「そうか、結櫻が裏切ったのか」
執務机に両肘をつき、組んだ手の上に顎を置いて、相樂が真剣な眼差しをした。
その場には、灰野と時生の他、帰還した偲と青波、そしてあやかし対策部隊の面々がいる。黎千と山辺は呆気にとられた顔をしている。
「こちらは第一報を受けて、鴻大屋という酒屋兼万屋を当たったが、本来商店があるはずだった半地下の場所はもぬけの殻だった。逃げられていたのは明らかで、こちらの動きも悟られていた様子だった。それも結櫻が……考えたくはないが」
深刻な表情の相樂を見て、時生は胸が痛くなった。今も、結櫻が裏切ったとは信じられないからだ。
「続報があれば追って連絡する。今日は、各々休むように。解散」
相樂の宣言に、時生は小さく頷いてから、何気なく室内を見渡した。そしてふと、青波のしている右手の薬指の銀色のリングに気がついた。
――結櫻と同じ品だ。
皆が出て行くので、灰野と共にそれに従いながら中央の部屋まで戻る。すると青波がどかりと長椅子に座り、両腕を背もたれに回したので、何気なく時生は尋ねた。
「その指輪」
「ん?」
すると青波が視線を向けた。
「結櫻さんもしてたなと思って」
「――ああ。二人で縁日に行ったんだよ。偲は奥さんがいるから充実した毎日を過ごしてたんで、俺達は男二人で寂しくな。そこで見惚れて買ったんだ。いやぁまさか結櫻が裏切るとは思わなかったが、指輪に罪はない」
苦笑した青波を見て、触れてはいけなかっただろうかと、時生が瞳を揺らす。するとその肩にそっと偲が触れた。
「結櫻は、裏切るような者ではない」
時生にだけ聞こえるような、小さな声だった。ハッとして時生は小さく息を呑む。
「とはいえ、時生を危機に晒したのは許せないが。だが、これは彼の友として言う。信じてやって欲しい」
掠れるような小さな偲の声が、耳元でする。囁かれた時生は視線を向け、小さく頷いた。偲が言うのならば、そうなのだろうと、確信を持って頷くことが出来た。
「偲様がそう言うのなら」
時生もまた、聞こえるか聞こえないかといった声量で返す。すると偲が優しい目をして微笑した。
「よし」
それから偲がよく通る声を出した。
「今後の対策はあるが、本日は休むこととする。俺の班は、皆帰ることとしよう。灰野、これから時生と家に戻るが、一緒にこないか?」
すると名指しされた灰野が、目に見えてビクリとした。偲はそちらを見ると柔らかく笑う。
「本日の俺達はよく働いた。たまには休んでも罰は当たらない。すき焼きでも食べるとしよう。先程、家に連絡を入れたんだ。家内が、今頃はりきって用意の指示をしているはずだ」
きょとんとした灰野が瞳を揺らしてから、おずおずと頷く。
こうしてこの日は、三人で帰ることになった。
「時生ー!」
帰宅すると何も知らない澪が出迎えた。偲はいつもとは異なり、自分から真っ先に駆け寄ると、その小さな体をギュッと抱きしめ、澪の肩に顎をのせ、目を伏せていた。鴻大の述べた言葉を気にしているのだろうと時生にはよく理解出来た。気づかぬ内に愛息子が脅威にさらされていたのが、恐ろしくないはずがない。
「あらぁ、格好いい……」
その時、真奈美がぽつりと呟いた。見れば、灰野に見惚れているのが分かった。時生は己にはこういう眼差しが向いた経験が一度も無いので、苦笑してしまった。
「どうぞ、お入りください。奥様が、すき焼きをご用意しておりますよ」
こうして一同は食堂へと向かった。そしてそこにいる静子の鶴の姿を見た時、灰野は虚を突かれた顔をしたが、寡黙な彼は、何も言わなかった。
執務机に両肘をつき、組んだ手の上に顎を置いて、相樂が真剣な眼差しをした。
その場には、灰野と時生の他、帰還した偲と青波、そしてあやかし対策部隊の面々がいる。黎千と山辺は呆気にとられた顔をしている。
「こちらは第一報を受けて、鴻大屋という酒屋兼万屋を当たったが、本来商店があるはずだった半地下の場所はもぬけの殻だった。逃げられていたのは明らかで、こちらの動きも悟られていた様子だった。それも結櫻が……考えたくはないが」
深刻な表情の相樂を見て、時生は胸が痛くなった。今も、結櫻が裏切ったとは信じられないからだ。
「続報があれば追って連絡する。今日は、各々休むように。解散」
相樂の宣言に、時生は小さく頷いてから、何気なく室内を見渡した。そしてふと、青波のしている右手の薬指の銀色のリングに気がついた。
――結櫻と同じ品だ。
皆が出て行くので、灰野と共にそれに従いながら中央の部屋まで戻る。すると青波がどかりと長椅子に座り、両腕を背もたれに回したので、何気なく時生は尋ねた。
「その指輪」
「ん?」
すると青波が視線を向けた。
「結櫻さんもしてたなと思って」
「――ああ。二人で縁日に行ったんだよ。偲は奥さんがいるから充実した毎日を過ごしてたんで、俺達は男二人で寂しくな。そこで見惚れて買ったんだ。いやぁまさか結櫻が裏切るとは思わなかったが、指輪に罪はない」
苦笑した青波を見て、触れてはいけなかっただろうかと、時生が瞳を揺らす。するとその肩にそっと偲が触れた。
「結櫻は、裏切るような者ではない」
時生にだけ聞こえるような、小さな声だった。ハッとして時生は小さく息を呑む。
「とはいえ、時生を危機に晒したのは許せないが。だが、これは彼の友として言う。信じてやって欲しい」
掠れるような小さな偲の声が、耳元でする。囁かれた時生は視線を向け、小さく頷いた。偲が言うのならば、そうなのだろうと、確信を持って頷くことが出来た。
「偲様がそう言うのなら」
時生もまた、聞こえるか聞こえないかといった声量で返す。すると偲が優しい目をして微笑した。
「よし」
それから偲がよく通る声を出した。
「今後の対策はあるが、本日は休むこととする。俺の班は、皆帰ることとしよう。灰野、これから時生と家に戻るが、一緒にこないか?」
すると名指しされた灰野が、目に見えてビクリとした。偲はそちらを見ると柔らかく笑う。
「本日の俺達はよく働いた。たまには休んでも罰は当たらない。すき焼きでも食べるとしよう。先程、家に連絡を入れたんだ。家内が、今頃はりきって用意の指示をしているはずだ」
きょとんとした灰野が瞳を揺らしてから、おずおずと頷く。
こうしてこの日は、三人で帰ることになった。
「時生ー!」
帰宅すると何も知らない澪が出迎えた。偲はいつもとは異なり、自分から真っ先に駆け寄ると、その小さな体をギュッと抱きしめ、澪の肩に顎をのせ、目を伏せていた。鴻大の述べた言葉を気にしているのだろうと時生にはよく理解出来た。気づかぬ内に愛息子が脅威にさらされていたのが、恐ろしくないはずがない。
「あらぁ、格好いい……」
その時、真奈美がぽつりと呟いた。見れば、灰野に見惚れているのが分かった。時生は己にはこういう眼差しが向いた経験が一度も無いので、苦笑してしまった。
「どうぞ、お入りください。奥様が、すき焼きをご用意しておりますよ」
こうして一同は食堂へと向かった。そしてそこにいる静子の鶴の姿を見た時、灰野は虚を突かれた顔をしたが、寡黙な彼は、何も言わなかった。