「――テウシィ、テウシィ起きてっ!お願いっ!」
「――パ、ニー?」
「――よかった!気が付いた!――そうだよ、パニーだよ! どこか怪我はしてない? 痛いところはない? 大丈夫?」
「――う、ん、僕は、大丈夫――ここは?」
「それが私にもわかんないの。テウシィ見覚えない? ここどこだろう――」
パニーは焦りと不安に駆られていた。冷たい湿気が肌にしつこくまとわりつき、空気の異様に重い薄暗い空間。コンクリートの床には幾筋ものひびが走り、そこからにじみ出した水が広がり、床を濡らしている。壁の隅には苔と草が薄く繁り不気味さを助長していた。
高い位置にある窓から漏れる光が、床や壁に奇妙な影を映し出している。遠くからぽつり、ぽつりと水滴の音の余韻が耳にじわりとしみこんでいた。
「――よかった――目が覚めたのね」
その声は、不意に壁際から現れた少女のものだった。体育座りで体を小さく丸め、じっとこちらを見つめている。
「えっと――君、は?」
「――私のこと、覚えてないの?」
「――うん、覚えてない――あれ? 覚えてるかも。もしかして、さっき落とし物した――」
「――うん、そう。巻き込んでごめんね」
「巻き込んで? どういう意味?」
テウシィの頭に浮かんだ記憶は、彼女が何かを落とし、そのまま気づかずに走り去った場面。慌ててそれを拾って、追いかけたテウシィ――それがいつの間にか、この得体の知れない空間に変わっている。彼は状況が飲み込めず、ただ暗い空間を見回して一層混乱した。
「――今の状況のことよ。誘拐されたでしょ? きっと――ううん絶対私が狙われてるの。だからあんたたちは巻き込まれただけなの。だからごめんねって言ってるの」
「――誘拐? 誰が?」
「――誘拐? これが?」
「――は?」
「――えぇぇ!誘拐されてるの!? 僕たち?今?」
「うそっ!テウシィ誘拐されたの?! なんで?!」
「うるさい! 犯人に聞こえるかもしれないでしょ!――どう考えても誘拐でしょ。それ以外に何があるっていうのよ」
少女は二人を冷ややかに睨み、ため息をついた。
誘拐――ニュースや映画で目にしてきた、決して自分の身に起こるとは思っていなかった異常事態。突如として飲み込まれ、二人は何も理解できずにいた。
「な、な、なんで? えー? なんで誘拐されてるの?」
「――しつこいっ! だから私のせいだって言ってんでしょ!」
「君のせいなの?――何したの? 謝ったら許してもらえるんじゃない?」
「――失礼ね。私は何もしてないもん」
「じゃぁ、どうして――」
「――私の親のせい、なの」
「――君の親のせい? そうなの? もしかして――お金持ちなの? 身代金目当てってこと? どうしよう。僕も請求される? うちそんなにお金持ってないよ。きっと、身代金払えないかも」
「私も、請求される? お金少ししか持ってないよ?――お小遣いで足りるかな。いくら払えば帰してくれるの?――あんまり大事にしたくないんだよねー」
「――心配するところはそこじゃないし、うちもお金持ちじゃない――それに、既に大事なの! さっきから緊張感のかけらもないじゃない。なんなのあんたたち――ジャーナリストなの。私のママ」
「――ジャーナリスト?」
「そう、ママはすごいジャーナリストなの――いい? 本当は誰にも言っちゃダメなんだけど、巻き込んじゃったから少しだけ教えてあげる――私も詳しいことは教えてもらってないんだけど――怪しい組織の情報を手に入れちゃったんだって! ほら、よく映画でもあるでしょ?」
「おぉぉぉ! わかる、わかる鉄板だよね――えっと、君の――ママすごいね! かっこいい!」
「おーなるほど! わかるわかる!王道だよね!」
「――私はシャンティ」
「僕は、テウシィだよ」
「私は、パニー、よろしくね」
「よろしくねって――なんでそう――まぁ、いいわ。それで、続きだけど脅迫電話が掛かってくるようになったの。余計なことに首を突っ込んだーとかなんとか。脅迫状なんかも送られてきて」
「――脅迫状って新聞とかの切り抜き?」
「あ! それもよく映画あるあるだ。筆跡隠しでしょ? 切り抜きだった?」
「――そんなことどうでもいいでしょ。どこまで呑気なのあんたたち――いい? それでね、ここ三カ月くらいかな。定期的に送られ続けてるの。まだ調査中だからママも情報は開示してないのに――何処から漏れたのかわからないけど。だからね、私もかなり気をつけてはいたのよ? でも、でもね? 今日のヒーロー展どうしても見に行きたくて。おばあちゃんに無理言って連れてきてもらって――油断した私のせいなの――ごめん、なさい――おばあちゃんもきっと心配してる――どうしよう――」
シャンティの声はしだいにか細くなり、最後は床に溶け込み小さくなった。うなだれるシャンティを前に、パニーとテウシィはお互いに目配せしながら、なんとか言葉を探そうと試みていた。
「シャンティのせいじゃないよ――そ、そういえば僕がシャンティを追いかけたから捕まったんだよね?――パニーはどうしてここにいるの?」
「私はテウシィたちを迎えに行く途中で――」
テウシィの問いかけに、パニーは記憶を巡らせた。テウシィらと合流するために向かっていた道中、すれ違った男から、妙にテウシィの匂いが漂ってきた。それなのにテウシィの姿は見当たらない――奇妙な違和感に引き寄せられるように、つい男の後を追ってしまったのだ。
やがて男は路地に入り、暗がりで車の後部座席に大きなカバンを押し込もうとしていた。そこから、ますます強くテウシィの匂いが漂う。どこか異質な空気に、思わずパニーは男との距離を詰めてしまう。
すると、男が突然振り返り――その瞬間から、全てが変わったのかもしれない。
「――でね、目が合っちゃって、声かけてみたんだけど――」
「――声をかけたぁ? バカなの?逃げなさいよ。どう考えても怪しいでしょうが」
「だって、せっかく追いかけたんだよ?――気になるじゃない」
「ちょっと、テウシィ。パニーはバカなの? 普通そんな状況逃げるわよ。そもそもテウシィの匂いって何よ――まぁ、もうしょうがないけど。それで? 声を掛けた後は?」
シャンティに促され、パニーは言葉を継ぐ。声をかけた直後、男がいきなり殴りかかってきたので、パニーは反射的に反撃したのだと話すと、
「あら、反撃したのね。結構やるじゃない」
シャンティが感心したように言うと、パニーは少し照れたが、再び記憶を辿る。その後、もう一人男が現れ、パニーは完全に囲まれてしまった。男たちにしつこく問い詰められ、正直にテウシィの匂いを追ってきたことを伝えると、意外にも男たちは車の中を見せることを了承してくれた。期待しながら車に近づき、後部座席のカバンに手を伸ばしかけた瞬間――
突然、背後から口を塞がれ車内へと引きずり込まれてしまった。甘い香りが鼻先をかすめたと思ったら、抵抗する間もなく意識が遠のいてしまった。
「やっぱり、ただのバカじゃない――」
「バカって――ひどーい。私はただ、テウシィのことが気になっただけで――」
「パニーはバカじゃないよ。ただ少し――えっとすっごく治安のいい遠いところから最近きたから――その危機的状況にはその疎くて?」
「どんなとこにいたらそんなに呑気になれるのよ。危機感なさすぎでしょ――疎すぎよ」
「――そんなこと言わないで? 私が来なかったらテウシィとシャンティの二人だけだったんだよ? 私がいてよかったでしょ?」
「うん!」
「――まったく、全然、むしろ不安を煽られたわ」
シャンティはため息をつき、パニーをじろりと睨む。二人よりも年上の自分がいれば少しは安心してもらえるだろうとパニーは思ったのだが、シャンティには何故か効果がないらしい。
「シャンティは呑気――ってわけじゃないけど、結構冷静だね?」
「あんたたちが暢気すぎて逆に冷静になったのよ」
「まぁまぁ、とにかく早くここから出よう?ね?」
「――出ようって、そんな簡単に出られるわけないじゃない足縛られてるの――よって、なんでパニー縛られてないのよ」
「――さっき、解いたの」
「――はぁぁぁ? いつの間に?」
シャンティが驚きに口を開けたまま固まる横で、パニーは肩の埃を払って暗がりを歩き始めた。壁を叩いて音を確かめ、はめ殺しの窓を手探りで確認し、抜け道を探しているようだ。
「――何してるの?」
「どこから出ようかなって」
「出ようかなって――だからそんな簡単に出られるわけないじゃない」
今まさに誘拐されているというのに冷静なパニーと、同じく泣きもせずに会話に加わるテウシィに、シャンティは大変困惑していた。シャンティも平静を装っているが、本心では泣きたいほど不安でいっぱいなのに――。
「ねぇ、テウシィなんだっけ、モール号? あの助けを求めるやつ。前に見たアニメでやってたやつ、覚えてる?」
「モール――モールス信号のこと?」
「そう!それ、SOSってなんだっけ?」
「短音3回、長音3回、短音3回だよ」
「そうそう! それだそれ。テウシィ、これでその音を出してくれない? 小さめでね」
「いいけど――どうするの?」
「――いつ来るかわかんないけど、きっとエイディも来てくれるだろうしね。エイディなら聞こえるし、ニウスが居ればモールス信号のことわかるでしょ?」
「――確かに! そっか、わかった!」
「――はぁぁ? 聞こえるわけないでしょ?」
シャンティは混乱の極みにあった。エイディが誰なのかもさっぱりだし、どこにいるのかは知らないが、こんな場所で出した音が届くわけもない。それなのに、テウシィはパニーの言う通り素直に行動し始めている。その二人を前に、シャンティは違う意味で泣きそうだった。
---
時を少し巻き戻す――。
ニウスは、不安げに周囲を見渡していた。今日は待望のヒーロー映画の展示会の日だった。テウシィと一緒に大興奮で会場を見て回った後、土産屋に寄ったところまでは良かった。しかし、ニウスが会計を済ませて出口に向かうと、先に精算を終えていたはずのテウシィの姿が見当たらない。人混みに紛れただけだろうと携帯を鳴らしてみたが、応答はなく不安が忍び寄ってくる。
実際の経過時間は短くとも、ニウスには果てしなく感じられた。そんなとき、携帯が震えた。テウシィかと慌てて画面を覗き込むと、そこに表示されていたのはエイディの名前だった。
「――もしもし? ヒーロー展、もう終わったか?どうだった?」
「うん、終わったよ――楽しかったよ」
「――それにしては元気ねぇな? どうした」
「テウシィとはぐれちゃって――ねぇエイディ今どこ? そっちにテウシィきてる?」
「――いや、俺まだ図書館だし――テウシィいないのか? 携帯は?」
「かけたけど、つながらなくて――まだ図書館?」
「パニーが先に迎えに行ってるんだよな。俺もここ片してそっち行くわ。ニウスはパニーに電話してみてくれ」
「――わかった。電話してみる」
「大丈夫だって! すぐ行くからよ!――ニウスも迷子にならないようにな。パニーに会えたら連絡くれよ」
通話が途切れると、ニウスは出口付近からテウシィを探しながら、慌ててパニーに電話をかけた。しかし、こちらも虚しく呼び出し音だけが続き、応答はない。不安はより一層ニウスを蝕み始めていた。
ニウスにとって、これが外界で感じる初めての孤独だったのかもしれない。内向的な性格ゆえ、周囲の人に声をかけることすらためらわれ、不安な時だけがひたすら刻々と膨らんでいく。ほんのさっきまでの楽しいひと時が、遠い過去のことのように思えた。
「テウシィどこ行ったんだよー。パニーも電話に出てよー」
ふと購入したばかりのヒーローフィギュアを手に取ってみた。あのヒーローなら、こんな時どうするだろうか――。
「――パ、ニー?」
「――よかった!気が付いた!――そうだよ、パニーだよ! どこか怪我はしてない? 痛いところはない? 大丈夫?」
「――う、ん、僕は、大丈夫――ここは?」
「それが私にもわかんないの。テウシィ見覚えない? ここどこだろう――」
パニーは焦りと不安に駆られていた。冷たい湿気が肌にしつこくまとわりつき、空気の異様に重い薄暗い空間。コンクリートの床には幾筋ものひびが走り、そこからにじみ出した水が広がり、床を濡らしている。壁の隅には苔と草が薄く繁り不気味さを助長していた。
高い位置にある窓から漏れる光が、床や壁に奇妙な影を映し出している。遠くからぽつり、ぽつりと水滴の音の余韻が耳にじわりとしみこんでいた。
「――よかった――目が覚めたのね」
その声は、不意に壁際から現れた少女のものだった。体育座りで体を小さく丸め、じっとこちらを見つめている。
「えっと――君、は?」
「――私のこと、覚えてないの?」
「――うん、覚えてない――あれ? 覚えてるかも。もしかして、さっき落とし物した――」
「――うん、そう。巻き込んでごめんね」
「巻き込んで? どういう意味?」
テウシィの頭に浮かんだ記憶は、彼女が何かを落とし、そのまま気づかずに走り去った場面。慌ててそれを拾って、追いかけたテウシィ――それがいつの間にか、この得体の知れない空間に変わっている。彼は状況が飲み込めず、ただ暗い空間を見回して一層混乱した。
「――今の状況のことよ。誘拐されたでしょ? きっと――ううん絶対私が狙われてるの。だからあんたたちは巻き込まれただけなの。だからごめんねって言ってるの」
「――誘拐? 誰が?」
「――誘拐? これが?」
「――は?」
「――えぇぇ!誘拐されてるの!? 僕たち?今?」
「うそっ!テウシィ誘拐されたの?! なんで?!」
「うるさい! 犯人に聞こえるかもしれないでしょ!――どう考えても誘拐でしょ。それ以外に何があるっていうのよ」
少女は二人を冷ややかに睨み、ため息をついた。
誘拐――ニュースや映画で目にしてきた、決して自分の身に起こるとは思っていなかった異常事態。突如として飲み込まれ、二人は何も理解できずにいた。
「な、な、なんで? えー? なんで誘拐されてるの?」
「――しつこいっ! だから私のせいだって言ってんでしょ!」
「君のせいなの?――何したの? 謝ったら許してもらえるんじゃない?」
「――失礼ね。私は何もしてないもん」
「じゃぁ、どうして――」
「――私の親のせい、なの」
「――君の親のせい? そうなの? もしかして――お金持ちなの? 身代金目当てってこと? どうしよう。僕も請求される? うちそんなにお金持ってないよ。きっと、身代金払えないかも」
「私も、請求される? お金少ししか持ってないよ?――お小遣いで足りるかな。いくら払えば帰してくれるの?――あんまり大事にしたくないんだよねー」
「――心配するところはそこじゃないし、うちもお金持ちじゃない――それに、既に大事なの! さっきから緊張感のかけらもないじゃない。なんなのあんたたち――ジャーナリストなの。私のママ」
「――ジャーナリスト?」
「そう、ママはすごいジャーナリストなの――いい? 本当は誰にも言っちゃダメなんだけど、巻き込んじゃったから少しだけ教えてあげる――私も詳しいことは教えてもらってないんだけど――怪しい組織の情報を手に入れちゃったんだって! ほら、よく映画でもあるでしょ?」
「おぉぉぉ! わかる、わかる鉄板だよね――えっと、君の――ママすごいね! かっこいい!」
「おーなるほど! わかるわかる!王道だよね!」
「――私はシャンティ」
「僕は、テウシィだよ」
「私は、パニー、よろしくね」
「よろしくねって――なんでそう――まぁ、いいわ。それで、続きだけど脅迫電話が掛かってくるようになったの。余計なことに首を突っ込んだーとかなんとか。脅迫状なんかも送られてきて」
「――脅迫状って新聞とかの切り抜き?」
「あ! それもよく映画あるあるだ。筆跡隠しでしょ? 切り抜きだった?」
「――そんなことどうでもいいでしょ。どこまで呑気なのあんたたち――いい? それでね、ここ三カ月くらいかな。定期的に送られ続けてるの。まだ調査中だからママも情報は開示してないのに――何処から漏れたのかわからないけど。だからね、私もかなり気をつけてはいたのよ? でも、でもね? 今日のヒーロー展どうしても見に行きたくて。おばあちゃんに無理言って連れてきてもらって――油断した私のせいなの――ごめん、なさい――おばあちゃんもきっと心配してる――どうしよう――」
シャンティの声はしだいにか細くなり、最後は床に溶け込み小さくなった。うなだれるシャンティを前に、パニーとテウシィはお互いに目配せしながら、なんとか言葉を探そうと試みていた。
「シャンティのせいじゃないよ――そ、そういえば僕がシャンティを追いかけたから捕まったんだよね?――パニーはどうしてここにいるの?」
「私はテウシィたちを迎えに行く途中で――」
テウシィの問いかけに、パニーは記憶を巡らせた。テウシィらと合流するために向かっていた道中、すれ違った男から、妙にテウシィの匂いが漂ってきた。それなのにテウシィの姿は見当たらない――奇妙な違和感に引き寄せられるように、つい男の後を追ってしまったのだ。
やがて男は路地に入り、暗がりで車の後部座席に大きなカバンを押し込もうとしていた。そこから、ますます強くテウシィの匂いが漂う。どこか異質な空気に、思わずパニーは男との距離を詰めてしまう。
すると、男が突然振り返り――その瞬間から、全てが変わったのかもしれない。
「――でね、目が合っちゃって、声かけてみたんだけど――」
「――声をかけたぁ? バカなの?逃げなさいよ。どう考えても怪しいでしょうが」
「だって、せっかく追いかけたんだよ?――気になるじゃない」
「ちょっと、テウシィ。パニーはバカなの? 普通そんな状況逃げるわよ。そもそもテウシィの匂いって何よ――まぁ、もうしょうがないけど。それで? 声を掛けた後は?」
シャンティに促され、パニーは言葉を継ぐ。声をかけた直後、男がいきなり殴りかかってきたので、パニーは反射的に反撃したのだと話すと、
「あら、反撃したのね。結構やるじゃない」
シャンティが感心したように言うと、パニーは少し照れたが、再び記憶を辿る。その後、もう一人男が現れ、パニーは完全に囲まれてしまった。男たちにしつこく問い詰められ、正直にテウシィの匂いを追ってきたことを伝えると、意外にも男たちは車の中を見せることを了承してくれた。期待しながら車に近づき、後部座席のカバンに手を伸ばしかけた瞬間――
突然、背後から口を塞がれ車内へと引きずり込まれてしまった。甘い香りが鼻先をかすめたと思ったら、抵抗する間もなく意識が遠のいてしまった。
「やっぱり、ただのバカじゃない――」
「バカって――ひどーい。私はただ、テウシィのことが気になっただけで――」
「パニーはバカじゃないよ。ただ少し――えっとすっごく治安のいい遠いところから最近きたから――その危機的状況にはその疎くて?」
「どんなとこにいたらそんなに呑気になれるのよ。危機感なさすぎでしょ――疎すぎよ」
「――そんなこと言わないで? 私が来なかったらテウシィとシャンティの二人だけだったんだよ? 私がいてよかったでしょ?」
「うん!」
「――まったく、全然、むしろ不安を煽られたわ」
シャンティはため息をつき、パニーをじろりと睨む。二人よりも年上の自分がいれば少しは安心してもらえるだろうとパニーは思ったのだが、シャンティには何故か効果がないらしい。
「シャンティは呑気――ってわけじゃないけど、結構冷静だね?」
「あんたたちが暢気すぎて逆に冷静になったのよ」
「まぁまぁ、とにかく早くここから出よう?ね?」
「――出ようって、そんな簡単に出られるわけないじゃない足縛られてるの――よって、なんでパニー縛られてないのよ」
「――さっき、解いたの」
「――はぁぁぁ? いつの間に?」
シャンティが驚きに口を開けたまま固まる横で、パニーは肩の埃を払って暗がりを歩き始めた。壁を叩いて音を確かめ、はめ殺しの窓を手探りで確認し、抜け道を探しているようだ。
「――何してるの?」
「どこから出ようかなって」
「出ようかなって――だからそんな簡単に出られるわけないじゃない」
今まさに誘拐されているというのに冷静なパニーと、同じく泣きもせずに会話に加わるテウシィに、シャンティは大変困惑していた。シャンティも平静を装っているが、本心では泣きたいほど不安でいっぱいなのに――。
「ねぇ、テウシィなんだっけ、モール号? あの助けを求めるやつ。前に見たアニメでやってたやつ、覚えてる?」
「モール――モールス信号のこと?」
「そう!それ、SOSってなんだっけ?」
「短音3回、長音3回、短音3回だよ」
「そうそう! それだそれ。テウシィ、これでその音を出してくれない? 小さめでね」
「いいけど――どうするの?」
「――いつ来るかわかんないけど、きっとエイディも来てくれるだろうしね。エイディなら聞こえるし、ニウスが居ればモールス信号のことわかるでしょ?」
「――確かに! そっか、わかった!」
「――はぁぁ? 聞こえるわけないでしょ?」
シャンティは混乱の極みにあった。エイディが誰なのかもさっぱりだし、どこにいるのかは知らないが、こんな場所で出した音が届くわけもない。それなのに、テウシィはパニーの言う通り素直に行動し始めている。その二人を前に、シャンティは違う意味で泣きそうだった。
---
時を少し巻き戻す――。
ニウスは、不安げに周囲を見渡していた。今日は待望のヒーロー映画の展示会の日だった。テウシィと一緒に大興奮で会場を見て回った後、土産屋に寄ったところまでは良かった。しかし、ニウスが会計を済ませて出口に向かうと、先に精算を終えていたはずのテウシィの姿が見当たらない。人混みに紛れただけだろうと携帯を鳴らしてみたが、応答はなく不安が忍び寄ってくる。
実際の経過時間は短くとも、ニウスには果てしなく感じられた。そんなとき、携帯が震えた。テウシィかと慌てて画面を覗き込むと、そこに表示されていたのはエイディの名前だった。
「――もしもし? ヒーロー展、もう終わったか?どうだった?」
「うん、終わったよ――楽しかったよ」
「――それにしては元気ねぇな? どうした」
「テウシィとはぐれちゃって――ねぇエイディ今どこ? そっちにテウシィきてる?」
「――いや、俺まだ図書館だし――テウシィいないのか? 携帯は?」
「かけたけど、つながらなくて――まだ図書館?」
「パニーが先に迎えに行ってるんだよな。俺もここ片してそっち行くわ。ニウスはパニーに電話してみてくれ」
「――わかった。電話してみる」
「大丈夫だって! すぐ行くからよ!――ニウスも迷子にならないようにな。パニーに会えたら連絡くれよ」
通話が途切れると、ニウスは出口付近からテウシィを探しながら、慌ててパニーに電話をかけた。しかし、こちらも虚しく呼び出し音だけが続き、応答はない。不安はより一層ニウスを蝕み始めていた。
ニウスにとって、これが外界で感じる初めての孤独だったのかもしれない。内向的な性格ゆえ、周囲の人に声をかけることすらためらわれ、不安な時だけがひたすら刻々と膨らんでいく。ほんのさっきまでの楽しいひと時が、遠い過去のことのように思えた。
「テウシィどこ行ったんだよー。パニーも電話に出てよー」
ふと購入したばかりのヒーローフィギュアを手に取ってみた。あのヒーローなら、こんな時どうするだろうか――。