こんな目にまで遭うのは御免だと、アマリは渇いた口を開く。
「間もなく……妖厄神様が、いらっしゃるのでしょう? このような勝手な事が、赦される訳……」
震える声で絞り出した切り札だったが、能面から下卑た笑みに変わったもう一人の番人が、更に詰める事実を告げる。
「雪の為、到着は明日になると伝えております。貴女も尊巫女の務めなど忘れ、楽しみましょうや……」
視界に映る闇が更に濃くなり、虚無に陥った。
『自棄』という思いが、疲労と薬で麻痺した脳裏に、再び過った――刹那。
ヒュ――シュンッ――‼ かまいたちのような鋭利な音が、その場を切り裂くように、駆けた。
「早い仕事だったな。ご苦労」
抑揚の無い、冷淡な音で発された声が、明け出した空から降ってきた。途端、番人達がみるみる青ざめる。
重い殺気が辺り一面に放たれている。眼前の番人の首元に当てられた、鋭く光る刃先が、アマリにも向かっている。
だが、今の彼女には救いの天啓、天明のように聞こえ、映った。
「けっ、荊祟、様……⁉」
もう一人の番人が、幻でも見たように叫ぶ。荊祟と呼ばれた青年らしき男は、今度は刃先を額に移動させ、追い立てるようにアマリから離れさせた。
ようやく開けたアマリの視界に、日本刀らしき物を、へたり込む番人の額に突き付けている黒い人影が映った。
明らんできた暁の逆光でよく見えないが、濃灰の硬質な長めの前髪は非対称に分けられ、短い方と襟足は後方に逆立てられている。
漆黒の羽織に藍鼠色の長着物の下は、忍装束の漆黒の履き物と草履。細身の腰には革紐がきつく巻かれ、刀の鞘と小ぶりの巾着袋、数珠玉を下げている。
人族の界だと、野武士か忍と判別する出で立ちだが、耳はやはり笹のように尖っていた。顔下半分を黒地の布で隠しているが、髪の隙間から見え隠れする、黄金色に光る切れ長の眼を、印象的に魅せている。
やはり人族とは違う異界の者なのだと、安堵から再びふらつき始めた頭で、アマリは思った。
「……長様、何故こんな、早く……?」
別人のように狼狽え、刀を向けられた番人が、情けない声色で問う。
「黎玄を飛ばし、様子を伺わせていた。念のためだったが、我ながら賢明だったな」
抑揚のない物言いだったが、声色は重く、激しい怒りが滲んでいるのがアマリにもわかった。威厳という冴えた圧を感じさせるのは、彼が一族の長だからだろうか。
ギャア、と鳴き声を上げ、朱色の眼光を放つ鷹が、焦茶の翼を羽ばたかせ、厚く布が巻かれた彼の腕に止まる。「よくやった」と荊祟は呟き、懐に下げた袋から木の実を左手で取り出し、指の空いた漆黒の手袋越しに渡す。鷹とさして変わらない、鋭く伸びた爪が指先に光っていた。
「この女を喰うなりすると、我ら一族の力が失墜するやも知れぬ。その事はお前達も知っているはず」
黄金の鋭利な眼差しで、顔面蒼白の番人二人を交互に睨み付けた。一人には刀を突き付けたまま、じりじり、と詰める。
「長に逆らってまで、珍しい女が欲しかったのか? ……反逆か?」
「とんでもございませぬ!! 我々はそのような謀反を企てたのではございません!」
赦しを乞おうと、刀を向けられた番人が慌てふためきながら弁解する。
「左様でございます! 折角の厄界にいない種……味見をしても良いのではと伺いました」
「いかにも。要は契りを交わさなければ良いのですから…… 何なら荊祟様が楽しまれた後でも構いません」
ざわり、と周囲に烈な殺気が満ち、荊祟の眉が吊り上がった。
「もう良い。粛清する」
チャキ、と鍔を整える音が鳴ると同時に、へたり込んでいる方の番人の首元に刃を強く押し付けた。彼の汗ばんだ皮膚から、今度は一筋の赤い滴が流れる。
「戻って仕置きを受けるか、この場で俺に斬られるか、とっとと選ぶが良い。どうする」
残酷で容赦のない最終警告に、今では哀れに見える位に縮み込んだ番人が、涙声で答えた。
「――仕置きの程を……」
「……この女の処分は、俺が決める。早まった事はするな」
気が鎮まったらしい彼は、ゆらり、と刀を下げて鞘に収めた。
「……あ、ありがとう、ござい……ました」
一度も自分を見ない彼に対し、反射的にアマリは礼を発していた。ようやく、荊祟は彼女の方を向いたが、冷ややかな眼差しで凝視している。
次第にアマリの視界は揺らぎ、うつ伏せに倒れ込む。抵抗する力はもう無かった。今更、自分を贄として一族に渡す事はないだろう……と薄らぐ思考に過る。視界は蓋され……意識は彼方へ消えた。
「間もなく……妖厄神様が、いらっしゃるのでしょう? このような勝手な事が、赦される訳……」
震える声で絞り出した切り札だったが、能面から下卑た笑みに変わったもう一人の番人が、更に詰める事実を告げる。
「雪の為、到着は明日になると伝えております。貴女も尊巫女の務めなど忘れ、楽しみましょうや……」
視界に映る闇が更に濃くなり、虚無に陥った。
『自棄』という思いが、疲労と薬で麻痺した脳裏に、再び過った――刹那。
ヒュ――シュンッ――‼ かまいたちのような鋭利な音が、その場を切り裂くように、駆けた。
「早い仕事だったな。ご苦労」
抑揚の無い、冷淡な音で発された声が、明け出した空から降ってきた。途端、番人達がみるみる青ざめる。
重い殺気が辺り一面に放たれている。眼前の番人の首元に当てられた、鋭く光る刃先が、アマリにも向かっている。
だが、今の彼女には救いの天啓、天明のように聞こえ、映った。
「けっ、荊祟、様……⁉」
もう一人の番人が、幻でも見たように叫ぶ。荊祟と呼ばれた青年らしき男は、今度は刃先を額に移動させ、追い立てるようにアマリから離れさせた。
ようやく開けたアマリの視界に、日本刀らしき物を、へたり込む番人の額に突き付けている黒い人影が映った。
明らんできた暁の逆光でよく見えないが、濃灰の硬質な長めの前髪は非対称に分けられ、短い方と襟足は後方に逆立てられている。
漆黒の羽織に藍鼠色の長着物の下は、忍装束の漆黒の履き物と草履。細身の腰には革紐がきつく巻かれ、刀の鞘と小ぶりの巾着袋、数珠玉を下げている。
人族の界だと、野武士か忍と判別する出で立ちだが、耳はやはり笹のように尖っていた。顔下半分を黒地の布で隠しているが、髪の隙間から見え隠れする、黄金色に光る切れ長の眼を、印象的に魅せている。
やはり人族とは違う異界の者なのだと、安堵から再びふらつき始めた頭で、アマリは思った。
「……長様、何故こんな、早く……?」
別人のように狼狽え、刀を向けられた番人が、情けない声色で問う。
「黎玄を飛ばし、様子を伺わせていた。念のためだったが、我ながら賢明だったな」
抑揚のない物言いだったが、声色は重く、激しい怒りが滲んでいるのがアマリにもわかった。威厳という冴えた圧を感じさせるのは、彼が一族の長だからだろうか。
ギャア、と鳴き声を上げ、朱色の眼光を放つ鷹が、焦茶の翼を羽ばたかせ、厚く布が巻かれた彼の腕に止まる。「よくやった」と荊祟は呟き、懐に下げた袋から木の実を左手で取り出し、指の空いた漆黒の手袋越しに渡す。鷹とさして変わらない、鋭く伸びた爪が指先に光っていた。
「この女を喰うなりすると、我ら一族の力が失墜するやも知れぬ。その事はお前達も知っているはず」
黄金の鋭利な眼差しで、顔面蒼白の番人二人を交互に睨み付けた。一人には刀を突き付けたまま、じりじり、と詰める。
「長に逆らってまで、珍しい女が欲しかったのか? ……反逆か?」
「とんでもございませぬ!! 我々はそのような謀反を企てたのではございません!」
赦しを乞おうと、刀を向けられた番人が慌てふためきながら弁解する。
「左様でございます! 折角の厄界にいない種……味見をしても良いのではと伺いました」
「いかにも。要は契りを交わさなければ良いのですから…… 何なら荊祟様が楽しまれた後でも構いません」
ざわり、と周囲に烈な殺気が満ち、荊祟の眉が吊り上がった。
「もう良い。粛清する」
チャキ、と鍔を整える音が鳴ると同時に、へたり込んでいる方の番人の首元に刃を強く押し付けた。彼の汗ばんだ皮膚から、今度は一筋の赤い滴が流れる。
「戻って仕置きを受けるか、この場で俺に斬られるか、とっとと選ぶが良い。どうする」
残酷で容赦のない最終警告に、今では哀れに見える位に縮み込んだ番人が、涙声で答えた。
「――仕置きの程を……」
「……この女の処分は、俺が決める。早まった事はするな」
気が鎮まったらしい彼は、ゆらり、と刀を下げて鞘に収めた。
「……あ、ありがとう、ござい……ました」
一度も自分を見ない彼に対し、反射的にアマリは礼を発していた。ようやく、荊祟は彼女の方を向いたが、冷ややかな眼差しで凝視している。
次第にアマリの視界は揺らぎ、うつ伏せに倒れ込む。抵抗する力はもう無かった。今更、自分を贄として一族に渡す事はないだろう……と薄らぐ思考に過る。視界は蓋され……意識は彼方へ消えた。