緊張しながら執務室の扉をノックすると、すぐに入るようにと声がかかった。
 扉を開けると、そこにはなだらかな曲線を描く壁が広がっていて、突き当たりに行くに従い直線になっている部屋があった。その正面に大きな執務机があり、左右の角に別の机がある。中央には黒い短髪をした精悍な顔立ちの男性がいて、右手に青波、左手に偲がいた。偲の机の隣に、真新しい小さな机がある。壁一面には書架があり、様々な書類が収められている。左の端には、応接席が見えた。

 時生の姿を見ると、三名が立ち上がる。
 そして最初に、ニッと笑って、中央にいる青年が口を開いた。

「ようこそ、高圓寺時生だな。俺は、この深珠区あやかし対策部隊の隊長をしている相樂達樹と言う。たっくんとかと呼んでくれてもなんら気にしない、気さくな隊長だ」

 相樂の声に、偲が呆れた顔をし、青波が吹き出した。

「相樂さん、しまらないから、最初くらい真面目にして下さいよ」
「でもなぁ、青波。最初に怖い印象を与えたら、可哀想だろう。な? 時生くんもそう思うよな?」

 快活な声音の相樂を見て、時生は曖昧に笑う。その前で、相樂が続ける。

「あやかし対策部隊の代表として、歓迎する。しばらくは、破魔の技倆の訓練と――あとは俺達に非常に欠けている異国語、特に英語の書類の対応をお願いしたいと考えている。席は取り急ぎ偲の隣だ。英語の書類は機密が多いから、こちらで仕事をしてもらう。その他のあやかし対策部隊の軍人としての仕事も後々担ってもらうから、それに関しては向こうの通常業務を行う部屋にも席を用意する」

 精悍な顔立ちの相樂は、逞しい腕を組み、笑顔で語った。

「高圓寺時生です。宜しくお願いします」

 色々挨拶を考えてはいたのだが、時生はそれしか述べることが出来なかった。

「よし、まずは荷物を偲の横の席に置くといい。今から、破魔の技倆の訓練を行える鍛錬場へと案内する」
「は、はい!」

 言われた通りに、時生は筆記用具などを入れてある小さな鞄を机に置いた。この鞄もいつか偲に買ってもらったものだ。

「俺が行ってくるから、青波と偲は、議題に関する対応を続けておいてくれ」

 指示を出した相樂が、時生へと歩みよってきた。隣に並ぶと、身長こそ偲や青波よりも低いのだが、圧倒的な存在感がある。黒く短い顎髭を撫でた相樂は、それからポンと時生の肩を叩くと歩きはじめた。時生は慌ててその後ろに従う。

 隣室に戻ると、既に結櫻の姿は無かった。先程までは、己の相手を買って出てくれていたのだろうかと、時生は考える。

「こちらだ」

 対策部隊の本部を出て、少し歩いた先に、扉があった。そこを相樂が開けると、階下へと続く細い階段があった。

「ここは地下の鍛錬場に直通できる階段なんだ。これからはここを使うといいぞ」
「はい!」

 何度も頷き、時生は相樂に従う。
 それから四度ほど踊り場を抜け、時生は地下に降りた。そこには白い床に五芒星が描かれている広い部屋があった。壁中にお札らしきものが貼り付けられている。

「めったなことでは、壊れないように出来ているから、全力を出して鍛錬に励んでもらって構わない。先に奥を案内する」

 相樂に促されて鍛錬場の奥に行くと、片方には射撃訓練場、片方には案山子のようなものが三体立っている部屋があった。

「慣れてきたら、あやかし対策専用の――要するに討伐と威嚇専用の軍銃や軍刀を支給することになる。あの案山子は、軍刀の訓練用で自動人形(からくり)だ。式神の力と機械の力で動く擬似的なあやかしだ。もう一つの的の方は、射撃の精度をあげるために使う。どちらにしろ、破魔の技倆を込めた武器で倒す訓練となる。そのためには、破魔の技倆を自在に使えるようにならなければならない。これから時生はその訓練をするというわけだ」

 時生は説明を聞きながら、まだ実感がわかなくて、頷くことだけで必死だった。たとえば澪を守れるようになりたいと思ったのは本心だが、自分が具体的に武力を持つという想像がまだどうしても出来ない。

「さて、あちらに戻ろう。破魔の技倆の初歩は、瞑想なんだ。五芒星の中央に座ると良い。座り方は、正座でもあぐらでもなんでも構わない。自分が一番楽に出来る姿勢で、集中出来るようにすることが肝要だ」

 相樂はそう言うと、広い部屋の床を進み、中央の床に埋め込まれている球体を見た。
 時生もそちらを覗きこむ。

「これは、破魔の技倆を引き出す補助をする護石(まもりいし)だ。この前に座り、目を閉じて、自分の中の破魔の技倆が護石に集まる表象を脳裏に描く。それが初歩だ。そのために呼吸法を覚えたり、体の中に力が廻る感覚を掴んだりする」
「やってみます」
「ああ。それから破魔の技倆には、見鬼の才や先見の才が付属するのが常だ。特に見鬼の才に関しては、破魔の技倆が顕現した段階で、発現する事が多いが、一応その訓練施設が、こちらにある」

 相樂はそう言うと、射撃場とは逆側の奥の部屋へと視線を向けた。

「一度見てみるか?」
「は、はい」

 今度はそちらへと向かい、固く閉じられた扉を相樂が開ける。中に入った瞬間、時生の背筋に怖気が走った。硝子戸があり、その向こうに座敷牢があった。赤い着物姿で、長髪の女……いいや、人間には到底見えない何者かがそこにいた。

「視えるか?」
「はい……」

 時生の声が震える。

「あれは、本部(うち)が契約している、派遣で来てもらっているあやかしだ」
「派遣?」
「ああ。協力的なあやかし連中に、視る訓練のために、日当を払って、あそこに一日居てもらうんだ。見た目は様々だが、危険はない。細部までしっかり見えるように、訓練に協力してもらうようにな」

 なんでもない事のように相樂が述べる。時生は冷や汗をダラダラとかいたままだったが、おずおずと頷いた。

「まぁ何事も少しずつだ。とりあえず、今日は瞑想を試すといい。昼になったら偲に顔を出させる。初日だからな、今日は午前で上がっていい。明日からも宜しく。なにか困ったことがあれば、偲にでもいいし、なにより俺に言うといい」

 バシバシと時生の肩を叩き、明るい声で相樂が言った。
 まだなんの実感も沸かない時生だったが、大きく頷く。

「頑張ります」

 このようにして、時生のあやかし対策部隊での日々が幕を開けた。