「んっ、んんっ――あー、えーでは、我々はテウシィー様のご要望に、心を尽くしてお応えいたしましょう。さあ、どの民の力を最初にお目にかけますか?」
「えっと、じいちゃんと一緒!  海の民から、お願いします!」

 その後も風の魔法使いについての議論は続いたが、テウシィーの過去から新たな情報は得られことはなく――、最終的にパニーたち自身でその痕跡を追うしかないという結論に至った。しかし、すぐに行動を起こすことは現実的ではなく、話題は徐々に日常のものへと移り変わっていった。そんな中、落ち着かない様子を見せ始めたテウシィーに気づいたパニーたち。彼はついに"幻贖の力"を見せてくれと願い出たのだった。

「さあ、ご注目ください! ここにあるのは、ただの水。ご覧の通り、何の仕掛けもございません!」

 エイディは芝居がかった声で語り、オーラは即興で軽やかな旋律を奏でる。場はたちまち和やかな雰囲気に包まれ、ウェナとニウスも絶妙なタイミングで合いの手を入れる。突如始まったこの即興のショーに、テウシィーとマクリスの視線は釘付けになった。

「この水に魔法の片鱗をお見せしましょう。決して目を逸らさず、その瞬間をしかと見届けてください――さぁ、パニー」

 パニーは右手でコップを持ち上げ、左の掌に水を垂らしていく。水滴が肌に触れた瞬間、透明な液体はたちまち凍り、滑らかな曲線を描きながら、その姿を変えていった。

「わぁぁぁぁぁ! すっっごぉぉぉ!!」
「――お気に召した?」
「もっちろん! これ、リンゴ? ねぇねぇ、触ってもいい?」

 氷のリンゴをテウシィーへ手渡すと、彼は瞳を輝かせながら、様々な角度からその細やかな造形をじっくりと眺め、何度も何度も感嘆の声を漏らした。

「――次は私やってもいい?」
「おーけー。それでは、土の民が贈るショーに移りましょうか!」

 ウェナはすぐに隣のマクリスに顔を寄せ、耳元で何かを囁く。彼はその言葉に微笑を浮かべ、軽く頷いた。

「――どうぞ、お手を」
「ええ、喜んで」

 片膝をついたウェナが手を差し出すと、マクリスもふざけた調子で声色を変え、その手を重ねる。立ち上がったウェナは、そのまま彼を軽々と抱き上げた。

「重くはない、かしら? 大丈夫?」
「――羽のように軽いよ、ハニー」
「父さん、その声やめてよ――」
「――まぁ、どうして、ですの?」

 ふざけた調子を崩さないマクリスに、テウシィーは腹を抱えて笑い転げる。ウェナはその反応を満足げに、彼をお姫様抱っこしたまま一回転させた。

「すっごい!かっこいぃぃ! 土の民って皆そんなに力が強いの?」
「っそ、土の民はね、身体能力が全体的に優れているの。筋力も、五感もね。研ぎ澄まされているってわけ! どうよ?」
「すっごいや! ほんとにかっこよすぎる!」
「素直な褒め言葉、ありがとー!」
「――なぁ、テウシィー」

 次はエイディがいたずらっぽく笑みを浮かべながら、テウシィーに何かを耳打ちすると、途端に彼は目を輝かせ、楽しげに大きく頷いた。

「おおおー!父ちゃん! 見て!すっげー!」

 驚くほど軽々とテウシィーごとソファを持ち上げたエイディ。その圧倒的な力に、テウシィーはさらに興奮し、歓声が部屋中に届ける。

「――私だって!」

 ウェナは挑発的な笑みを浮かべ、パニーとオーラが座る大きなソファを軽々と持ち上げた。パニーとオーラは驚くどころか、慣れた様子で笑みを浮かべたまま、楽しげに会話を続けている。

 目の前で繰り広げられる奇妙な光景を眺めつつ、マクリスは手にした自家製の果実酒を口に運んだ。

「――テウシィー、最後は私よ。頭上にご注目あれ」

 オーラがテウシィーの前に立ち手を掲げると、柔らかな霧が立ち昇り、空中で次第に形を成し始めた。やがてそれは小さな雲となり、テウシィーの頭上で王冠へと姿を変えた。

「――どう? 雲の冠。これが、私の力」
「おぉぉぉぉ!僕、雲に触るの初めて! オーラは雲の民なの?」
「空の民だよ――雲使いの一族なの」
「かっこいいなぁ! 僕も力があったらいいのに。羨ましい!」
「じゃぁ、最後は――ニウスだね!」
「僕――まだ力を使えないんだ」
「そうなんだ?どんな力なの? いつ使えるようになるの?」

 テウシィーの期待を込めた眼差しに、ニウスは少し気まずそうに目を逸らし、肩を落としながら控えめな笑みを浮かべた。

「僕もオーラと同じく空の民で――風使いの一族なんだ。でも僕は、まだその才能がないみたいで――ごめんね、期待に応えられなくて」
「風使いかー!それもかっこいいなぁ! わかった、じゃぁ、使えるようになったら、見せてね!楽しみだなぁ!」



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「――ねぇ、ニウス。僕ね、サッカーやってるんだ! 一緒にやろうよ!」

 夕食が終わり、各自が明日の準備に取り掛かる中、皆は自然と散り散りに動き始めた。ニウスは机に向かい、手紙を書こうと紙を広げたものの、ペンを握る手は止まったまま。言葉が浮かばず、どう書き始めればよいか迷っていた。その時、向かいで宿題をしていたテウシィーが、突然顔を上げ、目を輝かせて声をかけてきた。

「――さっきも言ったけど、僕、風使えないんだよ? だから、サッカーも上手くできないよ」
「え? サッカーだよ?」
「???」

 二人は顔を見合わせ、困惑しながら同時に首をかしげた。

「ニウス、サッカーだよ?」
「うん、だから、サッカーでしょ? 僕苦手なんだってば――」

 そうして愚痴混じりにニウスが語り始めた"サッカー"は、テウシィーの知るそれとは完全に異質な競技だった。土の民は身体能力を駆使してボールを運び、空の民は風を操り相手の動きを封じる。軌道を狂わせさらに霧で視界を奪い、混乱を生じさせる。そして、海の民はボールが近づくたびに氷を張り巡らせ、進路を遮り得点を阻止するという。

「――な、にそれ?」
「サッカーでしょ? あれ、でもそうかこっちだと――」
「いやいやいやいや。全然違う! まったくサッカーじゃない!なんだそれ!」

 幼少期からサッカーに没頭してきたテウシィーにとって、ニウスの話は彼の常識を遥かに超えた奇抜な代物だった。横でそのやり取りを聞いていたマクリスも、あまりの突拍子のなさに呆れた表情を浮かべ、テウシィーと視線を交わした。

「――ニウス、僕が本物のサッカーってやつを教えてあげる!」

 そう言い放つと、テウシィーは勢いよくニウスの手を引き、リビングを後にした。ニウスは戸惑いながらも、その勢いに抗うことなく、後を追った。



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「ねぇ、二人とも。少し聞きたいんだけどね――ニウスは本当に幻贖の力を使えないのかい? 全く?少しも?」

 残されたマクリスは、ニウスが書こうとしていた手紙に一瞥をくれ、入れ違いで戻ってきたパニーとエイディに問いかけた。

「先生、つまり――誰かが指導してくれてるんだよね?」
「ニウスの家族や他の風使いの一族と練習してました――前までは、ですけど」
「――今は?」
「今は――エル、ニウスのお兄さんの前でしか、その、ニウスが練習したがらなくなって」
「あいつ、自分だけが力を扱えないことを――かなり意識しているから」

 二人の説明に耳を傾けたマクリスは、顎に手を添えて一度頷き、さらに考え込むように問いを重ねた。

「なるほど――ちなみに力が使えない者は、他にも?」
「今は――ニウスだけです。一か月ほど前に、一番年下の子が――といっても、海の民ですけど――力を使えるようになりました」
「そうか――親父から聞いた話だけど、確か海の民の力の発現は七歳くらいだったんじゃなかったかな? 風使いの一族はもっと遅いのかな?」

 二人は視線を交わしたが、答えに詰まり、沈黙が場を包んだ。二人の困惑を目の当たりにしたマクリスも、黙り込み、顎髭をゆっくりと撫でながら思案に耽った。

「風使いの力は、年齢にはあまり左右されないんです――でも、エルが力を使えるようになったのは昨年のことだから、そろそろニウスにも兆しが見えてもいい頃かと、思うのですけど――」
「それは推測? それとも、何か根拠が?」
「根拠は――ないです」
「周囲ができることを、自分一人ができないとなれば、相当に居心地が悪かったろうね――ニウスは何歳? テウシィーと同じくらいかな?」
「十一歳です」
「テウシィーより一つ上か――お前たち、もっとあいつを見てやった方がいいよ」

 マクリスがそう言葉を続けると、エイディは眉をひそめ、不安そうな表情を浮かべていた。

「――どういう意味、ですか?」
「そうだね~」

 その問いに応じて、マクリスは自分の手元のグラスと、先ほどまでニウスとテウシィーが使っていた空のグラスを二人の前に並べた。

「例えば、ね?――この空のグラスを、俺やお前たち自身に見立ててみる。理解できないって顔はするなよ~。人間っていうのはね、親や環境、経験といった外的要因を通じて蓄えられた知識によって、徐々に自己を形成していく、でしょ?」

 そう言いながら、マクリスは一つのグラスにゆっくりとザクロ酒を注ぎ始めた。赤い液体が満ちていく様子を見つめつつ、話を続ける。

「成長とともに、こうやって少~しずつ中身が満たされていくわけだ――で、この満杯のグラスは俺ね。中身はすでに満杯。こうなると、自己はほ~ぼ完成しちゃってるから、変わりようがないってわけ。たま~に新しい刺激を受け入れても――残念なことに、こぼれ落ちるのはたいてい表層の部分だけなのよ」

 マクリスがグラスを軽く揺らすと、赤い液体がポタリと一滴こぼれ落ちた。

「ほら見える? この底に沈んでいる澱――これは、幼少期に蓄積されたものの名残。一度固まってしまうと、実に厄介なことに重く沈み込んだまま、消え去ることはまずないのよ。それでも取り除こうとするなら――倒すか、割るか、すべて打ち砕くほどの衝撃が必要、ね? わかる?」

 マクリスは、別のグラスにパッションフルーツ酒を注ぎながら、さらに続けた。

「こっちは、パニーやエイディ、ね。まだ若干の空間は残っているけど、まぁ形成期は終わりに向かってる」

 そう言って、彼は手元に空のグラスを引き寄せた。

「そして――これがニウス」

 マクリスは『ニウス』と名付けた空のグラスに、レモネードを半分ほど注いだ。

「パニー、エイディ、ニウス――三者三様に異なる存在。でもね? 狭い環境で育てば、思考や価値観は自然と似通ってくるものだろ? 幻贖の民として、幻贖の力を操り、幻贖の生き物と共生することが、お前たちの世界で、それが自己を形作っている――だが、ニウスのコップにはまだ余裕がある」

 そう語りながら、マクリスはニウスのコップに少量のザクロ酒を注ぎ、ゆっくりとかき混ぜた。

「ニウスは未知の領域に――つまり、ここ外界ね? 足を踏み入れた。本来なら一色に染まるはずだった彼に、俺やテウシィーのような異質な要素を加え――撹拌することで新たな色が生まれる――かもしれない」

 赤と黄色の液体が混じり合い、新たな色が浮かび上がる。

「つまり――」

 エイディが何かを言いかけたが、マクリスは軽く手を上げて制し、続けた。

「まぁ、力について詳しいわけじゃない俺が言うのもどうかと思うけどね――あの時のあいつの目、見ただろう?  明らかに淀んでた。前からああだったんじゃない?  心当たりくらいはあるだろう?――やっぱりね。危ういよ、かなり。土台が揺らいでる。俺なら、見過ごせない――そう思ったんだよね」

 マクリスが言う"あの時"とは、幻贖の力に触れた瞬間にニウスが見せたものだろう。二人は、力の話題が出るたびに曇るニウスの顔を思い浮かべていた。

「もし、今後もあいつが力を発現できない可能性があるなら、ここに留めておくべきだと思うのよ。家族が心配するのは当然だけどね――今のまま故郷に戻れば、一瞬で瓦解する。ここで、力に依存しない自己の在り方を築かせるほうが、賢明かつ建設的な選択だ、と、俺は思うわけ」

 マクリスはテーブルにこぼれたザクロ酒を指先でなぞり、深いため息を漏らした。

「たとえその可能性が微々たるもの、だとしても。手遅れになる前にね――俺も手紙を書くよ――ニウスがここに留まることを歓迎するってね」

 酔いが回ってきたのか、マクリスの顔は赤みを帯び、目は霞んでぼんやりとしていた。二人を映し出すことがなくなった彼の瞳、虚空を彷徨っていた。

「なんだか説教っぽく、なっちゃったね~、俺も歳をとったな――こぼしちまった――あぁ~酒がもったいない――あぁ、そうだ、お前たち、力を、使う時、目の色が、変わるんだな――親父と、同じだ――」

 それが最後の言葉となり、マクリスは力尽きたようにテーブルへ突っ伏した。その衝撃でグラスが倒れ、濃いザクロ酒が彼の腕を伝い、ぽつり、ぽつりと床へ滴り落ちていった。