「ふざけるのも大概にしろ────雲居!」

自分に向けられた言葉ではないのにあまりの迫力に身震いがした。土埃が舞う暗闇の中から赤い目がこちらを睨む。
翼がはためく大きな音がしたかと思うと次の瞬間、目の前の格子に体当たりする黒い影が見えた。激しい音を立てて格子が砕ける。衝撃で砕け散った格子のかけらが額めがけて飛んできた。当たると身構えて目を瞑ったその瞬間、全身を何かに包み込まれた。恐る恐る目を開ける。誉を包み隠すのは白檀の香りを纏った黒い翼だった。

天狗は、風よりも早いのか。

「天慶……ッ」
「遅くなった」

燃える炎のように赤い瞳と目が合う。

「その目……」
「あ? ああ……天狗の姿だと赤くなる」

不覚にも綺麗だと思ってしまった。不覚なので絶対に伝えないけど。
後ろに下がってろ、と心地よい重低音が耳元で囁かれる。素直にひとつ頷けば、天慶は翼を開いた。

「よそ見してる場合?」

雲居の冷たい声が割ってはいったその瞬間、まるで衝撃波のような鋭い風が二人目掛けて放たれた。ザッと肉を切り裂く音と同時に黒い羽根が飛び散る。天慶の翼から赤い飛沫が散った。

「天慶……ッ!?」
「いいから下がってろッ!」

怒鳴り声に身体が硬直する。たまらず天慶の着物を掴んだ。天慶が雲居を正面から見据えた。

「雲居、お前本気なんだな?」
「本気じゃなきゃこんなことしないよ」
「だったら俺も、本気でお前を殺す」

予想外の発言に天慶!と名前を呼んだ。その声はもう届かない。
天慶が勢いよく手を振りかざしたその瞬間、風は刃となって空気を切り裂いた。すんでのところで背に羽を生やした雲居がかわす。続け様にもう五発放った天慶は雲居を逃さなかった。刃が雲居の右翼を捕らえた。黒い羽が飛び散って誉は咄嗟に目を反らした。体勢が崩れる瞬間に雲居が手を振りかざそうとして、天慶の翼がはためく。傾いた雲居の体を地面にねじ伏せた。

「クソッ……!」

雲居が声を荒げた。

「興味がないなら大天狗になんてなるなよ! 俺は大天狗にならなきゃいけないんだよ!」

荒げた声が湿った。ハッと顔を上げれば、地面に捩じ伏せられた雲居が顔を顰めて泣いている。
天慶は小さく舌打ちをして雲居の胸の前に手を差し出す。細められた目がほんの一瞬揺らいだのが見えた。

「ま、待って天慶……! 殺しちゃ駄目! お願いやめて!」

赤い瞳が誉を睨んだ。

「天慶も本当はこんなことしたくないんでしょ!? だったら……ッ」
「こいつは他の一族の当主に仇なした。重罪だ。今ここで処さなければ一族の威厳が脅かされる」
「知らないわよそんなの! 私はただ、親友を手にかける天慶の心を心配してるの!」

天慶が目を見開いた。
一族の威厳だのなんだのそんなこと私には関係ない。ただ目の前で苦しんでいる天慶を放って置けないだけだ。
天慶の赤い瞳が激しく揺らぐ。

「だからお前は甘いんだよ……ッ!」

組み敷かれた雲居が天慶の肩を押し退けて勢いよく体を起こした。天慶の焦った声に振りかざした手は自分にむけられていることに気付く。誉が「え?」と間抜けな声を漏らすのと、天慶が羽をはためかせこちらへ向かってくるのはほぼ同時だった。瞬きした瞬間には天慶の両腕にきつく抱きしめられる。大きな力が弾ける爆音が響いた。

「ご観念を」
「ご観念を!」

淡々とした冷静な声と、張りのある若々しい高い声。天慶の腕の中からモゾモゾと這い出てみれば、雲居を抑え込む黎栄と天佳の姿があった。