水面を突き抜けた光が海底をなぞり、無数の光粒が泳ぎ回っていた。珊瑚の森が、色彩と輝きで海中の風景を染め上げている。ウミウシが隙間からひょいと顔を出し、砂の上をゆっくりとヒトデが進む。海の奥深くまで息吹が流れていた。

 魚たちは群れで泳ぎ、一斉に向きを変える。その動きに合わせて光は揺らぎ、周囲の色が変化する。万華鏡のように絶えず表情を変え、次々と新たな景色が現れる。どこか幻想の世界に引き込まれ、時の流れが消えていく。

「ねぇ、サリー。聞いて。私ね――」

 サリーと共に海中を駆け抜けるパニー。青の彼方で、水の揺らめきが二人の前に新たな景色を開いていく。サリーの流線形の体が波を切り裂き、周囲の小魚たちが散らばりながらも再びまとまって彼らを囲む。光が深みを増す水層に差し込み、無重力の中を浮遊する。

 次々と現れる海草の群れ、珊瑚の峰が目前を通り過ぎ、瞼を再び開けると風景が変わる。水の流れが速さを増し、海中の鼓動と一体感。パニーの胸は高鳴り、視線の先でサリーの輪郭が次第にぼやけるほどスピードが上がっていく。

 そのとき、ロロの声がパニーの耳に届いた。

「おーい! パニー姉ー!サリー!」
「あ、ロロー!――どうしたの?」
「ペオがねー、アイススライダー作ってーだってー」
「えーまたー? 好きねー。ほんと」
「ね。週に一回は作ってる気がする。職人になった気分」
「ほんとにねー、わかった――じゃぁ、サリー悪いけど、ペオたちのところ行ってくれる?」

 サリーが海面へと浮かび上がると、反射する光が海を一層まばゆく煌めかせ、波打つ姿が鏡の向こう側から現れた。

「ママー! パニーとサリーやっと帰ってきたよ!」
「ただいまー」
「おまたせー」
「ごめんね、急かしちゃって――ロロもありがと」
「アイススライダー! 作って、作ってー!」
「はいはい。わかったから、落ち着いて」
「よかったわね。ペオ」

 ペオは浮き輪の中でエムスタに支えられ、期待で目を輝かせていた。

「今日はどんなコースにする?」
「うーんと長いコースがいい!カーブして、急降下して、最後はジャンプ!」

 ペオの理想を受け、パニーたちは心の中でコース設計を駆け巡らせた。大胆なカーブ、息をのむ急降下、そして豪快なジャンプとスプラッシュ――みんなの頭の中で、そのイメージが躍動する。

「よしっ、じゃぁこれで決まりね!――準備はいい?」
「いつでもいいよ!」
「私も!」
「じゃ、サリー――お願いね」

 サリーが尾ひれを振り上げると、水面が一気に弾け、光を纏った水の粒が宙へ舞い上がる。サリーの一撃ごとに、水のアーチが空中に描かれ広がっていく。

「エム姉!ロロ!」

 パニー、エムスタ、ロロの三人はサリーが作り出した水のアーチに手を差し伸べた。冷気が指先から霧のように広がり、宙に浮かぶ水滴が一つまた一つと凍っていく。三人の動きに合わせて、水が滑らかな氷の表面に変わり、次第に形が整っていく。空中には、きらめく氷の橋が掛かり、その輝きが一層増していく。

「もう少しだよ!」

 サリーがさらに力強く尾ひれを振ると、新たな水の柱が空高く立ち昇る。エムスタとパニーが呼吸を合わせ、凍らせたその柱は次第に姿を変えていく。連続するカーブ、跳ねるジャンプ台、そしてゴール前に控えるスプラッシュゾーン――そのスリルたっぷりのコースが、海の上に堂々と浮かび上がった。

「私もやりたい―!」
「おいでー」

 窓辺で見守っていたメリー、ラリス、エルが歓声を上げ、弾けるように駆け出した。足元の靴を放ると同時に、彼らは勢いよく海へと突っ込んでいく。

「――誰からいく?」
「ぼく!ぼくから!」
「その次私ね!」
「じゃ、その次!」
「ぼくは、最後!――大技決めるから!」

 ペオ、メリー、エル、ラリスの順番を決めたみんなの瞳は滑り台に釘付けだ。

「ラリス、お願いね」
「はーい――ペオ、いくよ?」
「うん!」

 ラリスはペオを力強く抱きかかえ、ペオも腕にぎゅっとつかまる。次の瞬間、ラリスの足元に風が巻き起こり、ふたりは一気に空中へと浮かび上がった。頂上に差し掛かるとふわっと勢いを和らげ、滑り台に舞い降りるように着地。

「――いくよ!」

 滑り台は大きなカーブを描きながら、まっすぐ海へと続いていた。ラリスの声援を受け、ペオは一気に滑り出した。速度が増すごとに風が頬を撫で、歓声とともにカーブを駆け抜ける。

 最初のカーブを滑り切ると、体が軽く浮き、心臓が高鳴る。次のカーブに滑り込むたびに、風がペオの体をさらい、勢いは衰えない。目の前に迫るジャンプ台を捉えると、胸の鼓動が最高潮に達する。飛び出す瞬間、空へ舞い上がり宙へと放り出され、空と海の境界が視界いっぱいに広がった。

 再び滑り台に戻ると、直線の最後の疾走が待ち構えている。ゴール手前のスプラッシュゾーンに突入し、勢いに乗った体が海面へ高く水しぶきを巻き上げながら飛び込む。冷たい海水が全身に広がり、ペオは水中へと消え、続いてメリー、エルもそれぞれ滑り出し、同じスリルに酔いしれた。

「「いけー! ラリス!」」

 ラリスの番が来た。風が渦を巻き、彼をひと息で空へと持ち上げる。全員の視線をさらい、ラリスは紳士のように見えない帽子をつまんで一礼。そこから一気に滑り出した彼は、氷の滑走路を疾走し、風と光が織りなす光景の中心へと駆け抜ける。

 カーブを滑らかにこなし、ジャンプ台が迫ると彼のスピードはさらに増し、瞬く間に弾丸のように空高く放たれた。体が弧を描くと、周囲の海面が下へと遠ざかる。次の瞬間、スコットリスたちがタイミングよく尾ひれを振り、水のジェットが周囲で一斉に噴き出した。即席でできた水のコースが空中に展開され、その上をラリスは疾風のごとく突き進む。

 空中で何度も軽やかに回転し、最後は滑らかに海へ飛び込む。水柱が上がると、仲間たちの歓声が炸裂する。



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 子どもたちは順々にアイススライダーを滑り降り、水面に光の軌跡を描いていた。その横で、エムスタ、パニー、ロロの三姉妹はエアーマットの上で揺られ、波に身を任せてぷかぷかと浮かんでいる。

「――ねぇ、エム姉、ロロ」
「――ん?」
「どしたの?」
「ここを出るって話なんだけどね。この間、リンディとエイディにも話したんだ」
「ついに話したんだ? 二人ともなんだって?」
「実はエム姉と話してるところとか聞かれちゃってたみたいで、エイディには既に知られてたんだけどねー」
「えー! そうだったんだ?」
「うん――それでね。エイディも一緒に行くことになったの」
「「え?!」」
「え、エイディも!?――ってことは、リンディは? もしかして、リンディも?」
「ううん、リンディはここに残るよ。エイディだけ」
「えー!びっくり! そんな話になってたんだ」

 パニーは足を水に浸し、手で冷たい水をすくい上げた。水滴が肌を伝って落ちていく感覚が、ひんやりと心地よい。

「おばあちゃんとは? あれから話した?」
「ううん。まだ――」
「どうするの?」
「話すよ? 話そうとは思ってるんだけど――」

 遠くで響く子どもたちの笑い声が、波に乗って柔らかく耳に届く。揺れる波に体を任せ、上下する心地よさに三姉妹は身をゆだねていた。

「おばあちゃんの考え理解できなくてさー。今のまま私の気持ち伝えても、きっと平行線だし――どうするかなー」
「おばあちゃんもさ、頭ではこのままじゃ良くないって思ってるんだよ」
「やっぱり、ロロもそう思う?」
「えーそれなら行っておいでって送り出してくれればいいのに――」
「頭では理解できても、心が納得しないことってあるじゃない? あの日のこと、また繰り返すのが怖いのよ」
「何が起こったのか知りたくて、孫は探しに行こうとしてるのにね――頑なに教えてくれないのはおばあちゃんたちじゃん」

 パニーは瞼を閉じ、幼い頃の記憶を心の中で再び立ち上げる。両親と共に過ごした日々の温もりが、消えることなく今も心に灯っている。

「ママとパパがいて、エム姉とロロと――みんなが居たあの頃が懐かしいなぁ」
「――パニー」



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 あの頃、この集落は今とは比べものにならないほど活気が満ちていた。人々が行き交い、笑い声が風に乗って響き渡っていた。外界との境界も今よりは緩やかで、家族での旅も日常のひとつ。記憶の中で最初の外出は、色とりどりの景色が次々に広がり、驚きと歓喜が絶えず胸を満たした。母、父、姉、妹と共に過ごしたあのひととき。見慣れぬ街並みの賑わい、好奇心に応える数々の新しい景色と音で、パニーの心は鮮やかだった。



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「アプフェルシュトゥルーデル、あのお店のまた食べたいなー」
「パニー大好きだったよねー! ずーっと同じもの頼み続けるんだもん。いろんなメニューがあったのにさー」
「エム姉も、ほとんどミルヒラームシュトゥルーデルだったじゃん」
「――そうだった?」
「エム姉も、パニー姉も、いっつも同じのばっか食べてたよねー」



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 パニーは、初めてアプフェルシュトゥルーデルを口にした衝撃を、今でも忘れられない。白壁にオレンジの屋根を載せたカフェ。ドアを押し開けると、甘美な香りが飛び込んできて、彼女の全身を包み込んだ。

 ショーケースにはカラフルなスイーツが並び、どれもが魅力的で思わず目を奪われる。迷いに迷った末、彼女が手にしたのは、店の名物アプフェルシュトゥルーデル。宝石のようにソースの中に輝くそれは、フォークを差し入れると驚くほど柔らかく、ひとくち味わうと、甘さがじゅわりと広がる。シナモンの香りがふんわりと鼻をくすぐり、りんごのフィリングがぎっしり詰まったその一口は、彼女に至福の時間を届けた。

 エム姉が虜になったのは、ミルヒラームシュトゥルーデル。パイ生地の中にたっぷり詰まった濃厚なミルクフィリング。ひとくち食べれば、まずバターの香りが広がり、次に滑らかなミルクがとろけるように舌の上で踊る。リッチな甘みが、彼女を虜にしていた。



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「ねぇ、チョコレートショップ覚えてる?」
「ロロが好きだったところね?」
「もちろん覚えてるよー。懐かしい!――また行きたくなってきた!」
「まだ、お店あるかな?」
「探しに行こうかな! もしまだあったら、ロロも行こうよ!」
「ほんと?――楽しみ!」



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 帰り道の最後に立ち寄るのは、ロロが見逃せないチョコレートショップだ。店全体がチョコレートでできているかのような外観で、活気が溢れ出している。

 扉を押し開けると、目の前には色とりどりのチョコレートが目も眩むほどに並ぶ。渦巻き模様に宝石のようなツヤを持つもの、精緻な装飾が施されたもの――どれもが独自の輝きを放っていた。ロロは夢中になって、次々と一つ一つを指さし、目を輝かせては、歓喜に満ちた笑みを浮かべていた。



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「もし、もしだよ? パパとママが生きてたら――また、昔みたいに戻れるかな」
「戻れるよ! きっと」
「――」
「ロロ?」
「――パパもママも生きてるよ。パニーの未来はね――今よりきっと、ずっとよくなるよ」
「なぁに? それ。予言?」

 二人は視線を交わし、そっと微笑む。ロロはふと遠くを見つめ、ほんの一瞬表情を曇らせたが、その影はすぐに消え、笑顔が戻っていた。

 陽光がパニーの瞳を照らし、彼女の心の奥に秘められた願いが空高く揺らめく。もしも両親や他の家族がいつか戻ってくることがあるのなら、その時には、再び笑顔に包まれた日々が待っている――そんな希望を彼女は胸に秘めている。

 彼女は心に希望の種を蒔き、それが未来に花開くことを信じている。