牛面を片手に鴻大が戻ると、その(・・)地下にて、コンクリートの壁に背を預けていた結櫻が顔を上げた。軍服姿で、ネクタイに手を添えている。その右手の指には、青波とそろいの指輪が煌めいている。

「ご無事でなによりです、牛鬼様」
「ああ、児戯だったな。礼瀬の新当主も大した事がなさそうで、張り合いがない」

 鴻大晃――の顔をしている牛鬼の声に、結櫻が笑う。
 無論上辺だけの笑みだが、彼の表情に嘘があるようには誰にも見えないだろう。

「父も死んだ、祖父も死んだ。僕は死にたくない。ならば強い方につけばいい」
「それは頭のいい行動だ。実に利口だな、結櫻は」

 牛鬼にも、それを疑った様子はない。それに結櫻は、内心で安堵していた。

「しかし侮れないのは、高圓寺の……高圓寺時生の方だ」

 低い声を出した牛鬼は、指を鳴らすと、狩衣姿から酒屋の店主らしい服装に戻った。そして黒い短髪に触れると、退屈そうな顔をした。

「あいつの持つ力は恐ろしいな」
「やはり、浄化の技法を持つのですか?」

 結櫻が問いかけると、鴻大が首を振った。

「もっと厄介なものだ。アレは、言霊を使う」
「言霊?」
「そうだ。迷いある者を、正しい道に導く――俺から見れば、誤った人の道に導く力を持っている。先程の昴もそうだ。たったの一言で、意志を固めた」

 そう述べた鴻大は片眉を顰めた。

「アレは侮ることは出来ない。早い内に、喰らっておかなければな」
「牛鬼様。もうじきクリスマスがあるのでは?」
「ああ、そうだ。洗脳済みの、鬼月の人間を使って、四将の全てを招待し、一気に打倒する。全て喰らいつくす予定の宴だ。楽しみでたまらないな」

 牛鬼の黒い瞳に、楽しげな光が宿る。その傍らで悠然と笑いつつ、結櫻は動悸が激しくなったのを自覚し、冷や汗を堪えていた。

「しかし、礼瀬偲、か。他愛ない存在だとは思うが――」

 そう言うと牛鬼は暗い瞳をして、右手の甲で左頬に触れた。そこには面の紐を切られた際に出来た切り傷がある。

「この俺の体に傷をつけるとは……ああ、怪我をするのは千年ぶりに近いな……平安京の忌々しき陰陽師の末裔が、今も俺を害するとは」

 牛鬼の瞳がどんどん闇を孕んでいく。

「あちらは今代で俺を屠ると言うが――それは、こちらの台詞だ」

 失笑した牛鬼は、それから結櫻を見た。

「お前もそう思うだろう?」
「当然です。牛鬼様の理想の世界の到来を、僕はお手伝い致しますから」