一部の宴が幕を閉じ、夕陽が西に傾き始める頃、皆は海岸沿いに集っていた。和らかな潮風が吹き抜け、海の薫風が一層濃厚に漂う。
そんな中、パニーとロロはペオの手を取り、中央へと導いていた。彼は少し緊張した面持ちで、二人に連れられて足を進めた。視線の先には母が立っており、その視線に応えるようにペオも母を見つめる。
ついに、その時が訪れようとしていた。
「――みんな、準備はいいかしら?」
「うん!私は、準備万端。いつでもいいよ」
「私も!」
「私も、大丈夫」
「ぼくも!」
「私もだよ」
「――みんな、行くわよ」
海の民たちは、次々と水の中へと滑り込んでいった。アイガが水面を切り開くと、後に続く者たちも波紋に誘われるように、海へと身を投じていった。
「――ロロ、もう少し右に寄ってちょうだい」
「わかった、えーっと、このくらい?」
「ええ、いいわ――パニーは少し後ろに下がって。ええ、そのくらい。ちょうどいいわ――ええ。いきましょう」
海の民たちは円陣を組み、アイガの合図で両手を広げた。海面は次第に凍り付き、手から放たれる力が結集し、大きな円形の氷が海面に出現した。
「――えぇ、強度も問題なさそうね――完成よ。みんな、いいわ!」
完成した氷のサークルの上を、ペオに続いて風の民と土の民が、次々と歩を進め始める。
「私たちは、先に行ってるよ」
「うん! お願いね!」
「――ペオも、準備はいい? 大丈夫?――緊張してる?」
「うん、ちょっとだけ――でも、うん。大丈夫!」
「そう?――待ってもいいのよ? まだ時間はあるし」
「大丈夫だってば! もう平気!――じゃぁ、みんな!行ってくるね!またあと――」
「――ちょーっと、待って」
「――うわっ!」
ペオがそう言って深く息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込もうとした瞬間、ケイが彼を呼び止めた。ペオはバランスを失い、口を開けたまま振り返った。一瞬の戸惑いを見せながらも、視線を合わせるために顔を上げると、ケイは口角を上げて、嬉々とした表情を浮かべていた。
「な、なんだよー。びっくりしたじゃんかー」
「いや、なぁ。せっかくだしさ――意気込み、残してってよ。どうせ僕たちはここで待つしかないんだしさ。――な?ペオ、いいだろ?」
「――お!それいいな! 今日という日が、皆の心に留まるようにさ。かわいい、かわいいペオの、だいっじな瞬間に俺たち立ち会えないなんて、すっごくかわいそうだろ?な?」
「――えー、なにそれ。いきなりだなー」
「ほら、皆の顔見てみろよ。かわいい、かわいいペオが大好きなんだよ」
「――うーん、そうだなー」
ケイと、エイディからの突然の振りに、ペオはどう返答すべきか逡巡した。二人の言葉の真意を解することはできなかったが、ペオは頷き、氷上で待つ皆に向けて言葉を残すことにした。
「――えっーと、今日は、皆、本当にありがとう!――僕のためにこんなに祝ってもらえて、とっても嬉しくて――最初のショーもほんっとうに感動した! 皆が作ってくれたご飯もすっごくおいしかった! ダンスも音楽も楽しかった!目も口も耳も全部、僕の全身が喜んでる!――それで、えっと」
口を開きかけるが、すぐには言葉が紡げない。ペオの視線は一瞬、宙をさまよい、何を伝えるべきか思索した。
「――僕は、一番年下だから――だから、まだ子供だからって――頼りないかもしれないけど――でも」
少し口を閉じ、再び開きながら言葉を探すペオ。目を伏せたり、エイディとケイの顔を交互に見上げたりと、視線は彷徨う。たどたどしく、それでいて真摯な演説が続いた。
「僕――僕はね――この力を身に着けて、早く――どこまでも泳げるようになりたいんだ――冷気の調整も上手くなって、大きくなって、強くなって――それで――」
再び目を伏せ、まるで海の中に答えを探し求めるように足元を見つめる。視界の端で揺蕩う海の動きを感じ、今まさに海中でシェルトたちが自分を待っていることを改めて実感した。その刹那、感情が胸中へと沸き上がり、昂ぶりとなって迫ってきた。
「――ここを、今よりも、もっと、広い世界にするんだ!――シェルトたちが、自由に過ごせる世界にする!――もっと、もっとみんなが楽しく過ごせる。そんな世界にするんだ!――僕はみんなが大好きだから!――それが僕の、決意だ!」
無意識に心の内を紡ぐ。思わぬ大きく宣言に、ふと我に返り、ペオは些か居心地悪くなり、顔が紅潮する。皆の視線から逃れるように、大きく息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込んだ。
「あー、おい! ペオ!」
「――言い逃げだな」
「あいつも、言ってくれるな」
「――あぁ、なんかパニーに似てきたな」
「アイガがここにいたら、腰抜かしてる」
「――たしかに」
---
蒼く無限に広がる自由な世界。生物たちが自由闊達に遊泳し、海藻はゆらゆらと舞っている。小さな泡がペオの周囲に浮かび上がり、時折それが光に照らされて煌煌と輝く。生命が息づくこの世界は、息を呑むほど美しい。
「――ねぇ、ロロ。ペオってさ、結構いろんなこと考えてたんだね。なんかさー、大きくなったなーってしみじみしちゃった」
「うん。私も全然知らなかっから、ほんとびっくりした――でもさ、誰かさんにそっくりだよね」
「えー? 誰の事?」
エムスタは先頭に立ち、流麗に水を切って進む。その背中を見つめつつ、ペオは懸命に泳ぎ続けた。この日のために修練を重ねてきたとはいえ、水中での息は長くはもたない。少しでも早く到達できるよう、ロディがペオを牽引しながら進んでいく。その後ろには、パニーとロロが連なった。
「――ペオ、おいで」
やがて、彼らの前方にヌプトスとアイガが現れ、二人はペオに向かって手を差し伸べた。ペオがロディから離れ、二人の方へ進むと、視線の先にはスコットリスたちが待ち受け、その中央にはシェルトが控えていた。
「――ペオ、いってらっしゃい」
心拍が一際高鳴った。瞳に映るシェルトの姿が揺らめき、息は次第に苦しくなり、もはや猶予はない。ペオは軽く頷き、一歩前へ進んだ。シェルトもまた近づき、二人の呼吸が徐々に共鳴していく。ペオが瞼を閉じ、二人の額が触れ合った瞬間、淡い光の糸が現れた。糸は揺れながら二人を包み込み、絡み合うように纏い始めた。やがてペオとシェルトの全身が糸に包まれ、その姿を周りから隠す。波打つように広がる糸は、海中に現れた新たなる太陽の如く、眩い輝きを放った。光が薄れ、ペオとシェルトの姿が再び鮮明に浮かび上がると、二人を繋いでいた糸がゆっくりと解けていった。
ペオはそっと喉元に手を当て、先ほどまで感じていた息苦しさが消失したことに気づいた。手や足を動かしてみると、ここに来る前よりも遥かに抵抗が減じていた。"幻贖の力"をこの身に受けた、何よりの証だった。
「シェルト――ありがとう!」
ペオは思わず笑みがこぼれ、シェルトに抱きついた。抱きしめながら、ふと、今、自分が自然に声を発したことに気付き、驚きのままに母を見た。今日は驚きの連続だ。
「ママ! ママ!ぼく――」
全身から喜びを発しているペオの声を聞いた瞬間、思わずエムスタの瞳に涙が溢れた。ヌプトスもアイガも同じような表情で、三人の涙は真珠となって漂い始めた。
こうして、"幻贖の力"を持つ海の民が、また一人、ここに誕生した。
---
「――では、ペオ。今度は我々からのプレゼントといこうか」
「――プレゼント? まだあるの?」
「あぁ。たった一度きりだからね。見逃さないでおくれ」
「――わかった!」
ヌプトスが指を鳴らすや否や、海中の生物たちは一斉に呼応した。無数の光が放たれ、自然が織り成す宴が幕を開けた。海中が光彩と色彩で艶やかに彩られていく。
「うわぁぁぁぁ!――シェルト! ねぇ、シェルト見て!」
アイガが腕を広げると、周囲の発光したクラゲたちが優雅に舞い始めた。クラゲの体から放たれる蒼白い光が、水中を柔らかく照らし、幻想的な光景を作り出していく。クラゲたちはペオの前に集まり、光の道を編み上げ、回廊のようにペオを誘導していく。
「さぁ――ペオ、シェルトおいで!」
「すごい! 道になった!――シェルト、行こう!」
ペオとシェルトが回廊を進むと、パニーとロロが発光する魚たちと共に待っていた。輝きを放ちながら、舞踊のように泳ぎ、その動きに合わせて次々と変化していく。彼らの軌跡が海中に美しい花火を描き出し、夢幻の世界となった。
「うわぁぁぁぁ!――パニーもロロもすごいや!」
ペオとシェルトがその光景に見惚れていると、忽然としてロディが現れた。ロディは優雅に身をひるがえしつつ、ペオたちの周囲を旋回し始めた。次第に迅速さを増していき、水の渦が形成され、ついには周囲の様子が消え去った。
「――ロディ?」
「ペオ!!――手を取って!」
水の壁から再びロディが現れ、手を差し伸べた。ペオがその手を握ると、ロディは力強く引き寄せ、二人は水流に乗って勢いよく進んでいった。
「――って、ぎゃー! 待って待って!早い早い!怖い怖い!」
「あ、ごめん――速度落とす?――どう? まだ怖い?」
「だ、大丈夫――ほんとは、こ、怖くないもん」
視界が馴染むとともに、先ほど見逃していた鮮やかな光彩が、海の中で螺旋を描きながら広がっているのが明瞭となった。蒼の世界は、光の虹に彩られた華麗な景観に変じていた。
「うわぁぁぁぁ!――すごいね!」
「さっきからずーっと叫んでるよ――ま、お気に召したようでなにより」
「だって、ほんとに、すごいんだもん」
「まぁね。言葉が見つからないよね――ほんとにさ」
光と色の交響が織り成す海中のショーは、一層幽玄なものへと変じていた。光の筋が交錯し、織り成す模様が次第に複雑さを帯びていった。
「――ロディは、早くても怖くないの?」
「僕? 僕はもっと早くても全然平気」
「すごいや! 僕ももっと大きくなったら、ロディよりも早く泳げるようになるかな?」
「――ペオが今よりもっと早く泳げるようになってるってことは、僕も、もっともーっと早く泳げるようになってるからね」
「――いじわるだ。僕今日誕生日なのに」
「でた、誕生日カード。ずるいぞ」
光は水面を超え、夜空へと伸びていった。単なる美麗さにとどまらず、海中のすべての生命が一体となり、その調和が創り出した奇跡の瞬間であった。
「――なぁ、ペオ。もっと広くて、もっと自由で。それでいてもーっと楽しい世界にするんだろ?ここを」
「え!――あ、さっきのは――えっと――その」
「すっごくいいじゃん! 僕も協力するよ!」
「――へ? ロディが?」
「そ。僕が。頼りになるだろ? ペオに先越されちゃったけどさ。俺もずっと思ってたんだ――だから、これからさ。一緒に考えていこうな」
---
「終わったみたいだな」
「――ね。特に問題なさそうでよかった」
氷上の舞台から見守っていた者たちは、海中で展開される光の演舞を目の当たりにし、儀式が無事に終わったことを悟った。
「あーあ、俺も見てみたかったなー」
「――ねー! 今日だけは、海の民になりたいよね」
「わかるー」
「全部の民になりたくない?」
「めっちゃ贅沢じゃん」
「でも、わかるー」
「――あ! ねぇ、ねぇ、もう一度、踊らない?海がすっごく綺麗だし!」
「お、いいな」
「オーラー!なんか歌える?」
「歌う―! 何がいい?」
「海っぽい曲で!」
「えー何それ!――んーじゃぁ、あ!!あの曲!」
華麗なる光景を背景に、幕が降りるまで、氷上で本日二度目の宴が開始された。
---
「あ!帰ってきた!――って、ぎゃゃゃゃゃゃゃゃ」
「――きゃぁぁぁぁ!!」
「――うわぁぁぁぁ!!」
海面が再び静寂を取り戻し、光の余韻が幽かに漂う中、ペオとシェルトが突如勢いよく海面に姿を現した。巨大な水飛沫が弧を描いて舞い上がり、祝福のシャワーとなって降り注がれた。氷上の者たちは歓声と悲鳴を上げ、大騒ぎとなり、先ほどまでの余韻は一瞬にして掻き消えた。
「ペオ! どうだった!?」
「――あのね! 僕、僕!」
ペオの嬉しげな表情を垣間見た瞬間、皆一斉に儀式が滞りなく遂行されたことを察知した。海の民は、ヌプトス、アイガ、エムスタ、パニー、ロロ、ロディ、そして、本日正式に"幻贖の力"を手にしたペオ。彼への祝福は、もうしばらくの間、続くこととなった。
そんな中、パニーとロロはペオの手を取り、中央へと導いていた。彼は少し緊張した面持ちで、二人に連れられて足を進めた。視線の先には母が立っており、その視線に応えるようにペオも母を見つめる。
ついに、その時が訪れようとしていた。
「――みんな、準備はいいかしら?」
「うん!私は、準備万端。いつでもいいよ」
「私も!」
「私も、大丈夫」
「ぼくも!」
「私もだよ」
「――みんな、行くわよ」
海の民たちは、次々と水の中へと滑り込んでいった。アイガが水面を切り開くと、後に続く者たちも波紋に誘われるように、海へと身を投じていった。
「――ロロ、もう少し右に寄ってちょうだい」
「わかった、えーっと、このくらい?」
「ええ、いいわ――パニーは少し後ろに下がって。ええ、そのくらい。ちょうどいいわ――ええ。いきましょう」
海の民たちは円陣を組み、アイガの合図で両手を広げた。海面は次第に凍り付き、手から放たれる力が結集し、大きな円形の氷が海面に出現した。
「――えぇ、強度も問題なさそうね――完成よ。みんな、いいわ!」
完成した氷のサークルの上を、ペオに続いて風の民と土の民が、次々と歩を進め始める。
「私たちは、先に行ってるよ」
「うん! お願いね!」
「――ペオも、準備はいい? 大丈夫?――緊張してる?」
「うん、ちょっとだけ――でも、うん。大丈夫!」
「そう?――待ってもいいのよ? まだ時間はあるし」
「大丈夫だってば! もう平気!――じゃぁ、みんな!行ってくるね!またあと――」
「――ちょーっと、待って」
「――うわっ!」
ペオがそう言って深く息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込もうとした瞬間、ケイが彼を呼び止めた。ペオはバランスを失い、口を開けたまま振り返った。一瞬の戸惑いを見せながらも、視線を合わせるために顔を上げると、ケイは口角を上げて、嬉々とした表情を浮かべていた。
「な、なんだよー。びっくりしたじゃんかー」
「いや、なぁ。せっかくだしさ――意気込み、残してってよ。どうせ僕たちはここで待つしかないんだしさ。――な?ペオ、いいだろ?」
「――お!それいいな! 今日という日が、皆の心に留まるようにさ。かわいい、かわいいペオの、だいっじな瞬間に俺たち立ち会えないなんて、すっごくかわいそうだろ?な?」
「――えー、なにそれ。いきなりだなー」
「ほら、皆の顔見てみろよ。かわいい、かわいいペオが大好きなんだよ」
「――うーん、そうだなー」
ケイと、エイディからの突然の振りに、ペオはどう返答すべきか逡巡した。二人の言葉の真意を解することはできなかったが、ペオは頷き、氷上で待つ皆に向けて言葉を残すことにした。
「――えっーと、今日は、皆、本当にありがとう!――僕のためにこんなに祝ってもらえて、とっても嬉しくて――最初のショーもほんっとうに感動した! 皆が作ってくれたご飯もすっごくおいしかった! ダンスも音楽も楽しかった!目も口も耳も全部、僕の全身が喜んでる!――それで、えっと」
口を開きかけるが、すぐには言葉が紡げない。ペオの視線は一瞬、宙をさまよい、何を伝えるべきか思索した。
「――僕は、一番年下だから――だから、まだ子供だからって――頼りないかもしれないけど――でも」
少し口を閉じ、再び開きながら言葉を探すペオ。目を伏せたり、エイディとケイの顔を交互に見上げたりと、視線は彷徨う。たどたどしく、それでいて真摯な演説が続いた。
「僕――僕はね――この力を身に着けて、早く――どこまでも泳げるようになりたいんだ――冷気の調整も上手くなって、大きくなって、強くなって――それで――」
再び目を伏せ、まるで海の中に答えを探し求めるように足元を見つめる。視界の端で揺蕩う海の動きを感じ、今まさに海中でシェルトたちが自分を待っていることを改めて実感した。その刹那、感情が胸中へと沸き上がり、昂ぶりとなって迫ってきた。
「――ここを、今よりも、もっと、広い世界にするんだ!――シェルトたちが、自由に過ごせる世界にする!――もっと、もっとみんなが楽しく過ごせる。そんな世界にするんだ!――僕はみんなが大好きだから!――それが僕の、決意だ!」
無意識に心の内を紡ぐ。思わぬ大きく宣言に、ふと我に返り、ペオは些か居心地悪くなり、顔が紅潮する。皆の視線から逃れるように、大きく息を吸い込み、勢いよく海へと飛び込んだ。
「あー、おい! ペオ!」
「――言い逃げだな」
「あいつも、言ってくれるな」
「――あぁ、なんかパニーに似てきたな」
「アイガがここにいたら、腰抜かしてる」
「――たしかに」
---
蒼く無限に広がる自由な世界。生物たちが自由闊達に遊泳し、海藻はゆらゆらと舞っている。小さな泡がペオの周囲に浮かび上がり、時折それが光に照らされて煌煌と輝く。生命が息づくこの世界は、息を呑むほど美しい。
「――ねぇ、ロロ。ペオってさ、結構いろんなこと考えてたんだね。なんかさー、大きくなったなーってしみじみしちゃった」
「うん。私も全然知らなかっから、ほんとびっくりした――でもさ、誰かさんにそっくりだよね」
「えー? 誰の事?」
エムスタは先頭に立ち、流麗に水を切って進む。その背中を見つめつつ、ペオは懸命に泳ぎ続けた。この日のために修練を重ねてきたとはいえ、水中での息は長くはもたない。少しでも早く到達できるよう、ロディがペオを牽引しながら進んでいく。その後ろには、パニーとロロが連なった。
「――ペオ、おいで」
やがて、彼らの前方にヌプトスとアイガが現れ、二人はペオに向かって手を差し伸べた。ペオがロディから離れ、二人の方へ進むと、視線の先にはスコットリスたちが待ち受け、その中央にはシェルトが控えていた。
「――ペオ、いってらっしゃい」
心拍が一際高鳴った。瞳に映るシェルトの姿が揺らめき、息は次第に苦しくなり、もはや猶予はない。ペオは軽く頷き、一歩前へ進んだ。シェルトもまた近づき、二人の呼吸が徐々に共鳴していく。ペオが瞼を閉じ、二人の額が触れ合った瞬間、淡い光の糸が現れた。糸は揺れながら二人を包み込み、絡み合うように纏い始めた。やがてペオとシェルトの全身が糸に包まれ、その姿を周りから隠す。波打つように広がる糸は、海中に現れた新たなる太陽の如く、眩い輝きを放った。光が薄れ、ペオとシェルトの姿が再び鮮明に浮かび上がると、二人を繋いでいた糸がゆっくりと解けていった。
ペオはそっと喉元に手を当て、先ほどまで感じていた息苦しさが消失したことに気づいた。手や足を動かしてみると、ここに来る前よりも遥かに抵抗が減じていた。"幻贖の力"をこの身に受けた、何よりの証だった。
「シェルト――ありがとう!」
ペオは思わず笑みがこぼれ、シェルトに抱きついた。抱きしめながら、ふと、今、自分が自然に声を発したことに気付き、驚きのままに母を見た。今日は驚きの連続だ。
「ママ! ママ!ぼく――」
全身から喜びを発しているペオの声を聞いた瞬間、思わずエムスタの瞳に涙が溢れた。ヌプトスもアイガも同じような表情で、三人の涙は真珠となって漂い始めた。
こうして、"幻贖の力"を持つ海の民が、また一人、ここに誕生した。
---
「――では、ペオ。今度は我々からのプレゼントといこうか」
「――プレゼント? まだあるの?」
「あぁ。たった一度きりだからね。見逃さないでおくれ」
「――わかった!」
ヌプトスが指を鳴らすや否や、海中の生物たちは一斉に呼応した。無数の光が放たれ、自然が織り成す宴が幕を開けた。海中が光彩と色彩で艶やかに彩られていく。
「うわぁぁぁぁ!――シェルト! ねぇ、シェルト見て!」
アイガが腕を広げると、周囲の発光したクラゲたちが優雅に舞い始めた。クラゲの体から放たれる蒼白い光が、水中を柔らかく照らし、幻想的な光景を作り出していく。クラゲたちはペオの前に集まり、光の道を編み上げ、回廊のようにペオを誘導していく。
「さぁ――ペオ、シェルトおいで!」
「すごい! 道になった!――シェルト、行こう!」
ペオとシェルトが回廊を進むと、パニーとロロが発光する魚たちと共に待っていた。輝きを放ちながら、舞踊のように泳ぎ、その動きに合わせて次々と変化していく。彼らの軌跡が海中に美しい花火を描き出し、夢幻の世界となった。
「うわぁぁぁぁ!――パニーもロロもすごいや!」
ペオとシェルトがその光景に見惚れていると、忽然としてロディが現れた。ロディは優雅に身をひるがえしつつ、ペオたちの周囲を旋回し始めた。次第に迅速さを増していき、水の渦が形成され、ついには周囲の様子が消え去った。
「――ロディ?」
「ペオ!!――手を取って!」
水の壁から再びロディが現れ、手を差し伸べた。ペオがその手を握ると、ロディは力強く引き寄せ、二人は水流に乗って勢いよく進んでいった。
「――って、ぎゃー! 待って待って!早い早い!怖い怖い!」
「あ、ごめん――速度落とす?――どう? まだ怖い?」
「だ、大丈夫――ほんとは、こ、怖くないもん」
視界が馴染むとともに、先ほど見逃していた鮮やかな光彩が、海の中で螺旋を描きながら広がっているのが明瞭となった。蒼の世界は、光の虹に彩られた華麗な景観に変じていた。
「うわぁぁぁぁ!――すごいね!」
「さっきからずーっと叫んでるよ――ま、お気に召したようでなにより」
「だって、ほんとに、すごいんだもん」
「まぁね。言葉が見つからないよね――ほんとにさ」
光と色の交響が織り成す海中のショーは、一層幽玄なものへと変じていた。光の筋が交錯し、織り成す模様が次第に複雑さを帯びていった。
「――ロディは、早くても怖くないの?」
「僕? 僕はもっと早くても全然平気」
「すごいや! 僕ももっと大きくなったら、ロディよりも早く泳げるようになるかな?」
「――ペオが今よりもっと早く泳げるようになってるってことは、僕も、もっともーっと早く泳げるようになってるからね」
「――いじわるだ。僕今日誕生日なのに」
「でた、誕生日カード。ずるいぞ」
光は水面を超え、夜空へと伸びていった。単なる美麗さにとどまらず、海中のすべての生命が一体となり、その調和が創り出した奇跡の瞬間であった。
「――なぁ、ペオ。もっと広くて、もっと自由で。それでいてもーっと楽しい世界にするんだろ?ここを」
「え!――あ、さっきのは――えっと――その」
「すっごくいいじゃん! 僕も協力するよ!」
「――へ? ロディが?」
「そ。僕が。頼りになるだろ? ペオに先越されちゃったけどさ。俺もずっと思ってたんだ――だから、これからさ。一緒に考えていこうな」
---
「終わったみたいだな」
「――ね。特に問題なさそうでよかった」
氷上の舞台から見守っていた者たちは、海中で展開される光の演舞を目の当たりにし、儀式が無事に終わったことを悟った。
「あーあ、俺も見てみたかったなー」
「――ねー! 今日だけは、海の民になりたいよね」
「わかるー」
「全部の民になりたくない?」
「めっちゃ贅沢じゃん」
「でも、わかるー」
「――あ! ねぇ、ねぇ、もう一度、踊らない?海がすっごく綺麗だし!」
「お、いいな」
「オーラー!なんか歌える?」
「歌う―! 何がいい?」
「海っぽい曲で!」
「えー何それ!――んーじゃぁ、あ!!あの曲!」
華麗なる光景を背景に、幕が降りるまで、氷上で本日二度目の宴が開始された。
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「あ!帰ってきた!――って、ぎゃゃゃゃゃゃゃゃ」
「――きゃぁぁぁぁ!!」
「――うわぁぁぁぁ!!」
海面が再び静寂を取り戻し、光の余韻が幽かに漂う中、ペオとシェルトが突如勢いよく海面に姿を現した。巨大な水飛沫が弧を描いて舞い上がり、祝福のシャワーとなって降り注がれた。氷上の者たちは歓声と悲鳴を上げ、大騒ぎとなり、先ほどまでの余韻は一瞬にして掻き消えた。
「ペオ! どうだった!?」
「――あのね! 僕、僕!」
ペオの嬉しげな表情を垣間見た瞬間、皆一斉に儀式が滞りなく遂行されたことを察知した。海の民は、ヌプトス、アイガ、エムスタ、パニー、ロロ、ロディ、そして、本日正式に"幻贖の力"を手にしたペオ。彼への祝福は、もうしばらくの間、続くこととなった。