額にひんやりとした何かが置かれた感覚に意識が浮上する。重い瞼をなんとか持ち上げた誉は自分の顔を覗き込む誰かの顔をぼうっと見つめた。

「目が覚めたか。気分はどうだ」

腹に響く重低音にわずかに香る白檀の香り。視界がはっきりすると、こちらを見下ろす切長の目と視線が絡んだ。

「天慶……?」
「ああ。そうだ」

心なしか天慶の声が優しい気がした。意識がはっきりしてくると自分が布団に寝かされているのに気づいた。重い風邪をひいた時のように身体が重い。

「気分は」
「んと……最悪」

だろうな、と苦い顔をした天慶。少し間を置いて口を開く。

「……お前、なぜ俺に使った?」

少し責めるような口調の天慶。

「なんの、こと?」

そう問いかけて直前まで自分が何をしていたのかを思い出す。毒を守られた天慶の息が止まりそうになって、確かに”使った”。

「わ、私のファーストキス使っ……」
「違ぇよ馬鹿。依代(よりしろ)の明を使ったことだ」
「ば、馬鹿って何よ! 私にとっては一大事……ヨリシロノメイ? なにその"ここにノリを塗って下さい"みたいな名前」

聞きなれない言葉の羅列にたまらず聞き返す。天慶は渋い顔で「依代の明だ」と言い直した。

授力(じゅりょく)のひとつで、傷病者や被呪者に触れて病や呪いを自分の体に移す力だ。お前、自分に依代の明がある事を知らなかったのか?」
「えっと……なにそのトリッキーな設定」
「設定じゃなくてお前の中にそれがあンだよ」

たっぷり十秒黙って考え込んだ誉は眉間に皺を寄せて真剣に「パードゥン?」と尋ねる。ち、と舌打ちした天慶は顔を顰めながら私の額に載せられたタオルを桶に沈めてきつく絞る。

「霊感がある人間がいるだろ。霊が見えるだのオーラが見えるだの。それのひとつとでも思っておけ。お前には間違いなく、依代の明という力がある。お前、身内に神職がいたか」

神職というと神社で奉仕する人達の事を指す。誉の曽祖父は近畿地方の山奥で小さな神社を管理している。親戚一同から変わり者扱いされていて、父も曽祖父の事が嫌いで5歳の時の一度しか会わせてもらった事がない。

「田舎のひぃじいちゃんが小さい神社の神主だったけど、でもそんな妙な力はなかったと思うよ……?」
「いや、間違いなくそれだ」

はぁ、とまるで他人事のように息を吐いた。誉の顔の上に乱雑にタオルを置いた。ちょっと、と非難の声を上げようとして声が重なる。

「お前のおかげだ」

唐突な言葉に目を瞬かせた。

「無意識だったろうけど、お前が俺に依代の明を使ったから解毒薬が間に合った」

そっとタオルを押し上げる。そっぽを向いた天慶の耳が暗闇でも分かるほど赤くなっている。

「えっとぉ……それって感謝の言葉?」
「どっからどう聞いても感謝の言葉だろうが」
「そのわりには”あ”から始まって”う”で終わる言葉を聞いてない気がするんですけど」

ち、とまた舌打ち。この人は舌打ちで呼吸でもしてるんだろうか。

「……ありがとう」

夜風に飛ばされそうな程小さな感謝は辛うじて誉の耳に届いた。感謝している人間の態度とは思えないほど不機嫌な顔に、やっと気づいた。
この人、この顔がデフォルトなんだ。なんて不器用な人なんだろう。人じゃなくて妖か。なんて不器用な妖なんだろう。
誉はくふふと小さく笑った。

「どーいたしまして。まぁそんな超能力があったなんて俄かに信じがたいけど、もらえる感謝はもらっとくよ。大いに感謝してくれい」
「調子乗んな」

睨みつけられてしまい布団を口元まで引き上げた。

「とにかく今は休め。解毒したとはいえ、毒を盛られた後だからな」
「通りで……」

やたらと世界が回る感覚に納得する。もう少し詳しい話を聞きたい所だけれど、身体が限界に近いのかさっきから瞼がやたらと重かった。

「ねぇ……私、どうなるの?」

せめて眠る前にそれだけ聞いておきたい。渾身の力を振り絞って尋ねた。

「いいから寝ろ」

ぶっきらぼうで適当で何一つ意味が分からない。なのにどうしてか優しい安心感に包み込まれて身体の力が抜けていく。大きな掌が目を覆った。じんわり伝わってくる温もりに、意識は奥底へと引っ張られていった。