鍋の中でココナッツオイルときび砂糖シロップが出会い、香りが弾けた。熟れたバナナを潰し、オーツ麦と混ぜると生地と甘みが手を結ぶ。隣の鍋には、ブルーベリー、ブラックベリー、クランベリーを投入し、レモンの皮を削り入れる。絞りたてのレモン汁と、ベリーが溶け合い、ソースを濃厚に仕上げていく。

 リンディは生地の半分を天板に敷き詰め、その上にミックスベリーソースを豪快に広げる。スプーンで均等に伸ばし、残りの生地を被せ、整えてから天板を窯に滑り込ませた。

 その間も動きを止めず、フェイジョアを切り、ミキサーへ放り込む。ミルクとヨーグルトを加え、ブレードを回転させる。窯から甘い香りが立ち上がるとフラップジャックが理想的なきつね色に焼き上がり、リンディは天板を取り出してカウンターに置いた。

 フラップジャックを棒状にカットしていくと、切り口から鮮やかなミックスベリーフィリングが顔を覗かせる。果実の甘みと酸味が弾け出し、香りを追いかけキッチンは幸せに辿り着いた。



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 リンディが籠を持って広場へ出ると、手を振るウェナの姿が視界に入った。軽く手を上げて応じると、ウェナの隣にいたオーラも彼に気づき、弾むように手を振り返した。

「――二人とも、似合ってんな」
「でしょでしょー!? ねぇねぇ、今日は何の花だと思う?」
「――フェアリー・フィンガーズ?」
「おぉぉぉ!さすが、リンディ!大正解!――どうしてわかったの? 香り?それとも色?」
「いや、在庫がなくなってた」
「えー、なんだーつまんなーい」
「ねぇねぇ、今日もきれいに染まったと思わない? とっても発色がいいのー」

 ウェナとオーラは色閃(しきせん)の雫と香閃(こうせん)の雫の制作に夢中になり、ここ一年、リンディの指導のもとでひたむきに学び続けてきた。今や二人とも手慣れたもので、鮮やかな色を自在に操り、髪を染め上げ、香りも思いのままにまとうまでに腕を上げていた。

「ねー!いい色だよね!リンディのおかげー! 教えてくれてありがとう」
「うん!リンディはすごいよ!」
「そりゃ、よかった」

 今日の二人は、フェアリー・フィンガーズを用いて髪を染め上げていた。ウェナの髪は鮮やかな桃色、オーラの髪は深い葡萄色に染まり、二人の姿は光を浴びて生き生きと輝いていた。

「わー、いい香り!お腹ペコペコだよー! 背中とくっついたよー」
「私なんか入れ替わったよー! 待ちきれないよー!」
「それは――すごいな」

 リンディがバスケットの蓋を開けると、甘い香りがふわりと広がる。二人はその匂いに引き寄せられ、前のめりになった。

「さすが、リンディ! さいっこうに、美味しそう!」
「本当に! 目が蕩けそう!」
「それは――怖いな」
「ほっぺも落ちちゃう!」
「食べてからにしてくれ」

 ウェナがフラップジャックを並べる手は止まらず、オーラはその上にクリームチーズを添えていく。二人の手さばきに合わせ、リンディもスムージーをグラスに注ぎ入れた。

「――映えは忘れないんだな」
「当たり前でしょー?」
「食べる前の礼儀よ。まずは目で楽しむの」
「ほら、リンディも」

 テーブルの上に揃った一式が、なんとも美しい光景をつくり、三人はその完璧な仕上がりを前に、思わず満足そうに顔を見合わせた。

「よーし、完成! どう?」
「いい感じ! リンディも心に収めた?食べちゃうよ?」
「おー収めた収めた」
「もっと感激して―」
「そうだそうだ! こんなに素敵なスイーツ作れる自分をもっと褒め称えないと!自分への礼儀よ!」

 ウェナは目を輝かせ、勢いよくフラップジャックに手を伸ばした。バターの香ばしい香りが鼻先をくすぐり、噛むたびにザクザクと響き、じゅわっと広がるバターの濃厚な風味が、口の中を満たす。思わず身を乗り出し、次々と頬張るその姿に、二人も釘付けになった。

「ウェナ様、至福のひとときですね」
「そうですね。オーラ様、満悦の極みですね」
「大袈裟だな」

 フラップジャックを食べ終え、ウェナは満足げに手を拭きながら、オーラが差し出したスムージーのグラスを手に取った。彼女はふわっと香るミルクとフェイジョアの香りを楽しみ、グラスを軽く揺らして色合いと香りを確かめる。

「――ウェナ?」
「しっー、静かに――ウェナは今自己陶酔中なの」

 ウェナはグラスを回しながらその香りを堪能し、ゆっくりと口に含むと、フェイジョアの爽やかさが弾け、ミルクのまろやかさが一気に広がった。彼女はその味わいを一滴残さず楽しみ、余韻に浸りながら小さく息をつくと、目を閉じてそのひとときをかみしめた。

「はぁぁぁっー」

 ウェナが恍惚の表情を浮かべ、幸せに浸っていると、リンディとオーラは顔を見合わせ、呆れつつも微笑みがこぼれた。

「おいしー!」
「ほっぺは健在か?」
「ほっぺなくてもかわいいー?」
「おー、かわいい、かわいい」
「どっちがかわいい?」
「――どっちも」



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「――リンディー!」

 三人がまったりとピクニックを楽しんでいると、ケイとリアが息を切らして駆け込んできた。和やかだった広場が、一気に緊張の色を帯びる。

「おい、どうした――」
「リンディ、リンディ!」
「リンディー!!!」

 彼らの迫る勢いに、リンディの胸がざわつき、心臓の鼓動が加速する。不吉な予感が頭をよぎった。

「どうした?何かあったのか」
「不測の事態! 緊急報告!」
「どうかしたのか!?」
「ねぇ、エイディどこ行くの?!」
「――は?エイ……ディ?」
「エイディ?!何があったの!?」
「おい、ケイ、リア!エイディがどうしたんだ!?」
「今ね、エイディが荷造りしてたの!」
「――は?」

 呆然とその言葉を受け、リンディは一瞬で力が抜け、安堵のため息が漏れた。

「え――なんでいま落ち着いたの!?」
「服とか靴とか詰めて、家出するんじゃないかってくらい大荷物だったよ!」
「――い、家出!?」
「どこ行くのって聞いても、教えてくれないの!」
「あー――」

 リンディの言葉を待つ二人の顔には、緊張が張り詰めている。彼は一瞬困惑したが、苦笑しながらもすぐにリラックスして腰を下ろした。その余裕に、二人は不思議そうに身を乗り出した。

「リンディ?――心配じゃないの?」
「何か知ってるの?」
「そうなの!? 教えてよ!」
「あー、まぁ、家出じゃない。心配すんな――近いうちに、あいつらから直接話があるから」

 リンディの言葉に二人は目を見開き、疑問と期待がないまぜになって彼に詰め寄る。

「え?あいつら?――エイディだけじゃないの?」
「あ、やべっ――」
「誰?誰? リンディもどこか行くの!?」
「あ、いや、俺じゃなくて――」
「リンディじゃないの!?――じゃぁ、誰なの!? 何か知ってるんでしょ!」
「リンディ教えてよ!」

 二人は息をつく間もなく質問を投げかけ、リンディの視界を狭めるほど詰め寄る。リンディは、そんな二人に少しずつ後ずさりしながら、視線をそらしつつも、やれやれと肩をすくめた。

「数日もしたら、あいつらから話あるって」
「それなら今でも一緒でしょ! 待てないよ!」
「――黙秘権は?」
「口止めされてるの?」
「あー、いや――口止めされてない――か?」
「じゃあ、いいじゃん」
「――いいのか?」
「いいよ!」

 彼は視線を泳がせ、観念したようにため息をつきつつ、軽く首を掻いて思案しながら、ゆっくりと口を開いた。

「――いいか。外界に行く理由は本人たちから聞けよ」
「わかった、わかったから――誰なの?」
「――パニーだよ。エイディと一緒にいくの」
「パニーが!?」
「どうして?」
「だから――それは本人たちに聞いてくれ」
「外界って――行くの禁止、よね?」
「――そうだな」
「解禁されたの?!それなら、私も! 私も行きたい!」
「わ、私も! 行く!」
「はぁ?」
「俺も!」
「私も!」
「なんでこうなった――」

 ケイとリアに続き、ウェナとオーラまでもが声を張り上げ、リンディは完全に圧倒され唖然とした。四人の声で広場は瞬く間に騒然とした。リンディは嘆息し、頭を抱えながらも、遠くに目をやりぼんやりと現実逃避を図った。

「――落ち着け。とりあえず」
「落ち着けるわけなくない?!」
「むしろなんで落ち着いてるの?!」
「いいか。行きたいっていうなら、パニーとエイディに直接相談してくれ」
「わかった!」
「行ってくる!」
「――は? 今すぐじゃ――おい、待て!待てって!」

 話を聞く間もなく、ケイとリアはリンディの手をすり抜け、エイディの家に向けて一直線に走り出した。



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「あーあ、いっちゃった」
「はぁ、ケイもリアも落ち着けよ」
「――もういないよ?」
「――知ってる」

 ケイとリアの背中がどんどん小さくなり、リンディたちは呆気に取られたまま、その場で立ち尽くした。

「あーもう、いいか?パニーもエイディも、ばあちゃんたちと、まだ交渉中なんだ――それが終わったら、みんなに伝えるっていってた。それまで待つか――あとでエイディたちに話しに行くんだ」
「ケイとリアは?――行っちゃったよ?」
「もう手遅れじゃない?」
「だからこそだよ。今頃、エイディたちのところカオスだぞ」
「「――確かに」」

 リンディは頭を抱えてため息をついたが、ウェナとオーラがそっと寄り添い、笑いを交えて声をかけた。

「リンディ、元気出して。今日作った色閃(しきせん)の雫がまだ少し余ってるから――」
「ん?」
「髪色変えるとね、元気になるの」
「それはお前らだろ。俺は別に―――」

 ウェナがにっこり笑い、小瓶を手に取るやいなや、スポイトで桃色の液体をすくい上げ、リンディの髪へと向けた。リンディが止める間もなく、桃色の液体が髪に浸透し始め、彼の髪はみるみるうちに鮮やかに染まっていく。呆れながらも仕方なくその様子を見守るリンディに、続いてオーラが葡萄色の液体を毛先にふりかけると、ピンクから葡萄色の柔らかなグラデーションが髪に現れた。二人が楽しそうに微笑み合う姿に、リンディも困惑しつつ、どこか諦めの境地で肩をすくめるほかなかった。

「どう?――いい感じじゃない?」
「うん!かっこいい! 似合ってる!」
「――いや、俺見えねぇし」
「大丈夫。リンディはどんな髪色でもかっこいいよ」
「かっこよさに磨きがかかっただけだから、安心して」
「あぁ、そう。まぁ、もうそれでいいや――ありがとな」

 二人の絶賛の言葉にリンディは照れ隠しで目をそらしつつも、徐々に口元がほころんでいった。

「――ねぇ、リンディ」
「ん?どした?」
「エイディが行っちゃったら、さみしくない?」
「――そりゃ。さみしいよ」
「さみしいのに、いいの?」
「心配だけど、さ。パニーもいるし。あいつだってやりたいことやって――そのうち帰ってくるだろ」
「リンディは行かないの?」
「おれも――行っていいのか?」
「やだ! 行かないで!」

 不安そうに見つめてくる二人の目を見つめ返し、リンディは少し思案しながら、すぐに二人の頭に優しく手を乗せた。

「さっき、ウェナもオーラも一緒に行きたいって言ってたのにか?」
「――行くなら、一緒に行きたい」
「行けないなら、一緒に行かないでほしい」
「――わがままだな」
「――わがままだもん」
「パニーもエイディも行っちまったら、みんな寂しくなるだろ」
「それって、つまり、みんなのため?」
「いや、俺のため。俺だって――寂しいのは嫌だ」

 ウェナとオーラはお互いに顔を見合わせ、くすくすと笑みを交わした。薬の知識と腕前に長け、みんなの信頼を一身に集めているリンディ。子どもたちにとっては頼りがいのある兄貴で、大人たちにとってもかけがえのない存在だ。彼の作る雫が村の人々を癒し、その知恵と穏やかな笑顔は、誰にとっても安らぎの象徴だった。

 彼の存在はまるで陽だまりのように温かい。