」
「ヤダよあんた、そう言ってちゃんと帰した試しがないだろう」
「何を言う、俺ほど優しいアヤカシはそういねぇやい。さぁお嬢さん、立ちなっせ」

さぁさぁ、おいでおいで。ヒソヒソ、ケラケラ。見物人たちの目がくにゃりと弧を描く。黒い毛並みにおおわれたキツネ耳を生やした男がにじり寄った前に踏み出た。白い面からはみ出た口元から黄ばんだ鋭い牙がニィと覗く。

「い、いやァッ!」

叫んだことで足に力が入る。逃げたぞ、捕まえろ。そんな声が背後で聞こえ、無我夢中で走った。