いつの間にか森の奥深くまで来ていた。腐った落ち葉と雨で湿気った土の匂いが濃い。森に入る前までは夕日が眩しかったのに、覆い被さるようにして生える木々が陽の光を遮って足元が心もとない。はっはっ、と乱れた息遣いと二人分の足音だけが響く。堪らず前を行く小さな背中に同じ質問を投げかけた。

「ねぇ! 本当にこの奥なの!?」
「助けて。お母さんがケガして困ってるの」

おかっぱ頭の少女は感情の読み取れない声で淡々とそう答える。一分前も三分前も、出会った時もそう答えた。

「そろそろ違うこと言ってくんないかなァ!? 君のことなかなか不気味に思えてきたよッ!?」

流石の(ほまれ)も異様な雰囲気を感じ取った。明るく突っ込まないと妙な雰囲気に飲み込まれそうな気がした。

そもそもこんな森の奥で私一人に何が出来る。それなら今から引き返して大人を呼んだ方がいい。うんそれがいい。そうするべきだ。引き返す理由を無理やりこじつけて足を止めた。

「やっぱり大人の人に頼ろう!」

おかっぱ頭の少女が足を止めた。ぐるりと振り返ると無表情で誉の前まで戻ってくる。前に立つとかくっと首を上げて誉の顔を見上げた。光の宿らない生気のない真っ黒な瞳に思わず息を飲む。

待って待って待って、これもしかしなくてもヤバいやつじゃない?

少女が白い指で誉の手首を掴んだ。「助けて。お母さんがケガして困ってるの」淡々とした口調で同じ言葉を繰り返す。生きた人間とは思えない冷たい手のひらに言葉を失った。少女の青い唇がにぃっと弧を描いた。次の瞬間、子供の力とは思えないほどの勢いで手が引っ張られた。もつれた足が何とか上手く回って少女に引きずられるように走り出す。全身を駆け抜けた恐怖で頭が真っ白になった。震える喉は悲鳴さえも発さない。ただ少女に手を引かれるがまま走った。

木々に隠されるように立つ鳥居が見えた。今にも朽ち果てそうなほど柱の部分が腐った鳥居だ。蔦が巻き付きヒビも入っている。象徴的な赤は目を凝らせば何となく見分けれる程度しか残っていない。

なんでこんな鳥居が、そんな疑問が解消されるよりも先に少女が少女が楽しそうにカラカラと笑った。もうその後ろ姿は恐怖でしかない。

「は、離して……ッ!」

情けないほどに震えた声で何とかそう叫んだ次の瞬間、体が投げ出された。前を走っていた少女が鳥居の真下でいきなり足を止めたのだ。もちろん自分の体がそれに対応できる訳もなく、飛び出し体は流れるように前かがみに倒れてゆく。横目に鳥居の柱が見えた次の瞬間、目の前の光景がぐにゃりと歪んだ。まるで渦の中心を眺めているみたいに世界がゆがむ。意識が体の深いところへと引っ張られるような感覚がして平衡感覚を失う。

意識を失う直前に最後に思い出したのは、なぜか小さい頃に一度だけ会ったことのある曽祖父の言葉だった。

『誉は怪我してる人に近付いちゃいかん。悪いもんを貰ってしまうでな』

目が回る感覚に為す術はなく、誉は意識を手放した。