「さーくーらー、さーくーらー。のーやーまーもさーとーもー、みーわーたーすーかーぎーりー…」
時は太平洋戦争の末期…。
甲斐(かい)天周(あまね)は日本海軍に属する若き新米少尉である。その天音は今まさに死にに行こうとしていた。だが、その顔に悲壮感はない。むしろこうして鼻歌さえ歌っている。
「かーすーみーかー、くーもーかー、あーさーひーにーにーおーうー」
日々、本土に迫る敵軍の影は増している…。このままでは父も母も、故郷の山河も…。そしてただひとり、愛する女性(ひと)も敵によって無惨にむしり取られてしまう…そう考えると自分が死ぬ事などいかほどの事があろうか。だから今、こうして天周は自らが一番好きな歌を口ずさんでいる。戦場において歌を歌うなど言語道断、しかし今はそれを咎(とが)める上官はいない。真っ暗で窮屈な鉄の筒の中、ただひとりうつ伏せの天周は静かに歌い続ける。
「さーくーらー、さーくーらー。はーなーざーかーりー」
黒髪の…、愛しい女性(ひと)の姿が頭に浮かぶ。
悪化する一途の戦況を覆そうと提案された人間魚雷構想…『回天』。天音は今その回天の中にいる、討つべき敵軍へと向かって…。決して帰れぬ一本道であった。敵艦に当たれば爆死、当たらずとも助けの来ない海の底で窒息死、弔われる事さえない終焉である。
「さーくーらー、さーくーらー。やーよーいーのーそーらーはー、みーわーたーすーかーぎーりー…」
これから自分の棺(ひつぎ)となる狭い狭い筒の中、歌う自分の声がだんだんと湿っぽいものとなっていく。最後に君と別れたのは…そうだ、故郷の神社の前…。そこを流れる川にかかる赤い欄干(らんかん)の橋の上…、周りの桜が満開の穏やかな…穏やかな春の日…。
「かーすーみーかー、くーもーかー。にーおーいーぞー、いーずーるー」
歌の終わりが近づいてくる、敵艦もまた同様の筈だ。魚雷の中と同様、真っ暗でしかない深い深い海の中…、不意に自分の着ている学ランの白さ…袖口の色が目に入ってきた。
本来ならこのような服装は許されない。だが天周は御国(おくに)の為、見事に死んで参ります。これはその為の白き死装束(しにしょうぞく)でありますと上官に対して押し通した。嘘だった、これは愛する人が自分の為に縫ってくれた物…。だから最後の時に袖を通していたかった。
「いーざーやー、いーざーやー。みーにーいーかーんー…」
歌が終わる、するとわずかばかりに外の様子が見られる潜望鏡に何かしらの物影が見えた気がした。最後だ、天周はそれを直感した。そして天周の口からこぼれ出たのは父や母の事でも国の事でもなく、愛する…もう一度だけ…一目だけでもと願った女性の名であった。
「桜(さくら)…」