大正四十五年、冬。
 十五歳の時生(ときお)は、高圓寺(こうえんじ)家の裏庭に立たされていた。足下の桶には氷が張っている。屋根には数多のつららが見える。本日は霙が、強い風のせいで斜め方向から襲いかかってくる。薄手のシャツと着物で、もう二時間ほどこの場にいる。高圓寺家の本妻である松子(まつこ)の許しがあるまでは、屋内に入ることを許されない。

 妾であった母の(あおい)がはやり病で亡くなってから、時生への陰湿な苛めは、日増しに酷くなっていく。父の隆治(たかはる)は気まぐれに葵を閨に呼んだだけであるから、時生には欠片も興味が無いらしい。家を継ぐと決まっている、時生と同じ歳の松子の子、裕介(ゆうすけ)のことにも興味はあまりないようだが。

 だが裕介には、見鬼の力がある。見鬼の力とは、あやかしを視認する力のことで、高圓寺の血を引く者には、その才能が出やすい。同じくらい、先見の力という、未来を予知する能力の持ち主が生まれることもある。しかし時生には、そのどちらもない。本当にあやかしが存在するのかすら、時生は知らなかった。

 かじかんだ手が、ずっと震えている。既に指先の感覚は無い。冷たいを通り越して、肌が痛かった。

「ああ、ここにいたのか、役立たず」

 その時、裏口の扉が開いた。顔を向ければ、裕介がひょいと顔を出したところだった。

「宿題をやっておけ」
「……っ」
「早く来い」
「で、でも……奥様に、お許しを頂かないと、あとで……」
「ああ、きっと散々ぶたれるだろうが、それは俺の知ったことじゃない。さっさと来い」

 裕介はそう言うと、強引に時生の腕を引いた。脚がもつれて、時生は転倒する。すると見おろした裕介が冷徹な顔をし、思いっきり時生の胴を蹴りつけた。二度、三度。痛みに涙を堪える。

「早く立て」

 しゃがんだ裕介に髪を引っ張られ、無理に顔を上に向かせられる。
 両手を地について、なんとか時生は体勢を立て直した。

 そして歩きはじめた裕介の後に従う。裕介の部屋に招き入れられた時生は、そこに並ぶ高等学校の宿題を見た。中学第四学年の後、高等学校に入学した裕介は、特に異国語の授業が苦手な様子だ。頻繁に時生へと宿題を押しつける。そのため、学校へ通うことを許されず、日中使用人と同じように働いている時生だが、特に異国語、いいや押しつけられた宿題分の、数学や古典、歴史や社会情勢、教養、文学、それらに詳しくなった。

「……」

 渡された万年筆を手に、時生はさらさらと異国語を綴っていく。
 時生にとっては、実に簡単な問題だった。

「できました」
「そうか、出て行け。母上にたくさん殴ってもらうんだな」

 せせらわらうようにそう述べて、裕介は時生を追い出した。
 部屋から出ると、女中の(えい)が待ち構えていた。

「奥様がお呼びだよ」

 ――ああ、殴られるのか。
 そう覚悟した時生の瞳は、暗さを増した。