「明日の昼、お前を本庁に引き渡す」
三日目、雲居に引きずられるようにして帰ってきた誉に天慶はそう宣告した。三日間探し続けた身体は結局手がかりすら見つからなかった。泣きたくなる気持ちをグッとこらえて畳の縁を見つめる。
「馬鹿な事は考えるなよ」
目を通していた書類から顔を上げた天慶は冷たい口調でそう言った。
黎栄に腕を引かれて地下牢へ戻された。誉は力なくその場に座り込む。黎栄が階段を登ってく足音が聞こえなくなった瞬間、勢いよく顔を上げた。格子の扉に手をかけるとギィと音を立てて鍵が開いた。雲居が天慶に申し出てくれたおかげで、三日前から鍵はかけられなくなった。流石に今日は戻した瞬間鍵をかけるかと思ったけれど、油断しているのか舐められているのか今日も鍵は開いたままだ。
こうなったら、もう────逃げるしかない。
でも今すぐ飛び出すほど馬鹿でもない。この三日間、もし身体が見つからなかった時のことをずっと考えていた。
自分のいるこのカクリヨと呼ばれる場所の住人たち……妖たちはどうやら昼夜が逆転しているらしい。妖といえば夜に出てくるイメージだし納得がいく。つまり彼らは朝に眠り夜に活動する。逃げるなら朝だ。でも呑気に朝まで待っていたら、天慶が自分を本庁とやらに引き渡すためにやってくる。彼は昼に引き渡すと言った。つまりそれよりかは先に逃げなければならない。
はやる気持を必死に堪えて誉は朝を待った。
時計がないので日の登り具合と腹の減り具合で朝の10時頃と検討をつけた誉は、そっと格子の扉を押し開けた。
この敷地から出る道順はしっかりと覚えている。慎重にでも急いで敷地の外を目指す。
もう少しで建物からは出られる。あとはあの広間の前を通って右に行けば────。
「そういや言ってなかったけど、大天狗への内定おめでとう」
聞き慣れた声に足を止めた。半開きになった広間へ続く襖から光が漏れている。これはそこから漏れていた。
「どうも」
「もっと喜びなよ〜。名誉ある大天狗なんだから。実質お前が一番最強だって認められたってことだよ」
「興味ねぇよ」
「うわぁ腹たつ」
カラカラと笑うこの声に、低くて愛想のないこの口調。間違いない、あの男と雲居さんだ。
最悪だ、と誉はきつく目を瞑った。敷地の外へ出るにはこの広間の前を通る方法しか知らない。でも広間の襖は半開きになった状態だ。通れば間違いなく二人は気付く。回避してもいいけれどそうしているうちに迷うか誰かとばったり鉢合わせするだろう。ばくばくと心臓がうるさい。落ち着こうと一つ呼吸して半開きの襖まで歩み寄る。
二人がこちらに背を向けていれば通れるかもしれない。とにかく中を確認するんだ。
誉は襖の影からほんの少しだけ顔を出した。二人は向き合って酒を酌み交わしている。背は向けておらず、通れば確実に気付かれる角度だった。
「それにしても天慶が大天狗かぁ。出世したもんだねぇ。昔は俺に喧嘩で負けるたびにピィピィ泣いてた癖に」
「それを言うならお前だって、俺に負けるたびにわんわん泣いてただろうが」
「あはは、そうだっけ?」
「そうだよ」
天慶の表情がどことなく優しい。いつもより穏やかな表情で目を伏せてお猪口を煽る。雲居はひとしきり笑った後深く息を吐いた。二人の間に転がる酒瓶を見つめる。
「俺さ、お前が羨ましいよ」
「んだよ急に」
「だってお前はさ、昔からなんでも持ってるじゃん。生まれた瞬間次の当主に選ばれて、妖力も強くて人望もあってさ」
「それはお前もだろ。当主で妖力もあって人望は……知らんが」
そうじゃないんだよ、と雲居は鼻で笑った。
「俺とお前ってさ、同じようで違うんだよ。いつもお前が一歩先にいるんだよ。なんでもそうだった。横に並んでたはずのお前は、気がついたら俺よりも先に行ってる。俺とお前は何が違う?」
「……雲居?」
「大天狗に選ばれたのもそうだ。俺とお前が候補に上がっていた。だけど最後に選ばれたのはやっぱりお前だったんだよ、天慶」
俯いていた雲居が顔を上げた。困惑したように眉を寄せる天慶を見て笑う。
「興味がないなら、なぜ引き受けた? お前が断れば、俺が大天狗だった。俺は大天狗になりたかった」
「文句があんなら俺を選んだ奴らに言えよ」
「あはは、お前はいつもそうだね」
雲居は転がる酒瓶を拾い上げると、天慶の開いたお猪口に注ぎ入れる。飲みなよ、と促されて一つ煽った。
「文句なら山ほどある。ただ俺がそれを言ったところで多数の意見を変えられるだけの力はないでしょ。だからさ」
天慶の手のひらから落ちたお猪口が畳の上に転がった。目を見開いて震える掌を見つめた天慶はその数秒後に畳の上に倒れ込む。誉は咄嗟に口を押さえた。
「多数より、お前を選ぶことにしたよ」
雲居がいつもと同じ表情で笑いながら立ち上がった。畳の上に転がる天慶を見下ろす。苦痛に顔を歪めた天慶が雲居を睨んだ。
「お前……何しやがった……ッ!」
「他の奴らが俺のこと警戒してたのに、お前ってば警戒しなさすぎ。俺に差し出されたものホイホイ飲み干して、ほんと馬鹿だよね」
転がる酒瓶を蹴飛ばした雲居は縁側に続く襖へ歩き出す。
「僭越ながら致死量の毒を盛らせていただきましたぁ。体に一定の量が溜まると効果が現れるものだよ。思ったよりも早かったけど。お前の好きな銘柄にしたおかげかな」
「雲居ッ……この野郎!」
天慶が身体を起こそうとしたけれど、力が入らないのかそのまま潰れた。そんな様子に雲居は楽しそうに声を上げる。
「悪いね天慶。お前のことは割と好きだったけど、結局俺にとっては邪魔だったみたい」
雲居が襖を開けた。じゃあね、と振り返らずに別れを告げると庭に飛び降りる。苦しげに息を漏らす天慶の声がここまで届いた。衝撃と恐怖と戸惑いで、身動きが取れなかった。
あの雲居さんが、あの男を……? 確かにそんな噂はあったけれど、ほんの数分前まではあんなに楽しそうに話していたじゃないか。
浅い呼吸音が聞こえて顔を上げる。天慶はこちらに背を向けて丸まっていた。
逃げるなら今だ、ともう一人の自分が頭の奥に囁きかける。
そうだ、逃げるなら今だ。もし見つかったとしてもこの状態の天慶なら自分を追ってくることはできない。騒ぎを聞きつけた他の妖たちも天慶にかかりきりになって自分のことなど構わないはずだ。
半開きになった襖の前をきつく目を瞑って通り過ぎたその瞬間、「くッ……」と息を詰まらせる天慶の声が耳に届き足が止まった。
今しかない、今しかない。今逃げなければ家に帰れなくなるかもしれない。あんな男放っておけばいい。偉そうな態度で、顔だって怖いし、自分の都合ばっかり押し付けてくるような。
ふわりとどこか懐かしい感情にさせる匂いがした。白檀の匂いだった。匂いは紺色の羽織と結びついた。
「……ッ、も〜! 私のお人好し!」
勢いよく襖を開けた。畳の上を滑るように駆けて天慶のそばに膝をつく。
「ねぇ! しっかりして! 聞こえてる!?」
強めに肩を叩けば天慶が苦痛に歪んだ表情でうっすらと目を開けた。
「お前、なんでッ……」
「目の前で死にかけてる人がいるのに、見過ごすなんて目覚めが悪いでしょ! ……こんなセリフを言う人生が来るとは驚きだわ!」
天慶を横向きに転がして必死に背中を叩く。雲居は毒を飲ませたと言った、とにかく摂取した毒を吐かせる必要がある。
「逃げる、つもりだったんだろッ……」
どうやらコソコソ隠れていたのは天慶にバレていたらしい。バツが悪くなて少し目をそらす。
「それは……そうだけど! でも一応あんたには”羽織”の恩義もあるから」
天慶がわずかに目を見開く。初めてカクリヨに来た夜、それから間違ってお酒を飲んで酔い潰れた夜。寒いあの地下牢で膝を抱えて夜を過ごした自分に、羽織を掛けてくれた人がいた。羽織に残っていた懐かしいあの白檀の匂いを漂わせていたのはこの男しかいない。
「ちょっと! もう少し頑張って自分でも吐こうとしなよ! ていうか黎栄とかいう家来はどうしたの!? 隠れてあんたのこと守ってたんじゃないの!?」
「う、るせぇ……」
ヒュ、と天慶の喉の奥がなって急に目から力がなくなった。なんとか身体を起こそうと踏ん張っていた手からも力が抜けて、畳の上に身体が沈む。
え、嘘。誉は慌てて天慶の頭を抱き抱える。
「ちょっと! ねぇしっかり! て……天慶! 天慶! 誰かいない!? なんでこんな時に限って誰一人駆けつけてこないの!」
泣きたい気持ちを堪えて天慶の頬を叩いた。顔色一瞬で白くなり呼吸音が弱くなる。
そ……そうだ人工呼吸! ヒッヒッフーだっけ!? いいや違う、鼻を摘んで顎を上げて2秒かけて2回吹き込む!
小中高と嫌と言うほど大人たちに叩き込まれてきた救命処置がこんなところで役に立つなんて。それも妖相手に。ちらっとファーストキスという文字が誉の脳裏をよぎった。理性でそれを蹴っ飛ばす。これは救命処置であってファーストキスには換算されない。だからヤるなら思いっきりヤれ!
きつく目を閉じると半ばヤケクソで唇を押し付ける。初めて触れる柔らかさに気づくよりも前に自分の身体の異変に気づいた。お腹の底が燃えるように熱くなったかと思えば、手足が異常に冷たくて痺れている。何これ、と疑問に思った次の瞬間、心臓が大きく波打った。それをきっかけにリズムの刻み方を忘れたように拍動が狂い呼吸ができなくなる。
膝に乗せていた天慶の顔がぐにゃりと歪んだ次の瞬間には畳の上に崩れ落ちていた。
三日目、雲居に引きずられるようにして帰ってきた誉に天慶はそう宣告した。三日間探し続けた身体は結局手がかりすら見つからなかった。泣きたくなる気持ちをグッとこらえて畳の縁を見つめる。
「馬鹿な事は考えるなよ」
目を通していた書類から顔を上げた天慶は冷たい口調でそう言った。
黎栄に腕を引かれて地下牢へ戻された。誉は力なくその場に座り込む。黎栄が階段を登ってく足音が聞こえなくなった瞬間、勢いよく顔を上げた。格子の扉に手をかけるとギィと音を立てて鍵が開いた。雲居が天慶に申し出てくれたおかげで、三日前から鍵はかけられなくなった。流石に今日は戻した瞬間鍵をかけるかと思ったけれど、油断しているのか舐められているのか今日も鍵は開いたままだ。
こうなったら、もう────逃げるしかない。
でも今すぐ飛び出すほど馬鹿でもない。この三日間、もし身体が見つからなかった時のことをずっと考えていた。
自分のいるこのカクリヨと呼ばれる場所の住人たち……妖たちはどうやら昼夜が逆転しているらしい。妖といえば夜に出てくるイメージだし納得がいく。つまり彼らは朝に眠り夜に活動する。逃げるなら朝だ。でも呑気に朝まで待っていたら、天慶が自分を本庁とやらに引き渡すためにやってくる。彼は昼に引き渡すと言った。つまりそれよりかは先に逃げなければならない。
はやる気持を必死に堪えて誉は朝を待った。
時計がないので日の登り具合と腹の減り具合で朝の10時頃と検討をつけた誉は、そっと格子の扉を押し開けた。
この敷地から出る道順はしっかりと覚えている。慎重にでも急いで敷地の外を目指す。
もう少しで建物からは出られる。あとはあの広間の前を通って右に行けば────。
「そういや言ってなかったけど、大天狗への内定おめでとう」
聞き慣れた声に足を止めた。半開きになった広間へ続く襖から光が漏れている。これはそこから漏れていた。
「どうも」
「もっと喜びなよ〜。名誉ある大天狗なんだから。実質お前が一番最強だって認められたってことだよ」
「興味ねぇよ」
「うわぁ腹たつ」
カラカラと笑うこの声に、低くて愛想のないこの口調。間違いない、あの男と雲居さんだ。
最悪だ、と誉はきつく目を瞑った。敷地の外へ出るにはこの広間の前を通る方法しか知らない。でも広間の襖は半開きになった状態だ。通れば間違いなく二人は気付く。回避してもいいけれどそうしているうちに迷うか誰かとばったり鉢合わせするだろう。ばくばくと心臓がうるさい。落ち着こうと一つ呼吸して半開きの襖まで歩み寄る。
二人がこちらに背を向けていれば通れるかもしれない。とにかく中を確認するんだ。
誉は襖の影からほんの少しだけ顔を出した。二人は向き合って酒を酌み交わしている。背は向けておらず、通れば確実に気付かれる角度だった。
「それにしても天慶が大天狗かぁ。出世したもんだねぇ。昔は俺に喧嘩で負けるたびにピィピィ泣いてた癖に」
「それを言うならお前だって、俺に負けるたびにわんわん泣いてただろうが」
「あはは、そうだっけ?」
「そうだよ」
天慶の表情がどことなく優しい。いつもより穏やかな表情で目を伏せてお猪口を煽る。雲居はひとしきり笑った後深く息を吐いた。二人の間に転がる酒瓶を見つめる。
「俺さ、お前が羨ましいよ」
「んだよ急に」
「だってお前はさ、昔からなんでも持ってるじゃん。生まれた瞬間次の当主に選ばれて、妖力も強くて人望もあってさ」
「それはお前もだろ。当主で妖力もあって人望は……知らんが」
そうじゃないんだよ、と雲居は鼻で笑った。
「俺とお前ってさ、同じようで違うんだよ。いつもお前が一歩先にいるんだよ。なんでもそうだった。横に並んでたはずのお前は、気がついたら俺よりも先に行ってる。俺とお前は何が違う?」
「……雲居?」
「大天狗に選ばれたのもそうだ。俺とお前が候補に上がっていた。だけど最後に選ばれたのはやっぱりお前だったんだよ、天慶」
俯いていた雲居が顔を上げた。困惑したように眉を寄せる天慶を見て笑う。
「興味がないなら、なぜ引き受けた? お前が断れば、俺が大天狗だった。俺は大天狗になりたかった」
「文句があんなら俺を選んだ奴らに言えよ」
「あはは、お前はいつもそうだね」
雲居は転がる酒瓶を拾い上げると、天慶の開いたお猪口に注ぎ入れる。飲みなよ、と促されて一つ煽った。
「文句なら山ほどある。ただ俺がそれを言ったところで多数の意見を変えられるだけの力はないでしょ。だからさ」
天慶の手のひらから落ちたお猪口が畳の上に転がった。目を見開いて震える掌を見つめた天慶はその数秒後に畳の上に倒れ込む。誉は咄嗟に口を押さえた。
「多数より、お前を選ぶことにしたよ」
雲居がいつもと同じ表情で笑いながら立ち上がった。畳の上に転がる天慶を見下ろす。苦痛に顔を歪めた天慶が雲居を睨んだ。
「お前……何しやがった……ッ!」
「他の奴らが俺のこと警戒してたのに、お前ってば警戒しなさすぎ。俺に差し出されたものホイホイ飲み干して、ほんと馬鹿だよね」
転がる酒瓶を蹴飛ばした雲居は縁側に続く襖へ歩き出す。
「僭越ながら致死量の毒を盛らせていただきましたぁ。体に一定の量が溜まると効果が現れるものだよ。思ったよりも早かったけど。お前の好きな銘柄にしたおかげかな」
「雲居ッ……この野郎!」
天慶が身体を起こそうとしたけれど、力が入らないのかそのまま潰れた。そんな様子に雲居は楽しそうに声を上げる。
「悪いね天慶。お前のことは割と好きだったけど、結局俺にとっては邪魔だったみたい」
雲居が襖を開けた。じゃあね、と振り返らずに別れを告げると庭に飛び降りる。苦しげに息を漏らす天慶の声がここまで届いた。衝撃と恐怖と戸惑いで、身動きが取れなかった。
あの雲居さんが、あの男を……? 確かにそんな噂はあったけれど、ほんの数分前まではあんなに楽しそうに話していたじゃないか。
浅い呼吸音が聞こえて顔を上げる。天慶はこちらに背を向けて丸まっていた。
逃げるなら今だ、ともう一人の自分が頭の奥に囁きかける。
そうだ、逃げるなら今だ。もし見つかったとしてもこの状態の天慶なら自分を追ってくることはできない。騒ぎを聞きつけた他の妖たちも天慶にかかりきりになって自分のことなど構わないはずだ。
半開きになった襖の前をきつく目を瞑って通り過ぎたその瞬間、「くッ……」と息を詰まらせる天慶の声が耳に届き足が止まった。
今しかない、今しかない。今逃げなければ家に帰れなくなるかもしれない。あんな男放っておけばいい。偉そうな態度で、顔だって怖いし、自分の都合ばっかり押し付けてくるような。
ふわりとどこか懐かしい感情にさせる匂いがした。白檀の匂いだった。匂いは紺色の羽織と結びついた。
「……ッ、も〜! 私のお人好し!」
勢いよく襖を開けた。畳の上を滑るように駆けて天慶のそばに膝をつく。
「ねぇ! しっかりして! 聞こえてる!?」
強めに肩を叩けば天慶が苦痛に歪んだ表情でうっすらと目を開けた。
「お前、なんでッ……」
「目の前で死にかけてる人がいるのに、見過ごすなんて目覚めが悪いでしょ! ……こんなセリフを言う人生が来るとは驚きだわ!」
天慶を横向きに転がして必死に背中を叩く。雲居は毒を飲ませたと言った、とにかく摂取した毒を吐かせる必要がある。
「逃げる、つもりだったんだろッ……」
どうやらコソコソ隠れていたのは天慶にバレていたらしい。バツが悪くなて少し目をそらす。
「それは……そうだけど! でも一応あんたには”羽織”の恩義もあるから」
天慶がわずかに目を見開く。初めてカクリヨに来た夜、それから間違ってお酒を飲んで酔い潰れた夜。寒いあの地下牢で膝を抱えて夜を過ごした自分に、羽織を掛けてくれた人がいた。羽織に残っていた懐かしいあの白檀の匂いを漂わせていたのはこの男しかいない。
「ちょっと! もう少し頑張って自分でも吐こうとしなよ! ていうか黎栄とかいう家来はどうしたの!? 隠れてあんたのこと守ってたんじゃないの!?」
「う、るせぇ……」
ヒュ、と天慶の喉の奥がなって急に目から力がなくなった。なんとか身体を起こそうと踏ん張っていた手からも力が抜けて、畳の上に身体が沈む。
え、嘘。誉は慌てて天慶の頭を抱き抱える。
「ちょっと! ねぇしっかり! て……天慶! 天慶! 誰かいない!? なんでこんな時に限って誰一人駆けつけてこないの!」
泣きたい気持ちを堪えて天慶の頬を叩いた。顔色一瞬で白くなり呼吸音が弱くなる。
そ……そうだ人工呼吸! ヒッヒッフーだっけ!? いいや違う、鼻を摘んで顎を上げて2秒かけて2回吹き込む!
小中高と嫌と言うほど大人たちに叩き込まれてきた救命処置がこんなところで役に立つなんて。それも妖相手に。ちらっとファーストキスという文字が誉の脳裏をよぎった。理性でそれを蹴っ飛ばす。これは救命処置であってファーストキスには換算されない。だからヤるなら思いっきりヤれ!
きつく目を閉じると半ばヤケクソで唇を押し付ける。初めて触れる柔らかさに気づくよりも前に自分の身体の異変に気づいた。お腹の底が燃えるように熱くなったかと思えば、手足が異常に冷たくて痺れている。何これ、と疑問に思った次の瞬間、心臓が大きく波打った。それをきっかけにリズムの刻み方を忘れたように拍動が狂い呼吸ができなくなる。
膝に乗せていた天慶の顔がぐにゃりと歪んだ次の瞬間には畳の上に崩れ落ちていた。