「ドキドキするねー!」
「――やばいやばいやばいやばい、ほ・ん・き・で緊張してきた!」
「茶葉を濃く抽出して、焼き加減に気を付ける、茶葉を濃く抽出して、焼き加減に気を付ける、茶葉を濃く抽出して、焼き加減に気を付ける――」
「落ち着けって、大丈夫だから」
「みんな、もう完全にテンパってるねー」

 緊張を隠しきれないオーラ、ウェナ、ニウスの年下組を横目に、ティースプーン一杯分の余裕を見せるパニーとエディ。彼ら五人は、二ヶ月に及ぶ試行錯誤の末、ついに決戦の時を迎えていた。リムンで提供する期間限定商品、その完成がいよいよ目前に迫っているのだ。

 マクリスとテウシィーの助言を受け、他店の事例やテレビ、雑誌の情報を自分たちなりに分析し、何度も議論を重ねた。そして、試作を繰り返す中で導き出された結論は、フルーツジャムを香り高い茶葉を練り込んだクッキーで挟むという案だった。フルーツジャムはすでにリムンで取り扱っているため準備が容易であり、持ち帰りやすい利便性と、広めやすさという実用性も兼ね備えている。

 今回手がけるクッキーは、園内で育てたフルーツに応じて全十種類。それぞれのフルーツに最も相性の良い紅茶の茶葉を厳選し、生地に練り込むという計画だ。リムンの近くにある紅茶専門店『テー ローカヤ』とは長年の親交があり、これまで幾度となくコラボレーション商品の構想が浮上していたそうだ。その縁により、ついに今回のプロジェクトが実現したのだ。数多くの茶葉を取り寄せ、時間をかけて試飲を重ね、フルーツの風味を最も引き立てる組み合わせが選び抜かれた。

 さらに、パッケージデザインにも工夫が施されている。海、土、空の民をテーマにした三種類のデザインに加え、それらを統合した特別版が一種類。そしてこれらは、単なる視覚的装飾に留まらず、香りや味わいを引き立て、五感に訴える体験を提供することを目指している。

 本日の審判が、この商品が世に羽ばたくか否かを決定づける。運命の瞬間が迫る中、入り混じった期待と不安がじわじわと皆の心に染み込んでいく。



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「そういや、ニウス。昨日のサッカーの試合どうだった?」
「――え? ニウス、試合出たの?」
「えー! 聞いてない!私聞いてないよ!見たかったよー! 言ってよー!教えてよー!」

 紅茶の抽出を終え、次の工程へ移る。常温に戻したバターを大きめのボウルに入れ、ヘラで丁寧に練り込む。バターが滑らかになったところで、ココナッツシュガーを少しずつ振り入れ、均一に混ざるように混ぜ合わせていく。

「秘密にしてたわけじゃないよ! ウェナが想像してるのとは違うんだよ!」
「――ほんとにー?」
「ほんとだってば! 試合って言っても、テウシィーのサッカーチームのメンバー内で少人数でやったんだ。たまたまコーチが『参加してみる?』って言ってくれてさ」
「ふーん、そうだったんだ! 最近、練習一生懸命してたもんね! よかったねー」
「うん、すっごく楽しかった! 練習には参加させてもらってたけど、試合は初めて! 三試合やってね、僕は一試合しか勝てなかったんだけど――でもね、僕、一点入れたんだ!」
「おおー! 初試合で得点って、すっげー好調じゃん?すげーじゃん、頑張ったな」
「ありがと――あとね、足も速いって褒められたんだよ。僕、足速いって思ったことなかったから、びっくりした!――すっごく嬉しかった」
「ニウスは速いよー」
「ウェナに褒められてもなぁ」
「もー!私は土の民!そこは私の領分なんだから比べないの!――卵の準備しちゃうねー」

 ニウスの笑顔が曇る前に、一足先に生地を混ぜ終えたウェナは、卵黄の準備に取りかかった。質感が均一になるよう、ヘラで絶え間なく滑らかに混ぜ込む。さらに、事前に濃い目に抽出しておいた紅茶のエキスを加える。

「――次試合するときは呼んでくれよなー。応援行くからさー」
「それ私も行きたい!」
「「私も!」」
「普段は送迎してくれるメンバーの家族くらいしか観客いないんだよ――あ! でもね、まだ日程決まってないんだけど、数カ月後? に他のチームと練習試合をするらしいんだ。僕は正式メンバーじゃないけど、練習頑張れば、試合にも出してもらえるかもしれないんだって!」
「へぇ、すごいじゃん! それだ!それに行こう!」
「「行く行くー!」」
「――まだ出れるかわかんないよ?――けど――うん、僕、もっともっと頑張る!――あ! テウシィ―はレギュラーだから試合に出るんだよ。僕が出られなくても一緒に応援しにいこ?」
「――おう、みんなで盛大に応援してやるよ!」

 紅茶の茶葉も生地に練り込み始めると、やがて生地もリムンも、紅茶の香りに包まれていく。ふと、テー ローカヤで学んだことが思い出された。『標高の高い場所で育つ茶葉の特徴はね、植物のサイクルにあるの。標高が高いと昼間は強い日差しを浴びれて効率よく光合成ができるでしょ? 逆に夜は冷え込むから呼吸が遅くなる。そうすると蓄えた成分が多く残るの。だからね味と香りが一層豊かになるんですよ――』

「空気がほぼ紅茶だー」
「――腹減ったー」
「朝軽かったもんねー」
「僕、緊張して全然食べてない」
「ねぇねぇ、焼いてる間にさ、フルーツつまもう!」
「オーラナイス! それ賛成!」

 薄力粉、ココナッツロング、そしてシナモンパウダーを加え、再び生地に馴染ませていく。生地がほどよくまとまったところで、一旦冷蔵庫で寝かせる時間だ。その間、皆は空腹を満たすために一息つくことにした。マクリスとテウシィ―おすすめの組み合わせ。プレーンヨーグルトに、パッションフルーツと蜂蜜をかけたものだ。これが、本当に毎日食べても飽きることのない美味しさで、パニーたちはさっそく虜になった。

「そういえばさ、エイディ」
「――ん?」
「力、使ったでしょ――見られてたよ」
「――え?俺が? いつ?」
「いつだったかな?少し前? 『手も使わずに木に登って、子どもと猫を助けてくれた男の人がいるらしい』って噂になってたよ」
「俺使って――ん?――あ――」
「――」
「その反応、やっぱりエイディなんだ?」
「あー! あん時か!忘れてた! ココと子どもが木からあと少しで落ちそうだったんだ!だからつい反射的に――な? パニー」
「えー! パニーもいたの?」
「あー、ちがうの、あのね?」
「――ちがうの?」
「――はい、ごめんなさい。何にも違くないです。私もいました」
「助けてもらった子、テウシィ―の学校の友達だったんだけどさ、『ヒーローは居たんだ! 助けてもらった!』ってクラス中に自慢してたんだって。バレないように気を付けて。パニーもね」
「「――はい、気を付けます」」
「僕は怒ってないけど、じいちゃんたちに怒られちゃうからね――でも――ほんとはちょっと――ううん、すっごく羨ましいんだ。だってさ、ヒーローだよ? すっごくかっこいいんだよヒーローって! 僕、ヒーローが活躍する漫画とかアニメとか、テウシィ―にたくさん教えてもらったんだけどね? どの作品でもね、ヒーローってほんとかっこいんだ!」
「まじか!? 俺もしかして人――」

 得意げに胸を張るエイディが調子に乗り始めたタイミングでタイマーの音が響き渡った。もう冷蔵庫から生地を取り出す時間だ。せっかくニウスに褒めてもらったのにと肩を落とすエイディを横目に、パニーたちは何事もなかったかのように準備に取り掛かる。生地を麺棒で表面を滑らかに、均等に伸ばしていく。

 クッキーの型も、パッケージデザインに合わせて特別に作られたものだ。スコットリス・チャソタパス・サイデンフィルの形状を象った型もある。既製品にはもちろんなく、すべて手作業でひとつひとつ作り上げたものだ。

「ニウス、最近楽しい?」
「――うん?」
「表情がこう、柔らかくなった気がする。可愛さが急増してる」
「子ども扱いしないでってばー」

 クッキーをオーブンに滑り込ませ、タイマーをセットする。焼き時間の半分が経過したところで、天板を前後に入れ替え、生地を裏返し、再び焼き上げていく。このひと手間がとても大事なのだ。

「――楽しいよ。すっごくとっても楽しい。じいちゃんから、外界にこのままいてもいいって言われて、正直かなりほっとしたんだ――ほんとはね、ここに来たら環境が変わって、何となく力操れるようになるじゃないかなって勝手に思ってて――でもそんな上手いこといかなくて――」
「――」
「力の事はね、もちろん話してないけど。サッカーのコーチにね、練習しても上手くならないことがあるって相談してみたんだ。そしたらね。人にはそれぞれ適性があって、やりたいこととできることが必ずしも一致するとは限らないんだって。それでもやりたいなら挑戦するしかないって――世の中は世知辛い? から、理想の夢は叶わないかもしれないけど、諦めるまで可能性は消えないよって――」

 外界に出てテウシィーと出会ったことで、ニウスの視界は一気に大きく広がった。それまでさほど興味を持っていなかったサッカーにも、次第に心を惹かれるようになったのだ。もちろん、風の力を操るための訓練は欠かさず続けているが、今ではサッカーの練習にも熱心に取り組んでいる。

「だから―まだ諦めないんだ。可能性を残しつつ、僕の得意を伸ばすんだ」
「――それが、サッカー?」
「うん、僕が走ると、みんなが『かっこいい』って言ってくれるんだ。だからもっともっと頑張って、またかっこいいって言ってもらうんだ――」

 パニーとエイディは、その言葉でマクリスを思い出した。『本来なら一色に染まるはずだった彼に、俺やテウシィーのような異質な要素を加え――撹拌することで新たな色が生まれる――かもしれない』まさにその通りになった。ニウスの色は、彼らの予想を超え、驚くほど良い方向へ、きっと鮮やかで明るい色へと変化している。その喜ばしい変化に、二人は思わずニウスに勢いよく抱きついてしまった。

「わっ――パニーもエイディもどうしたの?」
「ニウスが楽しそうで!うれしくて! です!」
「俺も、すっげー嬉しい! です!」
「――そんなに?」
「そんなに、そんなに――なぁ、その素敵なコーチ紹介してくれよ! ちゃんと礼するから!」
「いいねー!お手紙書く? クッキー好きかな?持ってく?」
「やめて!――大げさだよ!恥ずかしいよ!」

 ニウスが恥ずかしそうに、でも嬉しそうに二人に抱きつかれている様子を見守りながら、ウェナとオーラはオーブンからクッキーを取り出した。

「――ウェナもオーラもありがとね!」
「いいえー! 感動の抱擁タイムは邪魔できないっしょ!」
「ねー!」

 フルーツジャムは前日までに仕込んでおいたものを使用する。余熱が冷めるのを待ち、クッキーの表面に塗り広げ、その上にクッキーを重ねていく。組み合わせを間違えないように気を付けながら、その作業をひたすら繰り返していった。

「「「「「できたー!!!」」」」」

 仕上げの作業のパッケージング。リムンと彼らの象徴である"幻贖のランプ"がデザインされている。これはテウシィーが手がけたものだ。
 当初は、蓋を開けるとオルゴールが響く、絵本が動き出すかのようなデザインのクッキー缶を構想していた。しかし、マクリスに現実的な費用面での指摘を受け、泣く泣くその案は断念することとなった。

 結局、今回はよりシンプルな小袋を採用することに。また、オーラの強い希望で、クッキーを食べる際におすすめの曲名が書かれたシールも添えることとなった。

 こうして完成したクッキーサンド。今朝、皆で飲んだ"祈捧の雫"の力も借りつつ、祈りを込めながら作り上げたものだ。


 例えば、今あなたが幸せであるなら、私たちの土が、その根を受け止め、その幸福が広がっていくように――。

 例えば、今あなたが何かに立ち向かっているなら、私たちの風が、そっと背を押し、歩みを進められるように――。

 例えば、今あなたが何かに想いを馳せているなら、私たちの雲が、その想いを形作り、空に描き出すように――。

 例えば、今あなたの心が沈んでいるなら、私たちの海が、寄り添い、救いを運んでくるように――。

 そして――この広い外界のどこかにいるはずのあなたちが、私たちの存在に気づいてくれますように――。

そう、祈ります。

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無邪気な子どもの夢を彷徨うような、心がほっと温かくなるひとときを。今だからこそ思い描ける、あなただけの優しい夢の世界を、どうぞ感じてみてください。

クッキーと紅茶のお供に
 作曲者:ロベルト・シューマン
 楽曲:子供の情景より第七曲「トロイメライ」

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