「――おはよー」
「おはよー、ウェナ。海の上での二度寝はどうだった?」
「ふぁぁ――これって、二度寝ー? 気持ちよかったよ――パニーはずっと起きてた?」
「うん、私まで寝たら、――ね?」
「――ほんとだ、二人も寝てる」
航海を開始してから三時間ほどが経過した海上で、ウェナが最初に微睡みから覚醒した。彼女は、まだ夢路を彷徨っているエイディとオーラを横目に、パニーと視線を交わした。
「――皆、ぐっすりだったから、一人寂しく船番してた」
「えー!ごめんねー? 私も寝たこと気付かなかったよー!びっくりだね!――何してたの?」
ウェナはその言葉を受け、わずかに肩をすくめて、パニーの隣に座り直した。
「海って広いんだなーって思って見てた」
「――今更じゃない? パニーは毎日海の中じゃん」
「そうだけど――そうでもないんだよー」
「なにそれー? 全然わかんない――どういうこと?」
ウェナは首を傾げ、疑問の色を浮かべた表情をパニーに向けた。海の民として、海はパニーにとって日常であり、その無限の広がりを当然のように認識していた。それにも関わらず、今この瞬間、船上に身を置き、進めども進めども果ての見えない海に囲まれていると、パニーの胸中にはいつもとは異なる感覚が湧き上がっていた。結局、言葉を探す間もなく、ウェナによって話題は次へと移っていった。
「パニーも寝る? 私起きてるよ?」
「うーん、ウェナはちゃんと目覚めた? また寝ない? もし船番できそうなら――私、サリーたちと一緒に泳いで行こうかなーって」
「いいね!いいよ! 私、船番してる!」
「――じゃぁ、よろしくね!ありがと。なんかあったら声かけて? 声が届く範囲くらいには居るようにするから。セルーノにはこのまま案内頼んでおくね」
「はーい! 大丈夫!心配しないで!」
パニーは甲板の縁にそっと足を掛け、そのまま海中へと身を投じた。彼女のしなやかな髪が、花が咲くように広がる。無数の泡が彼女の周囲に漂い、玉響のように浮遊していた。
「サリー! お待たせ!」
パニーが泳ぎ寄り、そっと触れると、サリーは満足げにその巨躯をゆるやかに揺らした。
「セルーノ、船のこと任せてもいい?――うん、ありがとう。サリーとお散歩してくるね!――うん、大丈夫、ちゃんと近くにはいるから」
パニーは再び身体を翻し、セルーノの方へ泳ぎ寄る。軽く触れるようにして、寄り道してくる旨を告げると、セルーノは目を細め、彼女を見守るように応えた。
「じゃぁ、行ってくるね!――行こう、サリー」
彼女は力強く水を蹴り出し、サリーと共に滑るように前進した。パニーがくるくると旋回しながら進み、色鮮やかな珊瑚の隙間を巧みにくぐり抜けると、サリーもその動きを模倣しながら後に続いた。
海藻の森を抜けると、色とりどりの魚たちが二人の周囲に集まり、取り囲むように泳ぎ回り始めた。パニーが両手を広げ、くるくると回転すると、サリーもゆっくりと模倣する。二人の動きによって渦が生まれ、その勢いに驚いた魚たちは一斉に四散していった。
「あー行っちゃった。みんなごめーん!――よーしっ、気を取り直して、サリーこっち!」
パニーは方向を変え、加速しながら滑るように前進した。楽しげに後ろを振り返り、挑発するように速度をさらに上げた。
「――ついてきてね!」
その言葉に、サリーも負けじと速度を増しパニーに迫った。二人はしばらく海中で追いかけっこを繰り広げた。
「――あれ?ねぇ、サリーあそこ、なんだろ? あれは――船?」
サリーと共に泳いでいると、ふと視線の先に異質なものが目に入った。海底に沈む巨大な影が、ぼんやりと浮かび上がってきた。それは、どうやら船の残骸のようだった。長年にわたる海水の侵蝕によって腐食した船体は、至るところに大きな穴を穿たれている。
「――ちょっと見てきていい? ここで、待ってて?」
パニーはサリーの側を離れ、残骸の周囲を泳ぎ回る。脆くなった箇所に触れると、崩れ落ちそうになる部分もあり、注意を払いつつ内部を覗き込んだ。破れた窓から差し込む微光が、薄暗い船内をわずかに照らしていた。身を滑り込ませ、パニーはさらに奥へと進み、無造作に散乱する古びた家具や道具がひしめく船室を抜けていく。そこに横たわる錆びついた金具や朽ち果てた木材は、軽く触れるだけで崩れ落ちそうなほど劣化し、足元に転がっていた。
「――これ、なんだろ?」
その時、パニーは船室の片隅で、何かが半ば埋もれているのを見つけた。それは、海藻や貝殻が幾重にも張り付いた古びた箱であった。パニーはその箱を慎重に手に取り、ゆっくりと蓋を開けた。すると、閉じ込められていた内部の空気が細かな泡となって浮かび上がり、その代わりに海水が箱の中へと侵入していった。
「うわっ――」
中には、繊維がほとんど崩れかけた紙片と、手帳らしきものが収められていた。紙片は辛うじて形を保っていたが、その色は著しく褪せ、文字や線はぼんやりとした影のように滲んでいた。それはどうやら地図のようだったが、詳細を読み取ることはできず、手帳もまた、長きにわたり海水に浸され、文字はほとんど判別がつかないほどに溶解していた。
ふと、手帳の間から一枚の写真が覗いているのが目に留まった。
「――これ、家族の写真――皆で旅行だったの、かな」
その写真もまた、随分と色褪せ、縁はほろほろと崩れかけていたが、両親らしき大人二人と、子どもが二人写っていた。大人たちは肩を寄せ合い、子どもたちも楽しげに笑みを湛えている。この家族は果たして無事に難を逃れたのだろうか。通り道にもこの部屋にも、遺骸らしきものは一切見当たらない。パニーはしばしの間、その写真に視線を留めていた。
「ごめん! サリー今行く!」
サリーが戻るよう促してきたので、パニーは手にしていた写真と日誌を、一瞬の逡巡の後にポシェットに収め、サリーの方へと泳ぎ始めた。
「ごめんごめん、お待たせ!――あの船ね、もしかしたら家族旅行中の船だったのかも。写真見つけたんだ――」
彼女は最後にもう一度振り返り、写真に写る家族の無事を密かに祈念した。
「ん?どしたの?――なんだろ? あれ――」
それからしばらく後のこと、今度は岩陰で何かが水面でちらちらと反射し、パニーの視界に差し込んできた。その光の正体を探るべくその方向へと接近していく。
「これって、もしかして――」
岩の狭間には、ひっそりと佇む貝殻が見て取れた。それは海の流れに抗うかのように揺蕩っていた。
「――やっぱり!!」
パニーが貝を開くと、乳白色の光を帯びた一粒の真珠が鎮座していた。異物が貝の内部に侵入し、時を経て真珠へと昇華すると聞いたことがあるが、それがこれほどまでに美しいとは、まさに海の神秘である。
「ねぇ、サリー。これって、確か外界で換金できるよね?――そうだよね? ちょっとだけ、貰って行こうかなー」
パニーはサリーに語りかけながら、真珠を腰に取り付けたポシェットにそっと収めた。
「――ねぇ、見て!こっちにも!――あ!あそこにもある!」
貝殻は彼女を誘うかの如く、次々とその姿を顕現させた。桃色、漆黒、黄金、藍色、碧緑――それぞれが異なる色彩を帯びた真珠を手にすることができた。
「見つけてくれて、ありがとう!――もしもの時に大事に使わせてもらうね」
パニーが感謝の言葉を紡ぐと、サリーの瞳はどこか寂しげに揺らめいた。迫りくる別離の刻を予感しつつも、サリーは今この瞬間だけ、パニーと共に歩むべき道を進んでいた。
---
時は少し遡り、パニーが海中遊泳へと繰り出して間もなく、エイディとオーラが目を覚まし、三人は今後の計画について思案を巡らせていた。
「そもそもの話、マクリス、了承してくれるかな?」
「どんなカフェかーとか、どんな商品があってーとか、あんまよくわかってないもんねー」
「そこだよなー、パッケージ商品なかったらどうするよ?」
事前に話し合いを重ねた結果、マクリスのカフェにパッケージ商品があるならば、その商品に幻贖の民の証である"幻贖のランプ"をデザインして販売するという案が浮上していた。今のところ、カフェの規模すら把握できていないが、もしその商品が広く流通し、外界のどこかにいるかもしれない両親の目に留まれば、その流通元を辿って彼らの元に辿り着く糸口となるかもしれない。たとえそれが叶わぬとしても、何かしらの痕跡を辿る契機となる可能性に、彼らは淡い希望を託していた。
マクリスがその提案を受け入れてくれるかどうかも不確かであるが、それでも、希望を胸に抱きながら計画を練り、可能な限りの準備を進めていくことが、今の彼らにとって唯一の道筋であった。
「考えが浅はかかなー、でもなー、俺ら結構案だし頑張ったよな? これ以上思いつかねー」
「これが一番、両親を探すにも、他の幻贖の民を探すにも、良策だと思うよ」
「ねー! 大っぴらに探すわけにもいかないし、知ってる人にだけわかる情報散りばめておくしかないよねー」
「とりあえずね、やってみないと始まらないし! だめだったら、また考え直そ!」
新たに示唆された、自分たち以外にも幻贖の民の生き残りが存在する可能性。それに対しても、同様に邂逅をもたらす契機となり得るのではないかという期待も加わった。
「"トショカン"ってやつにも行かないとだよね。本が沢山あって、情報の海なんでしょ? 十年前に何があったか調べなくちゃ」
「"トショカン"、マクリスの家から近いかな? 遠かったらどうする? そこらへんも、ちゃんと聞かないとだよね」
「行き方もだけどさー、調べ方もだよな。"シンブン"ってやつで調べるのがいいって、じいちゃんたち言ってたけど、すぐ見つかるか?――なぁ、ちょっと待って。静かに」
「――え? エイディ、どうしたの?」
「今――何か聞こえなかったか?」
「待って、私も今聞こえた! え?何の音だろ?」
「うそっ、ウェナも? なにそれ怖いんだけど」
微かな物音に、三人は一瞬動きを止め、耳を澄ました。
「――ほら!今の音!」
「――ほんとだ!」
「うわっ、ほんとだ。え、待って、本当に何?」
何かが微かに動く音が、幾度か小さく響いた。音の出所を探るべく、三人は息を殺し、耳を澄ませる。もしかすると、荷物に紛れてチャソタパスやサイデンフィルが潜んでいるのかもしれない。そんな不安が頭を過ぎる中、彼らは音の発生源へと静かに忍び寄った。
「っ!!」
「どうしたの!? 何かいた?」
積み荷をずらした瞬間、何かが微かに動き、エイディは驚愕のあまり息を呑んだ。思わず身を引いたものの、よく見ると、それは積み荷の隙間にひそかに紛れ込んでいたリリーだった。怪我もなく、ただ眠っているだけだと察し、エイディは安堵の息を漏らした。
「――ねぇ、どうだった? グウィもしかして乗り込んでた?」
「――違った、ほら」
「え?! リリー!?」
「うそっ!? いつから?!」
ウェナとオーラもリリーの姿を確認し、目を丸くした。リリーは、安らかに眠りこけている。いつ紛れ込んだのかもわからないが、目覚めた時に自らが海上にいると知ったら、一体どんな反応を示すだろうか。エイディがそっと手を伸ばし、小さな頭を軽く撫でると、リリーは反応しつつも、再び穏やかな眠りに戻った。
「――は?――え?」
「なになに?!」
「今度はどうしたの?!」
エイディがリリーが眠る箱ごとそっと抱き上げ、ウェナに手渡すと、その拍子に、ずれた積み荷の隙間から、今度は何故か脚が露わになった。エイディは再び息を呑み、慌ててその脚の先を辿っていくと――。
「「「えぇぇぇぇ(はぁぁぁぁぁ)!! ニウスゥゥゥゥゥ??」」」
ウェナとオーラもそっと近づき、眠る人影を確認すると、その正体に驚愕し、今度こそ堪えきれずに三人で大声を上げてしまった。
エイディが慌てて肩を掴み揺さぶると、ニウスはびくっと身を震わせ、やがてゆっくりと目を開き、ぼんやりとした表情で周囲を見渡した。目をこすりつつ、次第に意識を取り戻したニウスは、目の前に立つ三人をぽかんとした表情のまま見上げた。
エイディ、ウェナ、オーラは互いに顔を見合わせ、予期せぬ再会に言葉を失ってしまった。
「おはよー、ウェナ。海の上での二度寝はどうだった?」
「ふぁぁ――これって、二度寝ー? 気持ちよかったよ――パニーはずっと起きてた?」
「うん、私まで寝たら、――ね?」
「――ほんとだ、二人も寝てる」
航海を開始してから三時間ほどが経過した海上で、ウェナが最初に微睡みから覚醒した。彼女は、まだ夢路を彷徨っているエイディとオーラを横目に、パニーと視線を交わした。
「――皆、ぐっすりだったから、一人寂しく船番してた」
「えー!ごめんねー? 私も寝たこと気付かなかったよー!びっくりだね!――何してたの?」
ウェナはその言葉を受け、わずかに肩をすくめて、パニーの隣に座り直した。
「海って広いんだなーって思って見てた」
「――今更じゃない? パニーは毎日海の中じゃん」
「そうだけど――そうでもないんだよー」
「なにそれー? 全然わかんない――どういうこと?」
ウェナは首を傾げ、疑問の色を浮かべた表情をパニーに向けた。海の民として、海はパニーにとって日常であり、その無限の広がりを当然のように認識していた。それにも関わらず、今この瞬間、船上に身を置き、進めども進めども果ての見えない海に囲まれていると、パニーの胸中にはいつもとは異なる感覚が湧き上がっていた。結局、言葉を探す間もなく、ウェナによって話題は次へと移っていった。
「パニーも寝る? 私起きてるよ?」
「うーん、ウェナはちゃんと目覚めた? また寝ない? もし船番できそうなら――私、サリーたちと一緒に泳いで行こうかなーって」
「いいね!いいよ! 私、船番してる!」
「――じゃぁ、よろしくね!ありがと。なんかあったら声かけて? 声が届く範囲くらいには居るようにするから。セルーノにはこのまま案内頼んでおくね」
「はーい! 大丈夫!心配しないで!」
パニーは甲板の縁にそっと足を掛け、そのまま海中へと身を投じた。彼女のしなやかな髪が、花が咲くように広がる。無数の泡が彼女の周囲に漂い、玉響のように浮遊していた。
「サリー! お待たせ!」
パニーが泳ぎ寄り、そっと触れると、サリーは満足げにその巨躯をゆるやかに揺らした。
「セルーノ、船のこと任せてもいい?――うん、ありがとう。サリーとお散歩してくるね!――うん、大丈夫、ちゃんと近くにはいるから」
パニーは再び身体を翻し、セルーノの方へ泳ぎ寄る。軽く触れるようにして、寄り道してくる旨を告げると、セルーノは目を細め、彼女を見守るように応えた。
「じゃぁ、行ってくるね!――行こう、サリー」
彼女は力強く水を蹴り出し、サリーと共に滑るように前進した。パニーがくるくると旋回しながら進み、色鮮やかな珊瑚の隙間を巧みにくぐり抜けると、サリーもその動きを模倣しながら後に続いた。
海藻の森を抜けると、色とりどりの魚たちが二人の周囲に集まり、取り囲むように泳ぎ回り始めた。パニーが両手を広げ、くるくると回転すると、サリーもゆっくりと模倣する。二人の動きによって渦が生まれ、その勢いに驚いた魚たちは一斉に四散していった。
「あー行っちゃった。みんなごめーん!――よーしっ、気を取り直して、サリーこっち!」
パニーは方向を変え、加速しながら滑るように前進した。楽しげに後ろを振り返り、挑発するように速度をさらに上げた。
「――ついてきてね!」
その言葉に、サリーも負けじと速度を増しパニーに迫った。二人はしばらく海中で追いかけっこを繰り広げた。
「――あれ?ねぇ、サリーあそこ、なんだろ? あれは――船?」
サリーと共に泳いでいると、ふと視線の先に異質なものが目に入った。海底に沈む巨大な影が、ぼんやりと浮かび上がってきた。それは、どうやら船の残骸のようだった。長年にわたる海水の侵蝕によって腐食した船体は、至るところに大きな穴を穿たれている。
「――ちょっと見てきていい? ここで、待ってて?」
パニーはサリーの側を離れ、残骸の周囲を泳ぎ回る。脆くなった箇所に触れると、崩れ落ちそうになる部分もあり、注意を払いつつ内部を覗き込んだ。破れた窓から差し込む微光が、薄暗い船内をわずかに照らしていた。身を滑り込ませ、パニーはさらに奥へと進み、無造作に散乱する古びた家具や道具がひしめく船室を抜けていく。そこに横たわる錆びついた金具や朽ち果てた木材は、軽く触れるだけで崩れ落ちそうなほど劣化し、足元に転がっていた。
「――これ、なんだろ?」
その時、パニーは船室の片隅で、何かが半ば埋もれているのを見つけた。それは、海藻や貝殻が幾重にも張り付いた古びた箱であった。パニーはその箱を慎重に手に取り、ゆっくりと蓋を開けた。すると、閉じ込められていた内部の空気が細かな泡となって浮かび上がり、その代わりに海水が箱の中へと侵入していった。
「うわっ――」
中には、繊維がほとんど崩れかけた紙片と、手帳らしきものが収められていた。紙片は辛うじて形を保っていたが、その色は著しく褪せ、文字や線はぼんやりとした影のように滲んでいた。それはどうやら地図のようだったが、詳細を読み取ることはできず、手帳もまた、長きにわたり海水に浸され、文字はほとんど判別がつかないほどに溶解していた。
ふと、手帳の間から一枚の写真が覗いているのが目に留まった。
「――これ、家族の写真――皆で旅行だったの、かな」
その写真もまた、随分と色褪せ、縁はほろほろと崩れかけていたが、両親らしき大人二人と、子どもが二人写っていた。大人たちは肩を寄せ合い、子どもたちも楽しげに笑みを湛えている。この家族は果たして無事に難を逃れたのだろうか。通り道にもこの部屋にも、遺骸らしきものは一切見当たらない。パニーはしばしの間、その写真に視線を留めていた。
「ごめん! サリー今行く!」
サリーが戻るよう促してきたので、パニーは手にしていた写真と日誌を、一瞬の逡巡の後にポシェットに収め、サリーの方へと泳ぎ始めた。
「ごめんごめん、お待たせ!――あの船ね、もしかしたら家族旅行中の船だったのかも。写真見つけたんだ――」
彼女は最後にもう一度振り返り、写真に写る家族の無事を密かに祈念した。
「ん?どしたの?――なんだろ? あれ――」
それからしばらく後のこと、今度は岩陰で何かが水面でちらちらと反射し、パニーの視界に差し込んできた。その光の正体を探るべくその方向へと接近していく。
「これって、もしかして――」
岩の狭間には、ひっそりと佇む貝殻が見て取れた。それは海の流れに抗うかのように揺蕩っていた。
「――やっぱり!!」
パニーが貝を開くと、乳白色の光を帯びた一粒の真珠が鎮座していた。異物が貝の内部に侵入し、時を経て真珠へと昇華すると聞いたことがあるが、それがこれほどまでに美しいとは、まさに海の神秘である。
「ねぇ、サリー。これって、確か外界で換金できるよね?――そうだよね? ちょっとだけ、貰って行こうかなー」
パニーはサリーに語りかけながら、真珠を腰に取り付けたポシェットにそっと収めた。
「――ねぇ、見て!こっちにも!――あ!あそこにもある!」
貝殻は彼女を誘うかの如く、次々とその姿を顕現させた。桃色、漆黒、黄金、藍色、碧緑――それぞれが異なる色彩を帯びた真珠を手にすることができた。
「見つけてくれて、ありがとう!――もしもの時に大事に使わせてもらうね」
パニーが感謝の言葉を紡ぐと、サリーの瞳はどこか寂しげに揺らめいた。迫りくる別離の刻を予感しつつも、サリーは今この瞬間だけ、パニーと共に歩むべき道を進んでいた。
---
時は少し遡り、パニーが海中遊泳へと繰り出して間もなく、エイディとオーラが目を覚まし、三人は今後の計画について思案を巡らせていた。
「そもそもの話、マクリス、了承してくれるかな?」
「どんなカフェかーとか、どんな商品があってーとか、あんまよくわかってないもんねー」
「そこだよなー、パッケージ商品なかったらどうするよ?」
事前に話し合いを重ねた結果、マクリスのカフェにパッケージ商品があるならば、その商品に幻贖の民の証である"幻贖のランプ"をデザインして販売するという案が浮上していた。今のところ、カフェの規模すら把握できていないが、もしその商品が広く流通し、外界のどこかにいるかもしれない両親の目に留まれば、その流通元を辿って彼らの元に辿り着く糸口となるかもしれない。たとえそれが叶わぬとしても、何かしらの痕跡を辿る契機となる可能性に、彼らは淡い希望を託していた。
マクリスがその提案を受け入れてくれるかどうかも不確かであるが、それでも、希望を胸に抱きながら計画を練り、可能な限りの準備を進めていくことが、今の彼らにとって唯一の道筋であった。
「考えが浅はかかなー、でもなー、俺ら結構案だし頑張ったよな? これ以上思いつかねー」
「これが一番、両親を探すにも、他の幻贖の民を探すにも、良策だと思うよ」
「ねー! 大っぴらに探すわけにもいかないし、知ってる人にだけわかる情報散りばめておくしかないよねー」
「とりあえずね、やってみないと始まらないし! だめだったら、また考え直そ!」
新たに示唆された、自分たち以外にも幻贖の民の生き残りが存在する可能性。それに対しても、同様に邂逅をもたらす契機となり得るのではないかという期待も加わった。
「"トショカン"ってやつにも行かないとだよね。本が沢山あって、情報の海なんでしょ? 十年前に何があったか調べなくちゃ」
「"トショカン"、マクリスの家から近いかな? 遠かったらどうする? そこらへんも、ちゃんと聞かないとだよね」
「行き方もだけどさー、調べ方もだよな。"シンブン"ってやつで調べるのがいいって、じいちゃんたち言ってたけど、すぐ見つかるか?――なぁ、ちょっと待って。静かに」
「――え? エイディ、どうしたの?」
「今――何か聞こえなかったか?」
「待って、私も今聞こえた! え?何の音だろ?」
「うそっ、ウェナも? なにそれ怖いんだけど」
微かな物音に、三人は一瞬動きを止め、耳を澄ました。
「――ほら!今の音!」
「――ほんとだ!」
「うわっ、ほんとだ。え、待って、本当に何?」
何かが微かに動く音が、幾度か小さく響いた。音の出所を探るべく、三人は息を殺し、耳を澄ませる。もしかすると、荷物に紛れてチャソタパスやサイデンフィルが潜んでいるのかもしれない。そんな不安が頭を過ぎる中、彼らは音の発生源へと静かに忍び寄った。
「っ!!」
「どうしたの!? 何かいた?」
積み荷をずらした瞬間、何かが微かに動き、エイディは驚愕のあまり息を呑んだ。思わず身を引いたものの、よく見ると、それは積み荷の隙間にひそかに紛れ込んでいたリリーだった。怪我もなく、ただ眠っているだけだと察し、エイディは安堵の息を漏らした。
「――ねぇ、どうだった? グウィもしかして乗り込んでた?」
「――違った、ほら」
「え?! リリー!?」
「うそっ!? いつから?!」
ウェナとオーラもリリーの姿を確認し、目を丸くした。リリーは、安らかに眠りこけている。いつ紛れ込んだのかもわからないが、目覚めた時に自らが海上にいると知ったら、一体どんな反応を示すだろうか。エイディがそっと手を伸ばし、小さな頭を軽く撫でると、リリーは反応しつつも、再び穏やかな眠りに戻った。
「――は?――え?」
「なになに?!」
「今度はどうしたの?!」
エイディがリリーが眠る箱ごとそっと抱き上げ、ウェナに手渡すと、その拍子に、ずれた積み荷の隙間から、今度は何故か脚が露わになった。エイディは再び息を呑み、慌ててその脚の先を辿っていくと――。
「「「えぇぇぇぇ(はぁぁぁぁぁ)!! ニウスゥゥゥゥゥ??」」」
ウェナとオーラもそっと近づき、眠る人影を確認すると、その正体に驚愕し、今度こそ堪えきれずに三人で大声を上げてしまった。
エイディが慌てて肩を掴み揺さぶると、ニウスはびくっと身を震わせ、やがてゆっくりと目を開き、ぼんやりとした表情で周囲を見渡した。目をこすりつつ、次第に意識を取り戻したニウスは、目の前に立つ三人をぽかんとした表情のまま見上げた。
エイディ、ウェナ、オーラは互いに顔を見合わせ、予期せぬ再会に言葉を失ってしまった。