【湊少女監禁事件】概要③

 前述の通り少女Aが行方不明になった1年間について被害届は提出されておらず、事件化していない。『湊少女監禁事件』と名付けたのはマスメディア及び出版社であり、朝霧氏の手記が見つかった現在も警察が動くことはなかった。
 我々出版社は朝霧氏の死後及び手記発見後、その全容の入手に成功した。後、朝霧氏の親戚、及び少女Aに何度も接触を試み、対話を通じて共通認識を深めていった。また朝霧氏手記の過程の中で明らかになった朝霧氏と少女Aの意外な関係値を紐解く為、今回この暴露本を出版するに至った。
 次ページからの朝霧氏の語り口調については、出版側がほぼ手を加えていない彼自身が生前綴った手記をそのまま記録したものだが、事件化されていない為、個人情報が特定できそうな固有名詞や地域等のみ書き換えており、実際とは異なる。朝霧氏や地域名についても出版社側でつけた架空の固有名詞であることをご認識願いたい。
 また、少女Aの現在及び両家についての詮索及び言及は一切しないことをここで宣誓する。

 我々出版側はこの暴露本を出版するにあたり、隅々まで朝霧氏の手記を読み込み修正しようと試みたが、彼自身の言葉をここに残すことが最善であると考えこのような形に至った。少女A自身の意向を汲んでのこともある。明確にされなかった誘拐及び監禁期間についてこうして出版物として形になることは理解し難いことであると思うが、承知の上、我々はこれを形にする。また、断じて誘拐・監禁等の犯罪行為を肯定・助長するものではないということはここに明記する。

 前置きが長くなったが、これはキャンパスノート約20冊にも及ぶ朝霧和麻氏の手記をデータとして書き起こしたものであり、彼が最後に残した人生の記録、及び最後の独白である。